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2023.4.2 座禅の静と動、内と外 − 東西の運動の違いに関する私論

 内観や瞑想みたいな、東洋的な、非常に動的な静と言うか、一見じっとしているようで、フィジカルに物理の体はじっとしているんだけど、しかし非常に運動している感覚というのかな。こういうものは、西洋人(というのか白人なのかイギリス人なのか)の中では、どういう感覚なんだろうか。

 この辺の違いがもしあるとすれば、欧米人がKJ法中に動きたいってのもすごく分かるし、僕も散歩したいのもあるし、ヴィトゲンシュタインとかも散歩をしていたというのも納得。でも、日本人がずーっとこう見続けて(体は動かさずに)KJ法やるって言うか、やれるっていう事との違いはが出てくるんじゃないか。(身体感、身体観、身体性の違いかな?)

 座禅とは、極めて動的な行(行い)である。外側に静的で、内側に動的。マラソンも、そう。何考えて走ればいいかわからないと思っていたが、考えてはダメ。体から抜ける。

“広い世界の狭いとこが好き” な感覚かも。

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