自分の人生は自分で


私は、年齢でひとを見ないからなのか、生活での活動区域からなのか、何故だかは明白ではないけれど、幅広い年代の知り合いがいる。10代や50代も、中には正確な年齢すらわざわざ聞かない人もいる。その中でも友達と呼べる人達はおおよそ25歳〜35歳の人がとても多い。

その年代では当然、結婚についての話題が比較的よくあがる。

そんな中で気づいたことは、私が仲良くなりたいと思い、いまも尚非常に良い関係を築けている友人達は結婚についても前向きで暗い話がないということである。
結婚までいかなくとも恋愛の話で浮気や不倫なんて話題がなかなか上がらないし、男友達、女友達どちらからも現在浮気(したされた)相談や話を聞いたことがない。
出る話と言えば、お互いの理想の家庭像の違い、仕事と家族に割ける時間のバランス、そしてパートナーの惚気など、離婚している人もいるが楽しく毎日過ごしているようだ。


下世話な話が少なくみんなが素直に自分の不満を話せるのは、彼らが多くのものに恵まれていることからくる余裕や品格なのか、それとも彼らがもともと己の信念や美学を当たり前のものとして持っているからこそ現状こんなにも恵まれているのか、それはわからない。

だから私は以前はじめてお食事に行った独身男性が結婚は男性にデメリットばかりであるし、歳を重ねれば浮気や不倫の話なんて当たり前になると話すことに少し可哀想だと思った。そして、同時に(知り合いとして付き合うことは可能だが)友人としてそれ以上仲を深めるのは難しいと感じた。

何故かというと、自分の周りにどのような人がいるかで自分の当たり前は変わってくるということを私は知っていたからだ。その人と共にいることで自分の当たり前が壊れることが怖かったし、その人の周りの環境へも疑問があった。

私が信頼し尊敬している友人達は私がそう思っているだけではなく、パートナー同士とても信頼し尊重し合っていると感じる。
それはそれぞれお互いが信頼でき、尊敬に値する人間だからだ。

その人物が信頼、尊敬できる人かどうかとは結局、恋愛だけでなく日頃からの積み重ねでありそれは知り合いや友達やその他多くのものに関連し、その人の人生そのものとなる。

自分はどのような人物か。そしてこれからどのような人物になりたいか。さらにはそのために自分にどのようなことを課し、どのような人物と仲を深め共に多くの時間を過ごすか(考えなくとも、自分の目指すものや美学や信念があるのなら自然と友人関係ではそれに近しい人に憧れたり尊敬したり惹かれするものであり、大きく外れる人は勝手に嫌悪感を抱くと思う)。改めてそれらを自覚する大切さを知る必要があると感じた。


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