「すみません」じゃなくて、へらへら笑って「ありがとう」を多用しよう
使うのをやめたい言葉がある
それは「すみません」。
自分が明らかに何も悪いことをしていない時
例えば
□ 誰かがドアを押さえていてくれた時
□ 言付けをお願いした時
□ 落とした物を拾ってもらった時
事あるごとに第一声「すみません」を使ってしまうことに、自分自身違和感を抱いていて、何だか情けなさと恥ずかしさと疑問と、色々な感情がいつも混ざり合っていた。やめようと思っていても中々やめられないのは、何にでも対応できてしまうほど便利な一言だから。
今日は1日に何回「すいません」を言うのかカウントしてみた(決して暇ではない)。と言っても、ずっとカウントすることを覚えているわけもなく正確ではないが、正の字が3つ+1。つまり16回は確実に使用していたことが分かり驚く。電話のやりとりが多い職場というのもあるが、数えようと意識していた中での16回。無意識だったらもっと多いのだろう。
私は一体誰に何を謝っているのか。
〜〜〜
でもその言葉を使うときは何も謝るときだけではない。
調べてみると「すみません」には大きく3つの意味がある。
「依頼・謝罪・感謝」
依頼は「すみませんが〜していただけますか?」の意。
謝罪は「申し訳ございません」の意。
感謝は「=ありがとう」の意。
上記の例えの悪いことをしていない時の「すみません」は、明らかに三番目の意味に当てはまる。
「ドアを押さえてくれてすみません=ドアを押さえてくれてありがとう」
「伝言してもらってすみません=伝言していただいてありがとう」
「拾ってもらってすみません=拾ってくれてありがとう」
〜〜〜
なんだ、じゃあ素直に「ありがとう」を 言おうじゃないか。
違和感の原因は、「すみません」の多用もあるが感謝を遠回しに伝えてしまうことなのではないのか。「すみません」よりも伝わる感謝は「ありがとう」しかないと分かっているくせに。
わざわざ卑屈さを醸し出す「すみません」よりも、真っ直ぐな「ありがとう」 の方が、言われる側もすんなりキャッチしてくれるだろう。言う側も迷うことはないだろう。
だから今から「ありがとう」を多用しよう。
「すみません」の分の「ありがとう」をたくさん使おう。
わざわざ遠回りをして、ツンデレな感謝なんてしなくてもいい。
賢い評論家みたくお堅くなくていいじゃないか。
ヘラヘラ笑って、「ありがとう」を撒き散らそうよ。
そのほうが、意味も伝わるし、何より可愛く見られるかもしれない。
なんて思いながらパシャリと撮ったら残像が美しかった。
今週もお仕事お疲れ様でした。
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