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夫婦仲がよいだけなのに

私が労働しながら、料理や洗濯や掃除を毎日していることを第三者に話すと「奥さんが怖い人」であるかのように想像し、指摘する人が時々いる。こういう反応を見るたびに、世の中、不仲な夫婦が多いのかなと思う。
 
これまで書いた通り、私は妻にフルタイム労働と家事をしないでもらっている。もちろん、妻が望めばそれをしてもらってもいいし、何かをすべきだと強制していない。けれども、やるべきだという認識で意に反してやろうとすることは、できるだけしないでもらっている。
 
それは妻がこれまで、田舎で「べき論」に押されて、周囲や文化から強制されたことばかりに身を削っており、その影響で体調や心身を崩してしまったこと、それにより、自分が何がしたいか、自分が楽しいかどうか、といった「自分がどうか」という視点を持てなくなってしまったことが理由だ。

親の期待、教師の期待、世間の期待、そのために自分がやりたいことに蓋をして30年以上も我慢してきたのは、本当に苦痛だったと思うし、その影響で、今も対人関係で無理をしてしまうことが多い。
 
だから「やりたくないことはしない生活」を徹底的に刷り込んでほしいという願いから、今の生活体制を採っている。子供がいなくても、フルタイムで働かない選択をしたっていいじゃないかというのが、私たち夫婦の出発点であり、原点だ。

二人でカツカツに義務を全うする生活からは、余白も生産性も生まれない。余白や脱線の先に、この先やりたいことや新しいことが待っていると思う。
 
妻は労働から解放されたことで、英語を話せるようになり、外国人の友人ができ、望んでいた技能を身に着けることができた。これは一生ものの財産であり、会社労働で我慢や苦痛を凌ぐことでは絶対に身につかない。夫や子供の家政婦として家や会社に閉じ込めておくことでは、絶対に身につかない。
 
そして、そうやって妻が平日日中に自由な時間と生産活動・創造的活動をすることで、私が個人活動する時のネタ探しやきっかけにもなり、一石二鳥以上の効果がある。毎日何かしら新しいこと、新しいモノが視界に入ってくる生活を続けることで、常に何かを考えたり楽しんだりすることができるのだ。それは会社労働では獲得できない。
 
よほどクリエィティブに活動すれば別だが、少なくとも会社労働は「我慢」と「時間」を「賃金」変換するだけの作業に過ぎない。であれば、金に困っていない以上、労働を担う人間は1名で十分であり、できるだけ組織にコミットしない私のような社会不適合者が働いた方が便益が大きい。
 
話を戻すと、妻の生活実態を聞いて、奥さんが怖いと想像する人は、配偶者に自由を与えることで夫婦仲が良くなるという思考を持っていない人だと、私は想像する。

あるいは、自分だけが働くのが許せない、同じ我慢をしないと許せない、不幸の横並び主義な人だと、私は想像する。もしくは、配偶者が大切だから、居心地の良い家庭を作りたくて、率先して家事を楽しむ生き方・考え方が理解できない人だと、私は想像する。
 
家庭で働き者な理由が、相手との関係が良いから、与えたいと思える関係だから、ではなく、相手が怖いから、としか思えない人は、不幸な人だなと、同情してしまった。

私はただ、自分が叶えたかった「義務だけを果たす人生から開放される」シミュレーションを、妻に代わりに叶えてもらっているだけなのである。それがどれだけ人を幸福にするかを、この眼で確かめてみたいのだ。

私の妻の生活を否定したり批判したりして、子供がいないのに仕事もしないで、などと考えてしまう人は、義務を果たして死ぬのを待つだけの消耗戦を一生やっていればいいと思うし、どう思われようが、この生活を続けたい。
 
記念日やいい夫婦の日じゃなくても、こういう気持ちを毎日持って、毎晩寝る前に配偶者に感謝の言葉を伝えるだけでも、最高の家庭環境になるし、DINKsであればなおさら、居心地の良い関係は、さらに信頼関係を強くすると思う。

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