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反骨

父親に反抗的な小さな男の子は朝食のパンか飲み物か、別のことが気に食わないのか、怒った様子で何かを訴えている。怒ったことを怒られて、怒られたことが気に入らないとさらに怒りを強めて、気持ちを収めることが難しい。

父親も息子に怒りをぶつけられて子供じみた感情的な態度で、パンの上にチーズを乗せて焼く時に、加熱したオーブントースターのトレイに当たって火傷したと騒ぎ始めた。誰かにだいじょうぶと声をかけてもらえれば少しは気持ちが鎮まるだろう。

母親は、休みの日に子供のためにパンを焼いてくれるのはありがたいけれど、パンの上のチーズがトースターのトレイに上で溶けて固まって、この男はそれに気付かず放置するんだろう、あるいは、気付いても掃除するという頭にはならないだろう、もし、それを指摘すれば相手はひどく嫌な顔をして「こっちは眠いところを朝起きて子供のためにパンを焼いてやっているんだ!」と強く主張するのを想像しながら、パソコンに向かって作業していた。パンを焼くという子供の世話の実績を作り終えたら、またすぐ寝に行くというのに。

母親は機嫌の直らない息子に「こっちにおいで」と優しく言うと、息子は少しだけ持ち直して、何に怒っているのか教えてくれたような気がしたが、母親が忘れてしまうのは、彼と彼の父親が取るに足りないことで諍いを起こすことが日常的に多すぎるからだ。母親は「お父さんに火傷だいじょうぶ?」って言ってやんな」と息子に耳打ちし、息子の背中を静かに叩いた。すると彼は小さく頷いたか、そうでなかったか、キッチンにいる父親の方に駆け寄って、

「お父さん火傷だいじょうぶ」
「お父さん火傷だいじょうぶ」
「お父さん火傷だいじょうぶ」
「お父さん火傷だいじょうぶ」
「お父さん火傷だいじょうぶ」
「お父さん火傷だいじょうぶ」
「お父さん火傷だいじょうぶ」
「お父さん火傷だいじょうぶ」

と取り憑かれたように言い続けた。無反応な父親の態度に見かねた母親が
「お父さん火傷だいじょうぶ? って聞いてくれているよ。何か反応してあげたら」
と言うと、父親は、
「『お父さん火傷だいじょうぶって言ってやんない』と言っているんだ!」
と、負傷した自分の指にアイスノンを当てながら、苛々した様子で答えた。
よく聞いてみるとたしかに、

「火傷だいじょうぶって言ってやんない」
「火傷だいじょうぶって言ってやんない」
「火傷だいじょうぶって言ってやんない」
「火傷だいじょうぶって言ってやんない」
「火傷だいじょうぶって言ってやんない」
「火傷だいじょうぶって言ってやんない」
「火傷だいじょうぶって言ってやんない」
「火傷だいじょうぶって言ってやんない」

と念仏のように繰り返している。

母親のパソコンからはフィッシュマンズの『BABY BLUE』が流れていた。

間奏で歌い手たちが「アーオー、アッアオー」と繰り返すところになると、息子はそれに合わせて父親に向かって
「アッアッオー、アッアオー」
と挑発するように7回ほど反復し、掛け声のパートが終わると「火傷だいじょうぶって言ってやんない」に戻ってリピートした。

母親は「なかなかやるじゃん」とモニターを見つめながら思った。

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