因果応報
自分の行いは自分に返ってくる。
誰しも出会ったことがあるだろう、何故かむやみに他人を見下そうとする人に。
その根底にあるのは、自己肯定感の欠落なのかもしれないし、あるいはいっときの優越感に浸りたいのかもしれない…。
誰かのある一部分で、自分の方が勝る部分を見つけ、それを貶したり馬鹿にしたりする。けれど、その部分においてその誰かには優っていたとしても他の誰かには自分は劣っているかもしれない。
自分が誰かを下に見るということは同時に自分が誰かに下に見られる状況も作っている。
だからこそ、誰かを見下している人間は無意識だとしても、常に誰かに見下される恐怖を抱えているように思う。
他人のちょっとした言動で自分が見下された!と感じたり、見下されないようにしたいがために表面的なものに異常にこだわったりする。
そんなことしていたって幸せになれるはずがない。年月を重ねるにつれて自分には本当は何もないことに気付いたりするかもしれない。そうして幸せな人間を羨むけれど、生き方はそう簡単には変わらない、幸せな人間を微笑ましいとしてみるのではなく、他の面でその人間より自分が優っている部分を必死で探し安心を得ようとするのだ。
案外このような人間は多い。
結局は他人と比べたときの物差しでしか自分のことも見れなくなってしまう。
でも、病気のようなものでそれは癖になってしまうと、もう治らないようだ。
自分を認めてほしい、あるいは認めたい、そのためにわざわざ他人を見下さなければならない己の哀れさに気付けないままである人間がこんなにも多いことに驚く。
その延長で、私を褒めるときに他の人間をわざわざ貶すようなことを言ってから褒める人間がいる。「〇〇さんは〜〜らしいよ!それに比べて貴方はーーーーだからすごいと思うよ」のような言い方である。
きっとそれを言う本人はちゃんと褒めているつもりなのだろう、それがもう歪んでいる。恐ろしく可哀想だ。
日頃からそのような物差しで自分のことも見ているのだろう。
私は私を褒めるために他の誰かを下げなければならないくらいなら褒めないでほしいと思う。
無論、私の大切な人の良さは、他人と比べて優れているから良さであると思ったことなど一度もない。
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