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どろどろした闇の切れ味と弾けるような祝祭感がない混ぜになった得も言えぬ魅力を放つ作品となってあの名作が再演を果たした…★劇評★【舞台/音楽劇=天保十二年のシェイクスピア(2020)】

 シェイクスピア劇と言えば、演劇にあまりなじみのない人にとっては少し前までは「分かりにくいもの」の象徴だった。物語を理解するにはヨーロッパの歴史のある程度の知識が必要だったし、当時にしか通用しない表現も多い。文章は流麗だが、挿入句が多かったり、修飾が過剰だったり、観客の頭にすんなりと入ってこないこともありがち。俳優にとっても、独特の謳うような節回しは慣れないと大変で、そもそも声の出し方が違うという人もいる。逆にそんな多くの障壁があることは、シェイクスピアをありがたがる人たちにとっては、それが分かる自分たちは「優秀」ということになり、特別な教養だとして必要以上にありがたがった。今でこそさまざまな演出家や翻訳家、英文学者の努力で、こうした障壁は取り除かれつつあるが、1960年代から1970年代にかけては、ずいぶんとシェイクスピアかぶれしたエセ教養人がいたのだ。反骨心と滑稽心を持った稀代の劇作家、井上ひさしにはそんな人々が鼻についたに違いない。「天保水滸伝」をベースに、シェイクスピアの37の戯曲を何かしらのかたちで取り込む戯曲を書いたのもこのころ。それは音楽劇「天保十二年のシェイクスピア」として結実し、1974年に初演。シェイクスピア劇の本当の魅力は人間くさい人々が織りなす、感情豊かな物語そのものにあることを再認識させたのである。2002年のいのうえひでのり演出版や、2005年の蜷川幸雄演出版も高い評価を受けたが、その「天保十二年のシェイクスピア」が現代を象徴するような清新なパフォーマーの演技と、エンターテインメント性をより追求した若き天才、藤田俊太郎の演出によって、どろどろした闇の切れ味と弾けるような祝祭感がない混ぜになった得も言えぬ魅力を放つ作品となって再演を果たしている。(写真は音楽劇「天保十二年のシェイクスピア」とは関係ありません。イメージです)
 音楽劇「天保十二年のシェイクスピア」は2月8~29日に東京・日比谷の日生劇場で、3月5~10日に大阪市の梅田芸術劇場メインホールで上演される。

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★音楽劇「天保十二年のシェイクスピア」公演情報

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