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紅(くれない)に水くくる

「はぁ……やっぱり綺麗だなあ」
 様々に色づくもみじと穏やかな川の流れを見て、私はため息をついた。秋の山の暖かい色は、こっちまで気分を上げさせてくれる。それは私の名前が、くれないの葉――つまり、漢字で「もみじ」と書いて「くれは」と読ませるように付けられたので、もみじそのものに親近感を得て育ったせいなのだろうか。
 昔から私はもみじが好きだった。夏に育った瑞々しい青い葉が、秋になると赤やオレンジ、黄色に染まるのが不思議だった。それがやがて枝から離れて、ひらひら自然と地面に舞い降りてくることも。子どもの時は落ちてくる葉っぱを空中で捕まえるという遊びを、幼馴染とよくやっていた。
 あの頃そんな風に一緒に遊び、名前に「秋」という漢字を持っている、年下の幼馴染……秋水(あきみず)という男の子は、私と違って秋に大した思い入れはないらしいのだけれど。
「ここすごいベストスポット! おじいさんに会えてラッキーだったなあ」
 わたしのいる場所は地元の人だけが知る絶景の場所らしく、たまたま道で会ったおじいさんに、こっそりとここへ行く脇道を教えてもらったのだ。
「アキにも教えてあげよっと」
 ここには秋水……普段はアキと呼んでいる幼馴染と一緒に来てはいたのだけれど、お互いに他の観光客と話し込んでいた結果、途中ではぐれてしまっていた。まあ、もうふたりとも子どもではないのだし、どこかできっと落ち合えるだろう。そう思って大きく構え、私は今、目の前にある、絵画のような美しい景色を楽しんでいる。
 どこか近くにいるはずのアキに、川の水面に落ち葉の赤い色が反射している写真と、自分の居場所をスマートフォンで簡単にメッセージにして送る。送信ボタンを押した瞬間、スマートフォンの画面が消え、真っ暗になってしまった。
「あ、充電忘れてた……ちゃんと送れたかな……」
 まあ、なんとかなるだろう。
 それにしても綺麗だ。こんな感じの和歌を、昔聞いたことがあったような。
「から紅(くれない)に……水くくる? 百人一首だっけ?」
 わたしは目の前に流れる川に近づき水面を見下ろした。
「えっ……アキ?」
 水面に映る顔を見て一瞬そう思ったけれど、今の彼にしては幼すぎる。でもやっぱり……子供の頃のアキに似ている。
 振り返っては見たものの、私以外誰もいない。つまり、この昔のアキに似ている男の子は、水面のなかにしか存在していないのだ。
「うそ……なんで」
 ありえない現象に、頭が混乱する。ふとその時、男の子と目があった。少年があどけなく笑う。その笑い方も、アキにそっくりだ。
 その子は抱きしめてとせがむ様にわたしに向かって両手を伸ばした。
 そうだ。アキって甘えん坊だったっけ。昔のことを思い出して、つい頬が緩み、私は向こう側の少年に応えるように水面に触れた。
 あれ? と思う。
 水があまり冷たく感じられない。……こんな風だったっけ。不思議に思う私の手を、男の子は微笑みながら握りしめてひっぱる。力が強すぎて、とても子どもとは思えない。私は水の中に引きずり込まれそうになった。
「クレハ!」
 突然、水面が歪んだ。誰かによって投げ込まれた石が波紋を作り、水のなかの世界を乱した。私の意識を現実に引き戻そうと、耳に馴染んでいる声が私を呼ぶ。
「起きて、クレハ……クレハ?」
 いつの間にか閉じていた目を開けると、幼馴染の……アキの、不安そうに揺れる瞳が目の前に現れた。
 身体を支えてもらっていた。どうやら川に落ちそうになっていたところを助けてもらったらしい。辺りに異変は見られない。ただただ、もみじが水面をすべり、川を流れていくばかり。
「さっきのは幻? それとも……」
「クレハ……? 大丈夫?」
「わっ、冷たっ」
 そうだ、この感覚だ。現実世界の涼やかな秋の水は、実際に触れると凍りついてしまうんじゃないかと思うほどに、冷たく痺れるような痛みがある。やっぱりさっきの出来事は本当のことみたいだ。
「石投げたでしょ、もう! 水がはねて濡れちゃったじゃない!」
「あんた……俺が助けなきゃ溺れてたかもしれないのに、よく言うよな」
 心配そうだった顔からすっと表情がなくなり、アキは私の腰から手を離して、身をひいた。目が据わっている。
「霊媒体質なんだから、勝手にひとりでふらふら歩くなって言ったよね? ここ、出るんだから」
「いや、そうかもしれないけどっ!……はあ、帰って着替えた方がいいかなあ」
 濡れた服を気にして、せわしない私を見ていたアキは、ぼそっと言葉を口にした。
「……で、何見てたの?」
「え?」
「じーっと水面見ながら、笑ってたじゃん。何が見えたんだよ?」
「いや、それは……」
 水の中に見たものを思い出して、私は言いよどんだ。すぐに答えられなかったのは、この場所にある言い伝えを思い出したからだ。
 水面を覗いた時に自分ではない別の人の顔が見えたら、その人が自分の運命の相手である……と。
「いやいや! そんなの、ありえないし……」
「ん?」
 アキは幼馴染で、第一、弟のようなものだし……。
「どした?」
 不思議そうにアキがこちらを見る。見慣れているせいで今まで気がつかなかった、その大人っぽい顔立ちに、どきりとさせられた。
「な、何でもないっ!」
 私はアキからそっぽを向いて歩きだす。
 今自分の顔をみたら、もしかしたらこの川の水面のように、頬が赤く染まってしまっているかもしれない……。
「なんだよ、教えろよ」
「うるさいっ!」
 考え込むとなおさら身体が熱くなりそうで、私は逃げるようにしてその場を立ち去ることにした。
 ――この心のざわめきは、この場所に置いていこう。

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