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生まれたからには、挑戦するのだ。会社倒産からの再出発。

9月2日、私は去年の冬から通っている弁護士事務所で打ち合わせをしていた。女性弁護士さんの、やわらかな雰囲気の会議室。大ぶりな薔薇の造花、子どもの遊べるスペース、壁にはいわさきちひろの子どもの絵がかかっていて、いつも穏やかなヒーリングミュージックがかかっている。

女性限定というわけではないが、やってくるのはほぼ女性だろう。この穏やかな環境は、彼女たちの緊張や殺伐とした心情、ショックのあまりにぼんやりした頭とのコントラストを感じさせた。そして私もまた、その一人だった。

私たちの会社の破産申告書類の最終確認が、この打ち合わせでやっと終わった。あとは裁判所に提出し、面接や債権者集会へ出席し、順調に行けば破産が完了して本当の本当に再スタートを切ることができる。


この記事について

そこまできたので、このnoteに破産してしまった私たちの会社のこと、学んだことなどを記そうと思います。破産手続きの進捗状況もさりながら、心理的にこの話はどうしても書けなくて、今でもまだ後頭部を痛めながら、しかし今どうしてもこれは書かれなくてはならない。そう思って書いています。

しばらくプロフィールとして掲げようと思っている記事なので、私の経歴を簡単に書くと...

SFC→大手転職支援会社→教育系NPO→ITベンチャー→無職(収入なしのブロガー等)→起業→廃業(2018年12月)その後noteを書き始める(4月)→天然石マクラメジュエリー制作販売開始(6月)→noteでハンドメイド販売&オフ会を開催(8月)→今ココ(9月)

最後に、これからの挑戦を書いていきます。よろしければぜひ最後までお付き合い下さい。(上記の目次から飛ぶこともできます)


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みんな、「トラウマさん」だった

去年の夏は、揉めに揉めていた。

私たちは、心理カウンセリングオフィスを経営していて、パートナーが代表兼心理カウンセラー、私はその他事務全般。東京神奈川からくる対面カウンセリングと全国からの電話カウンセリングで半々くらいの割合で、女性が大半、10代から70代までのお客様にご利用いただいていた。

もう誰がどう見ても事業は続けられない状況だったにもかかわらず、続けることをあきらめられなかった結果、経営的には非常によろしくない結末を迎えてしまった。

心理カウンセラーを務めるパートナーの体調が悪化し続け出社も不可能になり、すでに入っているお客様の予約を断ったり、その中で(売り上げ不足のため)新規事業を立ち上げてみたり、(コストが見合わず)税理士を変えてみたり、(どうにもならなくて)従業員を解雇するなど、泥の中を必死で走り続けるような仕事が始まった。

1年間ほど個人事業で営業した心理カウンセリング事業を、去年の春に法人化したばかりだった。事務所を大きなところに移転して、片手じゃ足りないくらいの従業員を迎え入れ、たったの数ヶ月で傾いて、それから半年で倒れてしまった。支えようとしたけれど、とても持ちきれず、倒してしまった。

私たちの提供していたカウンセリングは”トラウマ治療”と言った。複雑性PTSDと呼ばれる、主に幼少期の心の傷からの回復をお手伝いするものである。心に傷を抱える人を「トラウマさん」と呼んでおり、通っていただいているクライアントさんはもちろんみんなトラウマさんだったが、元クライアントさんだったメンバー(従業員)のみんなも、そして私も、パートナーもまた、全員トラウマさんだった。

トラウマさんは、本当に不運な存在だと、それを認めるのも辛いけれども一度は認めなければならない。大昔についたその傷が、人生ずっと付いて回り、生活、人間関係、仕事、多かれ少なかれ、全てにおいて邪魔をし続ける。癒えたと思ったらまた暴れ出す。年と共に、治療と共に、回復もしていくけれど、トラウマのある、いくらハンデをつけてもらっても足りないくらいだ。

察する力や表現力、様々な能力が優れていることも多い。よく刺激を受け、傷つきやすい。普通にしていると周囲からは浮いてしまう、必死で適応した結果その体は膨大なストレス処理を求められ、健康を持ち崩す。病気や障害に認定されるとやっと「病気なのね」と認められる。

さりとて不運を呪ってばかりいても仕方がない。今までが不遇だったとしても今から少しでも回復し楽しく生きていきたい、そう思って多くのトラウマさんは健気にも前向きに生きている。私もそうだった。

トラウマさんでも起業できる、事業を維持できる、成功できると証明したかった。私たちを応援してくれる人やクライアントのみなさんの希望をこわしたくなくて、期待に応えたくて、力の限りに続けたけれどだめだった。



消えてしまった、砂上の楼閣

会社の破産とは、いわゆる倒産という意味だ。つまりは借金の踏み倒し。返すと約束して借りたお金が返せない、請求書に応えられない。どうしても返せませんごめんなさい、と裁判所に申告することを法人破産申告と言う。

まさか自分が、1年のうちに起業してさらに倒産させるとは、思ってもみなかった。今までの事業収入はもちろん、私個人の遺産も含めて全財産をつぎ込んでいた。債権者(もう支払えませんという相手)の中に私自身も入ってしまっていた。全神経、全精力を使ったし、うっかり、たくさんの愛情を注いでしまっていた。私はこの会社を彼女との子どものように思っていた。

いなくなってしまった。友達や家族のように思っていたメンバー(従業員)も、お客様も... webサイトのサーバの期限切れに気づかず、公式サイトも消えていた。webメディアに書いていた執筆記事も、メンバーでもあったイラストレーターさんの書き下ろしイラストも全部消えた。

オフィスとして借りていた戸建の民家の備品も全部、引き払う日までに必死で処分した。あげて、捨てて、売って売って売り払った。初めて使ったジモティとメルカリの経験値は速攻で上がっていった。

カウンセリングは防音がもっとも重要であるからと、部屋と部屋の間に敷き詰めたマットレス12枚を放出するところから始まり、5部屋に1つずつつけていたエアコンも全部外し、シーリングライト、デスク、カーペット... 必死で作り上げたつもりだったお城から、この手で一つ一つ壊して、手放していった。

みんなで可愛がっていた観葉植物、フィカスアルテシマとモンステラは、今も付き合いの深い友人でもある元従業員の家で日光を毎日浴びていることは救いだった。

中古品買取業者が家具の見積もりをしていた際の、家具についての上から目線の酷い言いよう、さらに彼がオフィス内で偶然出会ったクライアント様の容姿を嗤ったことは忘れられない。仲間内で交わしていた侮辱の言葉のメモを目撃してしまった。ここまでされないといけないのかとまた人を呪いたくなった。


最後はこんなことになってしまったけれど。私たちは、メンバーみんなで力を合わせて2000回以上の心理カウンセリングの機会を数百名のクライアントの皆さんへ提供し、カウンセリングにこれないような方へ向けてもウェブメディアを運営し、イベントやワークショップも開いてきた。あの日々の楽しさ、優しさ、穏やかさは決して損なわれるものではない、と思っている。

今までのお客様は、元従業員の素晴らしい心理カウンセラーさんに引き継いで、私たちのお城... そういえば一時期あのウェブメディアのことを「みんなの遊び場」と呼んでいたよね。ネット上もリアルの事務所もすっかりと姿を消し、関わっていた全員は解散して、それぞれの人生を歩むことになった。

私たちの会社は、「自由」と「星」をつないで作った名前だった。メンバーもクライアントさんも、みんなで一緒に進み続けることはできなかったけれど、一人一人、少しずつ自由に、ゆるんで、生きていけたらいいな、と思っています。関わってくださった皆様、本当に本当に、ありがとうございました。


会社を経営するということ

必死にやっている時は、私だって地に足をつけてやっているつもりだった。法人化前の融資申請の事業計画書だって、会計士さんと一緒に読みが甘くならないように慎重に作り、無事に通過し融資を受けることができた。

全てが終わってみると、ちゃんちゃらおかしかった。

この会社経営で私がもっとも深く学んだこと。あまりに自分は自分のことを知らなかった。文字にするとあまりに陳腐な一文になってしまう。

私という人間は、人に優しく、自分に厳しい。一人でいると自分に甘いけれど、他人が絡むととたんに過剰に気を使ってしまう。自分で言うのも変だが、私って、軽く付き合う分にはまあまあ楽しい人なんじゃないかと思う。都合が良い人とも言う。

私の行動原理は「人に嫌われない」ことを一番大事にしてしまうことにある。嫌われないようにばかり振舞い、本心がよくわからない人。深く付き合うにはためらったほうがいい。そして、はっきり言って経営者という仕事には一番向かないと思う。

そんな私は、パートナーの言うことを絶対的に聞いてしまう。従業員の要望を聞き入れてしまう。カメレオンのような人間だ。本当に信用ならない。

仕事のスケジュールや目標をひいたこともあったが、みんなへの共有すらろくにできなかった。思い切って依頼しても「できません」と言われるとそれ以上に「やってください」と押したり、やっていただけるように人を動かすことができなかった。

事業が傾くと、さらに頑張らなくてはならなくなるのに、それでも人が苦手すぎて、うまく仕事をふったり手伝ってもらったり頑張ってもらったりできなかった。給与が払えないので、最後の自分のまとまったお金を入れた。どこまでも甘い私は、まだ事業で取り返すつもりだった。

どうか「私固定給いりません、歩合でいいです」って言ってくれ、と馬鹿みたいなことを考えていた。従業員だもの、言うわけがない。社会保険は入り続けたいというメンバーの希望を整理しきれず、加入し続けた結果、未納金額が膨らんでいった。

昔所属していたベンチャー組織のボスが「みんな、個人事業主のつもりでやってね」と言っていた気持ちが分かった。会社だってまだ生まれたばかりなのだ。しかも私はそんな性格で...幼稚園児が泣きわめく赤ちゃんをだっこしているようなものだった。そんなことを続けていたら、潰れてしまう。

採用した人数については意味不明すぎるのであえて突っ込まないとしても、採用基準も甘かったし、もっと早くに解雇しなければならなかった。メンバーは、組織がある程度できている状態では優秀な人ばかりだったと思う。ただ、私というマネージャーは弱く未熟で、彼らの能力を活かせなかった。

早く退職していただき、別の環境へのチャレンジをしてもらったほうが本人としてもよかっただろう。私がギリギリまで給与を払い続けたのは本当の優しさではなく、嫌われない為の苦しまぎれの行動でしかなかった。

「他人に厳しく、自分に甘い人」と書くとなんだか悪い人のようだが、それができるのがきちんと組織を守れる人だと思う。会社経営視点では、他人とは、従業員、お客様、取引先のこと、自分とは会社のことになる。船が沈んだら元も子もない。従業員の働きやすさやお客様へのサービスは、船を沈まない状態にした上で、初めて取り組めることだった。

いつかもっと私の器が大きくなるまでは、もしチャンスが訪れても会社経営だけはしない、個人で活動すると決めている。廃業後は、もはや人とはかかわりたくない、自分はもう人とかかわるべきではないと思っていた。


その後の生活

家具を売ったお金をかき集め、食品や日用品をなるべく安い価格で買いながら過ごした。交通費にも苦しみながら、Youtuberになろうとしたり、だいぶ迷走していた。

彼女の体調は、オフィス出勤をやめてから半年以上経っても悪かった。トラウマさんの「体調が悪い」は普通の人とは別次元だ。熱が下がれば良いとかいう問題ではない。今までの人生ずっと我慢していたトラウマ症状が流れ出していた。彼女の心はつらさでしばりあげられ、体は悲鳴をあげていた。

毎晩体のどこかが痛くて眠れず、深夜にレイキヒーリングをしたり、昼間も何も手につかず、少し具合の良い時に少し散歩をするので精一杯。今までは学術書含めものすごい読書量だったものの、頭を使えないのでYoutubeをひたすら見ていたがそれも目に負担で、何をして過ごせば良いのかわからないような状態だった。

私も家から離れられない。ほとんど寄付のようなクラウドファンディングまでしてしまった。妹にも頼み込んで貸してもらった。食費をきりつめて自炊をしながら家で世話をしているとなんとなくそれだけで終わってしまい、なかなか働けず、せっかく応援してくれた人のお金も尽きてしまった。

今振り返ると、私自身もだいぶストレスを抱えていた。会社がうまくいかなかったことについて、思い出したくないくらい、感情の整理が付いていなかった。半年間、泥の中で必死すぎて燃え尽き症候群だったのかもしれない。

そのころ、日本伝統の自然療法靈氣(レイキ)を始めた。ここでは省略するが、施術者の私と受ける彼女双方の心身改善に大変役立った。毎日レイキを施すうちに私の気持ちは朗らかさを取り戻し、彼女の心と体の苦しみも軽減していった。
(レイキについてはこちらのマガジンで書いています。細々とではありますが出張レイキセラピストとしても活動中です。)


生まれたからには、挑戦するのだ。

ところで会社の破産をする際、ほとんどの場合は代表役員も自己破産する必要がある。融資返済義務は個人にもかかっているからだ。しかし私たちが借りていた政策金融公庫の創業支援は特殊な条件になっていて、なんと代表自身はその責を免れることができるということだった。

そういうわけで私個人の自己破産は免れたけれど、パートナーの自己破産は免れられなかった。今まで自分たちの給与を低くしすぎたこと、パートナーが無理をしすぎてそのストレスで買い物をしすぎていたこと、私がその状態を全く改善できなかったことで、パートナーは自己破産をせざるを得なかった。彼女は手続き的な活動はできないので、私は法人破産に加えて彼女の自己破産手続きと反省文も一緒に手がけていた。

彼女は通常ビジネスネームを使っていて、私もその名前で呼んでいる。私が書いている、書類の自己破産することになっているこの人はいったい誰なんだろう。この人は彼女だけではなく私でもある、と思っている。

起業するまで知らなかったが、法人になったばかりで資金もろくにない状態ではなかなか銀行に口座さえ作れない。その中で私たちに口座をくれた横浜銀行で「長い間のお取り引きありがとうございました」の印を押された時、本当に終わったんだなと感じた。たったの9ヶ月。短すぎて悲しかった。

横浜銀行の通帳を開くと、「生まれたからには、幸せになるのだ。」とペンギンのキャラクター"はまペン"が言っている。

私は、生まれたからには... 挑戦したい。挑戦しつづけたい。たとえ転落しても、刻まれた傷を癒して、何度でも復活したい。この体に流れる光を消したくない。光を表に放って、悠々と外の世界を歩いてみせたい。今、生ぬるい洞窟の中からもう一度、挑戦を始めている。


天然石のマクラメジュエリー制作の始まり

パートナーの健康状態がわりとよかったある日、彼女はふと思いついて、石集めが趣味の私が持っていた天然石をワイヤーで包んでみた、という事件が起こった。ワイヤーでパーツをつなぐアクセサリー作りは以前二人ではまったことがあり、制作キットは揃っている。

石が大きく穴が空いておらず、普通のアクセサリーは作りづらいということで、これまた以前はまったことのある「ペンデュラム」を作ってみた。(ペンデュラム:持つ人の問いに合わせて右や左に勝手に回る、振り子のこと。潜在意識の声などを聞ける便利アイテム)

改めてペンデュラムを使ってみたら、結構面白い。オーダーメイドで作ってくれたペンデュラムはかなりかっこよく、私はまたペンデュラムにハマっていた。それでも、何より嬉しかったのは「彼女に昼間にやることが(目や頭を痛めるYoutubeを見る以外に)あること」だったから、彼女のペースでぜひ制作していてほしかった。


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ただ、彼女はもともとPDCAの鬼... というか思いつき、インスピレーションはとどまるところを知らず、どんどん新しいものができていった。ペンデュラムも品数が増え、シーグラスのアクセサリーもでき、最初無理だと言っていた「マクラメ編み」にもチャレンジし始め、作品のジャンル、幅も広がっていって。

そうして、彼女が楽しく制作したアクセサリーは、noteのみなさんに出会って行くことになったのだった。


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「ひかりのいしむろ」の誕生

お店の名前は、ひかりのいしむろ。略してひかむろ。

6月にcreemaで販売用のお店を登録し、少しだけ売れて、noteとcreemaのお題企画 #私のハンドメイドストーリー に書いたらピックアップいただいたりして、その結果びっくりするくらいの方に私たちの話を読んでいただき、さらに買っていただくことになりました。

あの時読んでくださった方、買ってくださった方、そしてその感想まで届けてくれた方へ、本当に感謝しています。あの時のスキやツイート、購入がなかったら続けていられなかったと思います。

その後、やっぱり石にはワイヤーよりも紐である、という感覚からマクラメ編みが主体となり、新設したbase shopではマクラメ編みの作品のみ展示販売をしています。

見てくださった方、購入いただいた方、レビューいただいたみなさん、本当にありがとうございます。一緒に石を楽しんでいる感覚、とても嬉しいです!

7月、8月は展示販売のマルシェイベント出展や、さらに、8月末にはnoterのアーティストさんをお誘いしての自主企画も開催でき、多くの方に見ていただいたり、身につけていただいたり、購入いただいたり... 盛りだくさんの体験をさせていただきました。


この夏、noteやイベントなどを通じて知り合ってくださったみなさん、とってもとっても、ありがとうございます!

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もう人とは関わらないほうがいい、と思っていた私は、このnoteという場所を通じて、いつの間にか再びたくさんの人とのあたたかな交流の中にいることに気づきました。

それから... これを見てくださっている、以前の会社時代のお客様.. とはもう言えません。友人というか、同志ですね。本当にありがとうございます。



体がほぐれる、心がほどける 精麻と天然石のマクラメジュエリーへ

上記のような「天然石のマクラメジュエリー」。実は、石は天然でも、紐は自然素材ではありません。私たちだけではなく、ほぼほとんどのマクラメ作家は自然素材ではない紐を使っています。「ワックスコード」(蝋引き紐)の中身はほとんどの場合、石油を原料としたポリエステル。だからこそ「焼き止め」という、紐を何本も使っても、紐をキレイに焼き切る技を使え、複雑で美しい網目模様を編むことができます。


が、できれば本当は、すべての材料が自然なものであってほしい。できれば、紐は麻がいい。

と、私はずっと思っていました。廃業後、実は私は自分自身でもマクラメにチャレンジし、結局向かずに諦めているのですが、その時たしかに麻の紐と蝋引き方法を探していました。私にはハードルが高すぎて結局モノにならず、もう無理なんだとほとんど忘れかけていたのですが...

なんと、彼女が麻を使ったマクラメにチャレンジしているではありませんか!!そもそものきっかけは「もっと細い紐を使いたかった」だったということで、私の願望とはまったく違う道すじを辿って、同じ方向性にたどり着いていて、なんてラッキーなことだろうと感じています。

なぜ麻の紐がいいかというと、私は普段麻や綿の自然素材の服を着ていることが多いのですが、やっぱりどこか他の服とは違う感じがする...気のせいかもしれないけれど、気のせいは侮れません。

こちらは、麻の一種、リネンで編んだ水晶のネックレス。

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麻には放電する力があるのでは.. なんて思っています。電磁波や不快な感情の影響で、人の体には不要に電気が溜まっているらしいです。今試している麻の中では「精麻(せいま)」が相対的に良さそう。

麻の紐で石を編むということ。ぜひ身につけたいと自分たちが思えるくらいにこだわりたく、絶賛研究開発中です。


こちらは、精麻で編んだ水晶のネックレス。

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「やりたいことで生活する」ことを諦めきれない

ひかりのいしむろと書いて、復活と読みます。この名前はそういう意味なのです。森の中、大きな石が重なったような空間で、天井の石と石の隙間から光が差し込んでいます。その中で、生き生きと対話している人たち。会社の事務所を引き払った頃、その後の活動内容も定まらないまま、名前だけがぽっかりと私の心に浮かんできていました。

その空間の人たちのように、書いたり、話したり、撮ったり、作ったり。その人が持つ素直な気持ちや才能を活かして生きていける、そんな理想郷のようなことを、私はいまだに目指しています。


生計は立っていません。どころか、今月の家賃はおそらく待ってもらうことになる....というか光熱費もヤバい...。それでも仕方がないタイミングはあります。今がそれです。この秋冬は他で働きながらひかりのいしむろのプロモーションや展示販売の活動をしていきます。天然石販売のバイトに応募してますが、年齢で切られたのかも....。引き続き探していきます。
何より、今作りたい麻と石のアクセサリーを作るための材料費がありません。材料がなければ当然作ることも皆さんの手にお届けすることもできません。なんとかこの状況を打破したいと思っています。


とても、諦めきれない。

私が私の「好き」や「やりたい」をちゃんと活かしてあげること。

人がその才能、個性を生かして生きること。

noteを読んでいると、noterさん一人一人の自分自身を活かして生きたいと思う気持ちが刺さってきて、一緒に叶えていきたいと強く願っています。

まずは自分からではありながら、これは私だけの話ではなく、この時代に生きている一人一人の生き方の話なんだと強く感じています。

生まれたからには何度でも挑戦していい。たとえ転落しても、刻まれた傷を癒して、何度でも復活していい。私は私の「好き」や「やりたい」を大事に、活かして生きる。それが、”ひかりのいしむろ”に込められた想いです。

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※追記(2019/10/30)
10月に入り、ひかりのいしむろの制作担当でもあったパートナーと、関係を変えることになり、上記の天然素材のアクセサリーへのチャレンジは一時中止となりました。期待いただいていた皆様へは大変申し訳ありません。今後は、私のペースで、ひかりのいしむろの活動は続けていきたいと思っております。今後ともよろしくお願いいたします!


最後に : 私とひかむろの関連note/マガジン

今年6月からいろんなnoteを書いて、書いていただきました。特に上記に書いてきた内容から、ピックアップしています。気になるnoteやマガジン、ありましたら、ぜひリンク先からご覧ください。


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最初のひかむろ関連noteは、お題企画 #私のハンドメイドストーリー の応募作品「ずっと貴和製作所にいたい...社会不適合者のための作業所って、必要じゃない?」

ピックアップやシェアでたくさんの方に読んでいただきました。ありがとうございます!

私の思想については、こちらの「もしも、世界中の全員が好きなことだけやっていたら」(世界はうまくいくはずである)」をご覧ください。

なお、私の起業までのキャリアについて、退職エントリー等はこちら。


ひかむろの作品のご感想を書いていただいたnoteはこちらのマガジンにまとめさせていただいています。よければぜひご覧ください。


8月25日に開催した、noterさんとの自主企画(非公式)「noterハンドメイド展示交流会」(通称 noハン会)の関連noteはこちら。参加者さんやサポーターさんのnoteも盛りだくさん、現在43note集まっています。すごい!


今決まっている今後のひかむろの展示販売はすべて横浜なのですが、お近くの方、ご関心持っていただけた方、ぜひふらっと遊びに来てください♡ 



最後に、ひかむろbaseshopはこちらです。



最後までお付き合いいただいた皆様、本当にありがとうございます!!これからも、ひかむろ情報、私の挑戦、私のぼやきなど、noteに色々綴っていきたいと思っています。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

気軽にお声がけください。私はやっぱり人の中で生きていきたいです。


2019/09/9  原口あゆみ



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