ダイエットして40kg台になろうと決めたときに書いたむちゃくちゃな思想

南米諸国にダイエットという文化はないと思う。彼らは日々、歌や踊りや過酷な労働で1日のエネルギーを使い果たしている。歴史の授業を聞き流してひたすら数学の問題を解いていた俺でもそれくらいのことはわかる。だから人間の普遍的な輪郭からはみ出ているぜい肉を必死に受け止めて緊張感をまとうシャツ、そのシャツが完全に開き切るのを阻止している最後の砦と言わんばかりの、チョークが飛んでくる前にこいつが飛んでくるんじゃねぇのかって思わせぶりな、弾丸予備軍のボタンを生徒に見せつける滑稽極まりない太り方をした歴史の先生にブラジルとかアルゼンチンの歴史をダラダラとしたやる気のない態度で語られても、説得力があるなと思った。(?)彼は教員人生でおそらく何度も説明してきたがために南米の文化を流暢に元気よく、抑揚を交えて、大事なポイントを強調しながら喋ることができるはずなんだろうけれど、その努力すらも怠っている。それでも、南米諸国の文化圏にない「ダイエット」という概念を同じくないものとして扱っている人からその国の過去が歴史の授業内容として発せられているのは、とても喜ばしいことだと思った。対して、生徒に媚び売るように元気溌剌とした態度でみんなのお兄さんお姉さんですよみたいな謙虚さの欠片もない無意識からくる驕りを見せびらかしちょっとした思い出の小旅行として教育実習に来て教壇の前に立つ健康体型の大学生が南米諸国の人間力に満ち溢れた時代を丁寧かつのろのろと黒板に書き込み、一旦深呼吸してから説明し出す姿など、入念な準備を経て行なったがために、衝動に背中を押されて終わりを迎えた命のみが持つ儚さという名の輝きが、全くもって見受けられない非芸術的な飛び降り自殺にしか思えない。ダイエットと縁のない人間は南米諸国を語る資格などない。ダイエットをする必要があるのにも関わらずその手段を取らない者のみがボリビア、コロンビア、チリの情勢を口にだしてもいいのだ。

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小さい頃からお金をもらうことが好きでした