マガジンのカバー画像

“クラシック音楽”を少しずつ知るマガジン

8
“クラシック音楽”を少しずつ知るマガジンです。
運営しているクリエイター

記事一覧

クラシック音楽(8) リヒャルト・ワーグナー (1813-1883)

“クラシック音楽”を少しずつ知るマガジン リヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner)ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner)(1813年 - 1883年)は、ドイツの作曲家、演出家、極論家、指揮者であり、主にオペラで知られています。多くのオペラ作曲家とは異なり、ワーグナーは、舞台作品の台本と音楽の両方を書きました。当初は、カール・マリア・フォン・ウェーバーやジャコモ・マイヤベーアのようなロマン派の作曲家として知られていましたが、ワーグ

クラシック音楽(7) ジュリオ・カッチーニ (1545-1618)

“クラシック音楽”を少しずつ知るマガジン ジュリオ・カッチーニ (1545-1618)ジュリオ・カッチーニ(Giulio Caccini)(1545年頃 - 1618年)。イタリア・ルネサンス音楽末期、バロック音楽初期の作曲家。ヤコポ・ペーリとならんでモノディー様式の代表的な音楽家の一人。 バロック音楽 16世紀の終わりから18世紀前半にかけてのヨーロッパ音楽を表す時代概念。一般的には、オペラの誕生から、モンテベルディ、シュッツ、コレッリの活躍を経て、クープラン、ビバ

クラシック音楽(6) フランツ・リスト (1811-1886)

“クラシック音楽”を少しずつ知るマガジン フランツ・リスト (1811-1886)フランツ・リスト(ドイツ語: Franz Liszt)(1811年10月22日 - 1886年7月31日)は、ハンガリー王国出身で、現在のドイツやオーストリアなどヨーロッパ各地で活動したピアニスト、作曲家。自身の生誕地であるハンガリー王国(当時はオーストリア帝国支配下)を祖国と呼び、ハンガリー人としてのアイデンティティを抱いていたことから、「ハンガリー」の音楽家として認識されています。その一方

クラシック音楽(5) “近代ロシア音楽の父” ミハイル・グリンカ (1804-1857)

ミハイル・グリンカ(1804-1857)ミハイル・イヴァーノヴィチ・グリンカ(ロシア語:Михаил Иванович Глинка) 1804年6月1日-1857年2月15日(52歳没) ロシアの作曲家。ロシア国外で広い名声を勝ち得た作曲家の一人で、「近代ロシア音楽の父」と呼ばれた。 生涯グリンカは、ロシア帝国スモレンスク総督府のデスナ川にほど近いノヴォスパスコエ村(現スモレンスク州イェルニンスキー郡)で生まれました。裕福な父親は、陸軍大尉を引退しており、一族は皇帝への

ポルカって何?

クラシック音楽を少しずつ知るマガジン ポルカポルカ(英語・チェコ語など polka)は、1830年頃おこったチェコの民俗舞曲。1830年にボヘミアのエルベタイニッツ (Elbeteinitz) あるいはティーネツ (Týnec nad Labem) で、地元のアンナ・スレザク (Anna Slezak) が始めました。。 速いテンポ、弾んだステップ、短短長(♪♪♩)のリズムが特徴。19世紀前半にワルツやマズルカと並んで舞踏会で重要な役割を果たすようになりました。 クラシッ

チェコ音楽の祖、ベドルジハ・スメタナ (1824-1884)

ベドルジハ・スメタナ (1824-1884)ベドルジハ・スメタナ(チェコ語: Bedřich Smetana) 1824年3月2日 - 1884年5月12日(60歳没) チェコの作曲家・指揮者・ピアニスト。 スメタナは、当時、オーストリア=ハンガリー帝国(オーストリア帝国)によって支配されていたチェコの独立国家への願望、チェコ民族主義と密接に関係する国民楽派(後述)を発展させた先駆者です。 そのため祖国チェコにおいては、チェコ音楽の祖とみなされています。6つの交響詩から成

クラシック音楽はいつごろの音楽なのか?

“クラシック音楽”を少しずつ知るマガジン 冒頭のまとめわたしたちの知る「クラシック音楽」のはじまりは、17世紀のヴィヴァルディやバッハのバロック音楽後期から19世紀後半エドヴァルド・グリーグらの国民楽派くらいまでの間の音楽。 「クラシック」っていうけどいつ?クラシック音楽っていつの時代の音楽なのか?ちなみに英語では「クラシック」ではなく「Classical Music」と言います。バッハやハイドン、ヴィヴァルディなど著名な音楽家の名はしれど、彼ら・彼女らがいつの時代のひと

あの結婚行進曲は、バッハを復活させた夭逝の天才、フェリックス・メンデルスゾーンの曲

クラシック音楽を少しずつ知る」マガジン 結婚式にかかるあの曲これが、フェリックス・メンデルスゾーンの結婚行進曲です。メンデルスゾーンが、34歳のときに完成させたもので、ウィリアム・シェイクスピアの『夏の夜の夢』の劇付髄音楽。シェイクスピアの『真夏の夜の夢(A Midsummer Night's Dream)』もまた結婚式のために作られた戯曲。演奏会用序曲は、17歳のときに作曲していますが(姉と連弾を楽しむために!)、劇のための音楽として完成させたのは1843年(34歳)。