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it Takes Twoというゲームの感想

ゲーム開始日は6月15日深夜1時、クリアーした日付は6月17日早朝4時、まず初めに簡潔にゲームを表わすなら協力だ、一個人で進められるゲームではなく二人での力を合わせてステージを進めて行くスタイル、それでいて何処となくリアリティを感じさせてくれるストーリーは海外ドラマを見ている気分になった。 このゲーム自体大分前にYouTubeにて動画を少し見ており知っていた、それで今後やる事も無いだろうと思っていたが知人に誘われやることになった、最初は動画を見て聞いてしまっている分やる気は

    • 北の大地、未知との遭遇

      人生初のオフ会は大成功という事で幕を下ろした、出会った時の緊張感と遅れてやってきた現実感が心臓を激しく動かしたのは明白に思い出せる。日頃パソコンのディスプレイ横に設置した、指向性マイクに語り掛けてゲーミングヘッドフォン越しで聞いていた声が、目の前から、後ろから、横から聞こえてくるのは脳みそがバグったように最初受け付けなかった。 未知との遭遇と題打ったのは、通話越しでしか、声のみ確認できるという状況だった為存在するのか、しないのかも分からない誰かと出会うのだと思うと、結局は未

      • 続けるって難しいよねって話

         つい先日1日1本書くという行為を終わりにした。365本、1年分書いたからキリがいいだろうと休憩しようと思い辞めた。結果としてはかなり肩の荷が下りた感じと時間に余裕が持てるようになった。 書き始めた当初の創作の火は高らかに天を焦がすように燃えていた、書くにつれて徐々にその勢いは弱くなり、最後辺りは燃えカスがさも燃えている様な感じだった。 「続けられて凄い」とか「化け物」的な感じに表現されて嬉しかったのも最初だけ、300作品を超えたあたりには既に書かないとに変わっていた。使命感

        • 文字と向き合う

          最近どうしても表現の幅の限界を感じてきてしまい文字を打ち込んでも首を傾げてしまう場面が多々ありどうしたもんかって感じなんですよね、思考が固まってるのかなとゲームしたり気分転換をしてから再度文字を打ち込もうと画面と睨めっこすると多少なりとも打ち込めるけどやっぱり似たり寄ったりで何処か新しさがない文な気がしてしまうんですよね。 昔から活字をあまり読まずに育ち、小説?何それ美味しいのとか言いながら親が読んでいる小説を流し見して意味が分からず本棚にそっと戻して漫画を読むような生

        it Takes Twoというゲームの感想

          自由について考えて今日も縛られて生きて行く

           うちには7歳くらいの猫がいる、血統書何て言う物ご立派な物はないし何なら姉が拾ってきた野良猫だ。目が見えない頃に親の反対を押し切り大喧嘩を繰り広げ「私が育てる」と言い放ち1週間くらいで見捨てた姉の猫が元気に今日も家の中をのそのそと歩いている。餌が欲しい時は鳴き、寂しい時に鳴き、弄って鬱陶しいと感じられた時に鳴き、のほほんと育てて6~7歳で何と大台の10kgを超え持ち上げるのもかなりしんどいデブ猫になっている。そんな彼は自由に生きている、日中は寝て過ごしお腹がすけばご飯を食べて

          自由について考えて今日も縛られて生きて行く

          物書きとしての自分

          毎日3000文字くらいの文章を書き綴っているけどそれは経験値として自分にしっかりと蓄積されているのか分からない、空中にウィンドウが出てそこに数値が示されたら便利だがそれはそれで嫌だ、でも実際問題成長しているのか分からないのも怖かった。経験値がもし溜まっていたとしてもレベルアップの音もしなければステータスの何処が上がったのかすら分からないから実感が沸かない、結局他人の評価を見てでしか自分を評価できないのかもしれない。 ・書くという事昔から絵は描けず物作りも手先が不器用で苦手

          物書きとしての自分