日常に流れる音楽
英語が苦手で、上手くなりたいという欲求も沸かず、常日頃、
「ソーリー」「サンキュー」
の温度感と音量とそれらしい表情の組み合わせで乗り切っています。
時々「分からない人だな」という顔をされたり、頭から足のつま先まで見られながら「こいつ何言っても通じねえよ」
というのを相手同士が耳打ちするのを、こちらも棒立ちして見ています。
ここ数日、新しい試みとして英語の音楽の和訳を始めました。
英語は不得手ですが、これは何ともわくわくする作業でした。
手始めに取り掛かったのは次の音楽です。
英語もスラングも文化的背景もほとんど分からないので、自分の訳が合っているかはまるで分かりません。
しかし曲の作り手はどうしてこの言葉を選んだのか、この言葉の並びの意味は何なのかを考え込みます。
言葉に意味がない場合でも意味のなさを感じ取る。
すると少しだけ相手の考えに触れたような気になるのです。
訳すことで訳者の言葉が歌詞に乗ります。
訳者もまた、どうしてその言葉を使うのか、世の中にはもっと真に迫った、美しい訳があるかもしれないが、今の自分にとってはこの言葉しかない、この羅列しかない、というのを吟味して、ひとつひとつ命を吹き込むように、意思や体験、精神、横たわるものをそこに置きます。
すると新しい物語が浮かび上がってくる。
なんて文学なんだろうと思いました。
『Love Is The Drug』は軽く聴き流すと、恋愛ジャンキーを気怠くポップに歌っている、と考える人も多そうですが、
愛がたいへん薬物的であるという本当の意味をノードラッグ側の人間が理解するには、感覚的で勘が鋭いか、感覚を研鑽したか、何より感性の合う相手と互いに溶け込み合うといった経験をしなければできないと思います。
『Something About Us』の歌詞はシンプルですが、訳さずとも心にぐっと響きますが、時としてうっすら涙しますが、それでも訳すと言うのなら、人を愛するという経験が乗ってこそ訳に妙味が増すというものです。
個人的には「right time」「right one」を「適切な時間」とか「ふさわしい人間」などと訳したくなかったのです。
自分の人生を考えたとき、「正しい」がしっくりきました。
『Some Velvet Morning』の「Some velvet mornin' when I'm straight」という部分を「俺がまともなベルベットのような朝」と訳しました。
変な日本語ですよね。
でもそれが一番いいなと思いました。
だってこの歌変なんだもん。
丹精込めて訳しました。
自分の訳を見て何度も嘆息するほどです。
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