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書き手の姿勢まで伝わる。『YMO会』イベントレポート

sentenceメンバーの、あーねです。
ずっとずっと苦手だった「かくこと」が楽しくなって約1年。

すてきな文章を読むと、自分もかいてみたくなって。かいたものが読んでもらえるのがうれしくて。どんな風にかくと、伝わるんだろう。この文章、読んでくれた人はどう思うのかな……?と考えることも、だいすきになりました。どんな文章にも「向こう側に人がいる」ことがうれしいなと思うんです。

ただ一方で、生活が慌ただしくなるにつれ、かくことへの躊躇いが生まれました。自分の考えの浅さに苦しくなる瞬間が生まれたからです。誰かを不用意に傷つけてしまったら? テーマやかき方を考えきれずに、読んでくれた人を苦しめてしまったら?そう思うと、文章をかく速さや頻度は下がっていきました。

そんなとき目に入った「YMO会開催のお知らせ」は、わたしにとってとびきりの朗報でした。

YMO会とは、”完成原稿における「Y・M(佳き・モヤっと)ポイント」を複数人で見つけ合ってディスカッションを行ない、最終的にそれぞれが今後の執筆での成長課題「O(推して参る)ポイント」を策定する”会のこと。

sentence公式noteより

つまり、自分の書いたものを読んでいただくことができる場、であると同時に書いた人に直接感想が伝えられる場です。(原稿を出す勇気さえあれば!)

YMO会は、まず運営の方からの「開催するよ!」という呼びかけに手をあげ、原稿を出します。会の参加者は、YMO会が始まる前に原稿を読んでコメントを入れていく。これで準備は完了です。

YMO会を募集している様子

会の時間になったらZoomに入ります。コメントしたことや筆者が気になったことをもとに、運営の方が話を振ってくれます。そうして、記事について・書くことについて参加している皆さんとお話していきます。

参加したYMO会について

何度か参加したうち、特に印象深い2回のYMO会についてお話します。

まず、他の方が出した原稿にコメントを入れた会について。事前に出してくださっている文章を読んでいる中で「わ〜!ここ素敵だな」「こんな言い方ができるんだな」「ここ、どうしてこういうかき方をしたんだろう」など、色々な感想をコメントに入れていました。この時点でもうとっても楽しいんです。

そして会が始まり、参加されている方のコメントや質問から学んだり、自分がコメントをかいた部分について質問したり。反対に、 原稿を出した方から「このコメントはどういうことなのかな」「こういうつもりでかいたけど、違う捉え方にもなるんだね」などお話伺う時間もあり、とっても濃い時間が進んでいきます。

参加したある回では、私の憧れのライターさんが原稿を出していました。かき方や言葉づかいなど、随所に憧れポイントが詰まっていて ライターの集まる会なのに語彙力が吹き飛びます。赤面しつつ憧れを伝え、コメントの中で特に聞きたかったことを質問。

文体やささいな1文の表現など「あまり意図せずかいた場所が読み手にとっては印象深かった!」が起こるのは素敵だなということや、逆に、かくときに迷いが残っている部分は読み手に伝わりうることなど、「読み手に伝わるもの」の不思議さに引き込まれました

・・・

また別の会では、わたしのかいた「ボイトレ体験記」を読んでいただきました。ボイトレを受ける機会があり、その中でやったことや感じたことなどを自分なりにまとめた…つもりでした。

しかし「ボイトレでやったことは詳らかにしていいものなのかな・・・?」と迷いが生じ、ボイトレの体験レポートのような形か、受けてみての感想に重点を置いたものか全体的に曖昧な文章となってしまっていました。

「時系列で内容を書きたかったのか、それとも、自分の経験談として感想を書きたいのかわかりにくいかも。どっちがかきたかったの?」と指摘していただき、迷ったままかいたものは読んでくださる方に伝わってしまうんだ、と大きく反省しました。

と、同時に「やわらかい印象の文章」と言っていただくことができ、とても嬉しく感じていました。「やわらかくかきたいな」「あたたかい文章にしたいな」というのはわたし自身がいつも気をつけたいな、〇〇さんみたいにもっともっとできるようにしていきたいなと思っているからです。(うれしいことに、会の中でわたしの憧れている方に褒めていただき、Zoomのこちらがわで盛大に赤面していました)

後日、Slackでいただいた感想の中に「私にはかけない文体をお持ちなのだな(個性!)」と書いてくださった方がいました。言葉づかいにクセがある(と時々言われる)ことや「周りの方々みたいにかけていない」ことはどちらも自分の足枷になっていた部分があったので、すごく安心するとともに「自分の文章も、大丈夫なんだな」とじんわりうれしく思いました。通勤の駅で読み返し、ニヤつきながらちいさくガッツポーズしてはしゃぎました。(肘を当ててしまった自販機、ごめんなさい。)

人によって表現方法が違うこと、いろんな文章に対して「誠実にかくこと」は重要だな、と毎回、新鮮に感じています。

おしまいに

わたしは、YMO会がとってもすきです。そして、めいっぱいの感謝を込めてこれからも、参加したいです。

7月末から新生活が始まり、いそがしくなっていくにつれてsentenceの中で「『かくこと』をライフワークにできています!」と自信をもって言えるほど かくことに触れられてはいませんでした。

それにすきな方のnoteを読んでいても少し苦しくなるくらいに「文章」に手が伸ばせなくなってしまったんです。かけなくなるにつれ、読むことも苦しくなってきてしまって。

そんなわたしを引き戻してくれたのが、YMO会です。

自分が思っている以上に、かいているときに考えていたことは文章にあらわれること。それは必ずしも誰かを傷つけることには直結しないこと。参加したそれぞれの会で感じたことや教わったことは、文章をかくことへの躊躇いをそっと和らげてくれたように感じます。

傷つけてしまったら?と迷う以上に「伝わること」への安心感をもつことができました。かいているときに考えていたことが文章にあらわれるなら、精一杯誠実にかいていこう、という気持ちでいっぱいです。

これからもっと、「わたしがかける文章」で精一杯、誠実に楽しみ、いろんな方の文章を読んだり感想を伝えていきたいな、と思います。

<この記事を書いた人:大平文音>
ライターや、ときどきカメラマンをしています。人と話すこと、聞くことが好きです。 雪見だいふくと桜フレーバーをこよなく愛しています。
Twitter:https://twitter.com/ah_ne1984



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