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【HSP】外向的な人に憧れていたわたしが、内向的な自分を受け入れられるようになった理由

こんにちは、しいなです。

4月は新しい環境での生活が始まる方も多い時期ですね^^
わたしは新しい場所にいくのは楽しみなタイプですが、不特定多数の人と話すのはあまり得意ではありません…!

なので、初めての人が多い場所では、一生懸命外向的に振る舞おうとして
いつも以上に沢山エネルギーを使って、帰宅したらクタクタ…ということがよくあります。笑

昔は、そんな自分に対して「もっと外向的な性格だったらよかったのになぁ」と思っていました。

サラリと会話に入っていけて、誰とでもすぐに仲良くなれて、どんな場所でもなじめる。
そんな外向的な人に憧れていたし、「そういう人にならなきゃ」とも思っていました。

だって、周囲から求められるのはそういう人だと思っていたから。
そういう人が「社会的に良い(とされている)」のだと思っていました。

でも、自己理解が深まった今では
「人に優劣はない。自分には、自分の良さがある。自分らしさを大切にして生きたい」
と考えるようになりました。

ここでは、過去のわたしと同じように「自分を変えたい」と感じている方が、ありのままの自分を少しでも受け入れられるようになったらいいなという気持ちを込めて、わたしが内向的な自分を受け入れられるようになった理由について書いてみたいと思います。


「違い」であって「良し悪し」ではない

外向的な人に憧れていた時は、無意識のうちに「オープンで積極的なコミュニケーションがとれる=良いこと、それができない=悪いこと」という図式が自分の中に出来上がっていたように思います。

これまでの社会生活の中では、そういうことを求められる場が多かったし、それがうまくできている人はとても楽しそうに見えたからです。

でも、内向的な自分だからこそ、人が考えないようなところまで深く物事を考えたり、気を遣いやすい自分だからこそ、些細なことにも気づけたりする。

自己理解が深まると、人それぞれ、興味の方向や得意が違うだけであって、良し悪しではないのだと考えられるようになりました。

人によって満たされるポイントが違う

オープンで積極的なコミュニケーションをとれる外向的な人は、沢山の人に囲まれて、いつも楽しそうに見えます。
だから自分も同じようにすれば楽しくなれるのだと思って、できる限り頑張ってテンションをあげて(笑)それっぽく振る舞ってみる。
でも、なんだか心がソワソワして楽しみきれない、ということがよくありました。

もちろん楽しい瞬間も沢山あるのですが、これをずっとやりたいのか?と言われると、そうでもない。

もともと外向的で沢山の人と交流するのが好きな人は、そういう場が好きなので、もちろん楽しいわけです。でも、内向型のわたしにとっては「楽しくても、疲れる」ことだった。つまり、心が満たされるポイントが違ったのに、それを理解できていなかったんですね。

気疲れしやすいわたしの満たされポイントは、カフェでのんびりしたり、読書をしたり、誰にも気を遣わず『自分にとっての好き』に打ち込むことや、心置きなく何でも話せる深い関係の友人と時間を過ごすことでした。

ここに気づいてから、自己理解がぐっと進みました。
他人と自分は好きなことも得意なことも違うのだから、もっと自分自身に目を向けて、自分が幸せを感じられるように生きようと思いました。

自分が居心地が良いか?を基準にする

沢山の人と交流するような場でも、頑張って沢山話そう!とするのではなくできるだけ「自分らしくいる」ことを心がけ、沢山話すのではなく聞き役に回ってみる。

「誰かがやっていて楽しそうだから」と真似するのをやめて、「自分が幸せを感じられること」を基準に選択するようになると、少しずつ自分の中で「居心地の良さ」を感じる時間が増えてきます。

そして「無理せず、自然体の自分でいられる時間」を意識的に増やすようにすると、だんだんと「これがデフォルトの自分」と思えるようになり、自分らしさを肯定できるようになってきます。

もちろん、今でも気疲れすることはよくありますが(笑)
でも「それが自分」と分かっているので、「今日もよく頑張った!さぁ一人でのんびりしよう!」と肯定的に捉えて、自分が幸せになる行動を選ぶことができています。

「自分を変えたい」と思って頑張るよりも、自分らしさを追求して、自分の居心地のよい環境を作る努力をした方が、幸せに生きられるなぁ~!ということを実感しているので^^

「生きづらさ」を感じている方ほど、自分らしさを大切にして、自分にあった環境を意識的につくっていけると良いのかなと思っています。

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