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悲しくておめでとう(小説)

 まだ上手に一人で歩けなかったころ、膝をすりむいて泣いてしまったある日の夜、父は家族三人分のケーキを買って、
「きょうは、悲しくておめでとうの日だ」
 と笑顔で言ったのだそうだ。
 悲しいことがあったら、甘くておいしいケーキでお祝いしてあげる。私の目の前に置かれた、真っ赤ないちごのショートケーキ。いちごの天辺に、涙のような甘い透明なジェルが小さく一粒載っていて、それが宝石みたいにキラキラと輝いていたことだけは、今でも覚えている。
 悲しくて、おめでとう。


 幼稚園。初めてお友達に「ミィちゃんきらい」と言われた日。仕事から帰ってきた父にそれを伝えると、それは大変だと言って財布を握り締めてスーツのまま深夜のコンビニに駆けて行った。帰ってきて、袋の中には売れ残りなのだろうケーキが家族分入っている。
「いいかい、充希。悲しいことがあったら、ケーキでお祝いをするんだ。お祝いをして、おめでとうと言って、おめでとうと言われる。悲しくておめでとうと言い合うんだ。いいか。悲しいことには、おめでとう。これが、我が家のルールだからね」

 小学校。うっかりテストで名前を書かずに零点を取ってしまった日も、中学校の部活動で正式メンバーに入れなかった日も、第一志望の高校に落ちた日も。様々な悲しいことが起きた日、父は必ず家族分のケーキを買って、私の悲しみを甘い味で祝った。
「充希。悲しくておめでとう。パパは充希を心から祝うよ。おめでとう。充希」
 父は、私の悲しさを祝うとき、心から嬉しそうに笑った。
 ただ、私から見てそれは、私の悲しさをケーキという甘さで誤魔化し上書きしてあげたいという意味には見えず、単純に「娘に悲しいことが起きて嬉しい」と思っている、そんなふうに見えた、気がした。

 一度、いつものように家族で悲しみを祝うケーキを食べながら、
「人の悲しみを喜ぶなんて趣味の悪い」
 と暴言を吐いたことがあった。長年の本音だった。すると父は「よくわからない」といった表情をしながら、
「でも、祝ったほうがいいと思うから」
 と、ただそれだけを私に返し、また大口でケーキを頬張った。
 そのころから、本格的に、私の中で、父の「悲しみを祝う行為」に対する懐疑的な心が疼き始めていた。やはり、私の思っている「悲しくておめでとう」と、父の思っている「悲しくておめでとう」は、何か、決定的な違いを抱えているのではないか――


 三十歳になり、私は結婚して、三十二で子どもを産んだ。
 夫は家庭を顧みない人で、休日になると朝早くから趣味の車であちこち出かけて行って、道の駅の駐車場で寝泊まりし、日曜の夜、娘がやっと寝付いたころに帰ってきては娘を再び目覚めさせ「パパなんでいっつもあたしと遊んでくれないの」とボロボロに大泣きさせ興奮させた。彼は面倒くさそうに娘を私に押し付けながら、
「俺にだって自由な時間は必要だろ」
 と言う。私はフルタイムの仕事と、子育てと、向こうの親とのやり取りと、自分の実家とのやり取りで、文字通り座ってコーヒーを飲むような余裕すらないというのに。

 ある日、娘を連れて実家に顔を出した。内庭で遊ぶ娘と母を窓際で見やりながら、父に夫の行動に対して思わず愚痴を吐く。
「そうかあ、それは悲しいなあ」
 あ、いけない、スイッチを入れてしまった。
 瞬間的にそう思った。父は娘の名前を呼び、自分の元へ呼び寄せると、「なあ、今、ママに悲しいことがあったってわかったんだ。だから、おじいちゃん、ケーキを買いに行こうと思うんだけど、よかったら一緒に行かない? 好きなケーキ、どれでも一個、選んでいいんだよ」
「ほんとう? やった!」
「ちょっと、この子までそれに巻き込むのはやめてよ。今更だからこそ言うけど、私その習慣あんまり好きじゃなかったんだよ。私の家庭では、悲しいことがあったら一緒に抱きしめながら悲しいねって言い合って、慰め合って乗り越えることにしているの。この子まで甘いケーキごときで誤魔化さないでよ」
 私が文句を言っている間も、父は娘の手を引き、財布を持ってそのまま家を出て行ってしまう。小一時間後に帰ってきた二人は四つケーキを買ってきていて、私は渋々、
「さっきも言ったけど、私はこのやりかた、好きじゃないから」
 文句を溢しながら、父と、母と、娘と、四人でケーキを食べた。
 悲しいからケーキを食べる行為そのものすら私にとっては悲しいことに成り下がっていたけれど、永遠に続くループに陥るだけの一言を漏らすつもりはなかった。ただ、私が我慢すればいい。父にも、夫にも、期待しない。それでいい。そう結論づけながら、最後の一口を乱暴に放り込んだ。


 

 娘が六歳になったころ、母が亡くなった。風邪をこじらせて、肺炎になって、そのままあっという間に死んでしまった。もしかしたら死んでしまうのかもしれない、と思う隙すら与えずに死んでしまった母に、結局、私はケーキについてどう思っているのか、最期まで訊けずじまいだった。


 葬儀が終わり、家に帰ってくる途中、父が、
「充希。ケーキ屋へ寄って行かなくちゃ」
 と言った。
「……え?」
「母さんが死んだんだ。これ以上悲しいことなんかないだろ。だったら、ケーキを食べなくちゃ。悲しいことがあったら、ケーキを食べるんだ。うちは、そういう家だろう。充希、携帯で近くのケーキ屋を探してくれ」

 頭がおかしい、と思った。
 膝をすりむいて心が悲しい、友達にきらいと言われて心が悲しい、夫が非協力的で心が悲しい。これは、そういった類の「悲しい」とは、明らかに違う「悲しい」だ。
 母は、二度と戻ってこない。別れの心構えをする余裕すらなく、買ってきた野菜が一日二日で腐ってしまったかのように、どうして、と思う時間すら与えられずに、あっさりと死んでしまったのだ。もう母には会えない。もう母は笑いかけてくれない。もう母に名前を呼んでもらえることはない。もう、この世界に、母はいないのだ。
 今、私が抱える「悲しい」は、そのくらい強大で、残り一生をかけても癒せないくらいの、本物の、本質の、真実の、強烈な「悲しい」なのだ。

 父は、それを、その意味を、わかっているのだろうか?

 父は自身のスマートフォンを取り出しながら、なあ地図ってどうやって見るんだ? 普通に検索したらいいのか? んー、キーワードは【ケーキ屋】と、あと、地域の名前とか、そういうのでいいのか? など一人でぼやいている。
 私は娘の手を強く握りしめながら、少しだけ娘を自身の後ろに隠す。私の隣に立つ夫は、父を見て目を真ん丸にして、
「なあ充希、お義父さん、冗談だよな?」
 などと小声で私に訊ねてくる。私は心の中だけで返事をする。冗談だったら、どれだけ救われたんだろうね。

「あ、あった! ここから結構歩くけど、アンゼリカって店があるらしい。閉店時間もまだまだ先だから、ケーキの種類もたくさんあるだろう。きっと好きなものを選べる。さあ、行こう。葬式で疲れたし、きょうくらい、贅沢に、タクシーでも呼ぼうか!」
 父は私にスマートフォンの画面を見せてくる。やっぱり悲しいときはケーキを食べないとな、なんて言いながら。

 喪服を纏った私たちは、四人、屋外に立っている。
 一人の喪服の老人が、俺は何のケーキにしようかなあ、とホームページを見て浮かれている。
 全身真っ黒い服に身を包んだ私と、夫と、娘と。
 娘は足が痛いと駄々を捏ねている。夫が娘を抱き上げ、小さく揺らしながらそっと、気づかれないように少しずつ父と距離を取っていく。
 私はヒールのある、黒い靴の爪先を見つめながら、こんなにも悲しいことがあっても、私はそれを口にはできないのだと、父の前で口に出したなら最後なのだと、だからこそきつく口を噤む。

 私は悲しい。
 私はとても悲しい。
 悲しいと口に出せないことが悲しい。
 悲しいという現実を、自身と同等の意味で共有できない父の存在が、世界で一番、本当に、悲しくて、悲しくて、悲しくて、悲しくて、悲しい。
 父の「悲しい」が、私には、あまりにも悲しくてたまらなかった。



(「悲しくておめでとう」24.4.8)

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