【小説】君の芝生で生きる僕こそ狡い奴
もしも桜が永遠に散り続けたら?
それがあたりまえなら、見向きもされなくなるのか?
桜吹雪は夢心地。
今だけの儚さが、桜吹雪をなお狂おしいほど美しく見せる。
………けれど。
流れ続ける川の水面の煌めきはどうだ?
山頂からの絶景と、それを包む空気の清々しさは?
自然が織りなす一期一会の一瞬、そして、その連続。
時間という縛りさえなければ、ずっと触れていたくなるんだ、
………きっと。
─────── なんて、桜の木の下で僕らしくもないことを考えてみた。
本当の僕は、少なくとも今年の桜にはかなり飽きている。ここんとこ、亮輔の撮影に付き合っているから。今もそうだ。
僕の方はもう腹一杯なくらい、こいつは桜の写真を撮りまくっている。
『 桜の時期は、一年に一度しかない。仮に長生きしたからって、それでも数えられる回数しか撮りに来られない 』
そんなことを言われたら、一緒にいるには僕の方がこいつに合わせるしかない。
車を出すって言い出したのも僕の方。電車で行くには不便な所に、車を持てないこいつを連れ出してやっている。
***
亮輔は、高校時代から地味なのに妙に気になる奴だった。
人前には出たがらない、自分からほとんど話をしない。
そのくせ、一人でいたって全然ぼっちには見えない。黙って座っているだけで、密かに注目を浴びている空気すらあった。
クセが全然ない長目の黒髪を邪魔そうにかきあげる所作は、メランコリックだけど嫌味はない。
アイドルみたいな顔立ちとは程遠い。でも、目、鼻、口の形と配置バランスの良さは一目でわかる。特別なことをしなくたって、女の子達の視線を充分惹き付ける。
そんな天性の魅力を持ち合わせる、狡い奴。
一方の僕は、人当たりの良さしか売りがない。とりあえず友達はすぐ作れたし、人望もあったと思う。
そんな僕が、移動教室か何かの時に、なんとなく亮輔に話しかけた。
5センチくらい上から僕を見下ろしながら亮輔は返事をした。会話の内容は覚えていない。そのかわり、微笑んだ顔が印象的だった。結ばれている薄い唇の端が、ふっとゆるんで柔らかく上がる。なんだよ、ちゃんと優しい顔して笑えるんじゃん、こいつ。そんなふうに思った。
それ以来、学校にいる間に二言三言話をしては、最寄り駅まで一緒に帰る。そんな日が増えていった。駅前のファーストフードに寄り道をして、ポテトをつまみながらとりとめなく喋ったのもしばしば。
いつも僕から声をかけ、僕から誘った。友達がいるようには見えないから、クラス委員の僕一人くらい傍にいてやらないと。そんな上から目線のおせっかい。
どこか放っておけないのも、亮輔の狡い魅力のひとつだ。
亮輔は僕のことを特に拒絶しなかった。調子にのった僕は、時には見たい映画や買い物に誘った。亮輔はどこにでも付きあってくれた。
話しても話しても、僕らの共通点はほとんど無かった。それでも変に居心地よくて、会話に苦労はしなかった。まともな喧嘩も記憶にない。
放っておけないと言いながらも、いつのまにか僕の方が亮輔といる時間に満たされていた。
大学は別々だったけど、僕から連絡をしてだいたい月に一度は会っていた。社会人になった今もそれは続いている。
日常のことを報告して、亮輔の日常を聞き出す。大学でも、特定の友達とつるんでいる様子はなさそうだった。誰かがこいつのことをちゃんと把握してやらないと。その役目を果たす、その為にきっと僕はいるんだ。
二人とも法学部。ただし、真面目に勉強して市役所の職員採用試験に合格した僕と違って、親に言われて嫌々進学した亮輔は、大学3年で突然カメラにハマった。
一から勉強したい、大学は中退でいい、残りの学費をカメラの学校にあててほしいと亮輔は親に懇願した。しかし、それを許さずとにかく就職を勧める親とは不仲になる一方だった。
結局、卒業後は実家を出てカフェでバイトしながら暮らし始めた。
亮輔の写真は、ほぼ我流だ。
クリエイティブなことは、続ければ必ず目が出るもんでもないだろう。それを承知で、ひたすら風景写真を撮り続けている。
カフェのバイト代だけじゃ写真に必要な道具を買うには全然足りない。新品のレンズ1本で軽く6ケタに到達すると聞かされた時は僕も驚いた。
だから、亮輔は今でもたまに身体を売って稼いでいる。好きでもない相手とやれるもんなのかと聞いてみたら、行為そのものは嫌じゃないから金が絡めば誰とでもやれなくはない、と無表情な顔で亮輔は答えた。
金なら僕が貸してやる、だからそんなのやめとけよ。そう何度も言いかけては飲み込んだ。頼まれたら喜んで貸す、でも僕から提案するのは高飛車な気がした。
機材が良ければその分いい写真が撮れる。だから、プロカメラマンとして稼げる人は、機材に金をかけてより良い写真が撮れる。そんな写真のおかげで仕事の依頼もこと切れない。そんなスパイラルがあると知った亮輔は、どうやってカメラで食っていくかずっと悩み続けている。
それでもカメラしかやりたくないからと、他の仕事に就くわけでもなく写真を撮って暮らしている。
生活するため、写活の交通費とかの金がいるからバイトする。それで写活の時間が削られすぎると写真の腕が上がらない。時間が惜しくなると、身体を使ってワリのいい稼ぎ方もする。そんな自分は特定の恋人なんて作るわけにはいかない。亮輔が陥ってるのはそんなスパイラル。
ワリのいい稼ぎだけに絞らないのは最後の良心だといつか話していた。
ようやくカメラでほんの僅かな金がもらえることが増えた。亮輔がそうつぶやくようになったのは、30を過ぎたつい最近のこと。
仕事の依頼を受けると、普段よりかなりテンション高めで、どんな写真を撮るだの撮ってきただの、自分から僕に語る。そんな様子を見れるのは、僕も純粋に嬉しい。
本当に行き倒れそうになったら僕が養ってやるよ。冗談めかして亮輔に伝えてみたら、曖昧な顔で笑っていた。
こいつを愛してるとかそういうわけじゃないけど、部屋を借りて一緒に暮らしてもいい程度には近しい存在だと思っている。
結婚なんて煩わしい関係に縛られるより、気が合う奴とのルームシェアはきっと悪くない。特に夢も希望もなく安定志向で決めたけど、僕だけでもきちんと収入のある職についたのは結果的に正解だ。
亮輔の生き方を心から応援しようと思っていたら、自分の恋愛や結婚にはいつのまにか興味をなくしていた。
女子とは仕事でそれなりに知り合う。けど、どうしても付き合いたい子も、付き合ってくれと言ってくる子も、今のところ現れていない。
***
「 なぁ 」
ファインダーをのぞいたままで、亮輔が僕に声をかけてきた。
彼の左側に突っ立っている僕から見えるのは、左目を閉じたままの横顔。
──── こんな顔でもいちいち色気あるとか反則なんだよ、顎のラインとか。
高校時代は長目だった髪は今じゃショートで無造作な流れを造ってる。……どうせ何だって似合うんだろ?丸刈りにしたら絶対美坊主とか言われるんだ。
カメラに触れている指先だって、きっと手フェチのお姉さんとかが悦びそう。
親友が男前だと、自慢半分、やっかみ半分になってしまう。
「 ……… なに? 」
心の中で軽く毒づいてから返事をすると、
「 すげぇ強風で桜が一気に吹雪く瞬間て、抱いてる女が二カ所イキするのによく似てるよな? 」
そう話すトーンは、どうってことない日常会話とまったく同じ。
「 ……… いきなりすぎて、言ってる意味がわかんないんだけど 」
唐突すぎるエロ系統の話の意図がわからない。
「 なんつーか、散る前にさ、こう、ふるふる震えんのが。女もそうだろ?中イキで昂りきって震えてるとこに、もう一カ所で来たのが重なって、快楽が一気に放出しまくるってところが 」
変わらず、淡々と亮輔は語った。
「 …………そうだろ?って、いや、あのなぁ、………細かく説明すればわかるっていうんじゃなくて。こんな天気のいい真っ昼間から何の話してんだよ?ってこと。おまえ、いつからそんなむっつりな奴になったんだよ?………それに、……なんだよ?……その、…にかしょイキ、って 」
「 知らねぇのかよ?後でゆっくり説明してやるよ 」
「 いや、なんか、別にいい 」
「 おまえが質問してきたんだろ 」
そんな話を続けながらも、亮輔は姿勢を全く崩さない。カメラに手をかけ、シャッターチャンスをずっと狙っている。
国立公園の広場の中央に佇む一本桜。周りはだだっ広い芝生。カメラマンじゃなくたって、映える写真てヤツが撮れそうな場所だ。
樹齢何百年だかのずしりと野太い幹とは対照的に、桜の花の甘いピンク色が空を覆いつくすように広がる。
この場に着いて、かれこれ2時間近く。さっきから風で桜の花びらが散ると亮輔はシャッターを切っているのに、コレという写真がまだ撮れないと言う。
それきり、亮輔は黙る。
それ以上どう返していいのかわからず、僕も黙り込む。
金のためとはいえ、場数は僕と桁違い。僕の知らないことも色々知っているのは当然だ。
亮輔の発言のせいで、僕の頭の中はこいつと見知らぬ女の子の妄想を始めようとしている。そのくせ、本人から直接生々しい話を聞く気にはなれない。
「 ……… あ、来る 」
不意に亮輔がつぶやいた。
何度も桜吹雪を受けた身体は、次の訪れを風で察知できるらしい。
───── 凪いでいた空気の流れが、徐々に強まってくる。
くすぐられているようにさわさわと動く花弁たち。
その動きが、ぐっと凝縮したように強まり、小刻み震え始める。
その次の瞬間。激しい風のひと押しでザァァ……と空に無数の桜色の破片が一気に解き放たれて、流れにまかせて狂ったように乱れ飛ぶ。
風の音と交錯しながら響く、高速シャッターの連続音。
…………呆然とした夢見心地を覚えつつ、この今の瞬間にすがりついて叶わない永遠を無意識に願っていた。
花弁たちは、だんだんと穏やかな舞いに落ち着いてゆく。
そして、流れの余韻ではらりはらりと揺れ落ちてゆく姿に、一連の乱舞の終わりを知る。
────── 美しい。もっと、ずっとずっと見ていたい。
なんだか泣きたい、それは感極まってのことか、極上の至福のひとときを喪失する嘆きのためか。
───── 何事もなかったように、桜は静かに佇んでいる。
「 ………………賢者タイム 」
不意に亮輔の声が耳に入る。お天道様の下ではあまり聞かない単語で僕は我に返った。
「 今、なに想像してたんだよ? 」
見れば、いつのまにか亮輔はファインダーじゃなく僕を見ている。口元だけが僕をからかうように笑っている。
「 ………べつに、ただ見とれてただけ。だいたい、妙なこと言ってキレイな景色を冒涜すんなよ 」
「 冒涜、……ね 」
自嘲気味に亮輔はつぶやくと、プレビュー画面を確認する。
その口調に胸が一瞬締め付けられる。こいつなりに何かを真剣に表現し、それを僕が頭ごなしに否定した。そんな空気を感じ取ってしまったのだ。
「 ………イイやつ、撮れたの? 」
子供を叱りつけ、後悔してなだめにかかる親みたいに、僕はできるだけ柔らかな声色で話しかけた。
「 ん?ああ 」
カメラをいじってた亮輔は、息をひとつ大きく吐くと、レンズキャップをカメラにはめる。
「 そう。なら良かった。お疲れ 」
「 あー、おまえにも1枚送っといたから 」
ポケットからスマホを出して、亮輔から送られた画像を確認する。
水色の空の半分を覆う桜の枝先から吹き流される、淡く薄い紅色の花弁たち。鮮やかな輪郭のもの、太陽の光を透かして消え入りそうに儚く煌くものが混在しながら、数えきれないほど空中に漂っている。
──── 不意に、耳の奥を女の啼く声に突かれた気がした。ぞくりとして、それを払拭しようと頭を振る。
そんな馬鹿な。気のせいだろ、さっきの亮輔の話にインスパイアされすぎてんだろ、僕って奴は。
「 …………こんなの、よく撮れんな。上手くなったよな 」
月並みな感想を告げる。いつもこんな言いまわしばかりだ。
「 またかよ、そのクソつまんねぇ感想 」
そう言いつつ、亮輔は少し頬を緩める。僕の単純な誉め言葉でも、いつも悦ぶ。
愛想のない分、不意打ちで顔に滲む素直さは、狡いを超えてこいつの凶器。一緒にいてそんな顔を目にするたびに、僕にだけ心を許してくれてんのかなと軽い優越感の中毒に酔いしれている。
***
公園のパーキングへ向かって歩きながら、亮輔が口を開く。
「 さっきは悪かったよ、あんなこと言って 」
「 え? 」
「 エロい気分にでもならなきゃ、そんな感じのが撮れなかったから 」
「 そんな感じ、ってどんな感じだよ? 」
「 小説のね、表紙に使いたいんだって、桜の花を。官能小説家のお客さんが 」
亮輔は依頼してきた人のことを「 お客さん 」と呼ぶ。写真を依頼してくれた人へのこいつの礼儀だ。
「 …………そうだったのか 」
亮輔なりに依頼に沿えるものを撮ろうとしたのに、僕は冒涜という言葉で踏みにじった。そのことに気づいた僕はバツが悪くて、いたたまれなくなった。
「 ───── 僕の方こそ、ごめん 」
「 何が? 」
「 おまえは一生懸命仕事してただけなのに 」
「 ……… 口に出せる相手が側にいて良かった。思っただけじゃパッとしねえし、独り言だとヤバい奴でしかないし 」
それだけ言うと、行こうぜ、と亮輔は僕をパーキングへ促す。
「 ……… 送ってくれたアレを納品するの? 」
「 いや、レタッチするから。それは撮りたてほやほやのそのまんま 」
頭の中では、売り物にするビジョンが出来上がってるらしい。
「 その官能小説家の人って、……… 女の人? 」
「 ああ 」
──── 枕営業でもしたのか?
そんな質問が胸を尽く。が、聞けない。何の営業でも、自力で依頼を取りつけて写真で稼ごうとしてる亮輔を否定したくなかった。
「 ……… ん?じゃあ、おまえの写真が表紙の本屋に並ぶってこと? 」
「 どうだろな。本は本でも電子か、同人誌かも。自称小説家なだけかもしれねぇし 」
「 なんだよそれ。何で細かいこと確認してないの? 」
「 どうでもいいよ。俺の写真がいいって言ってくれてるだけで 」
「 ちゃんと謝礼はあるんだろな?褒め言葉だけじゃ食ってけないだろ? 」
「 あるみたいよ、気に入ってくれたらね 」
「 みたいよ、っておまえなぁ……… 」
「 言うほど稼げてなくねぇよ、心配すんな。おまえの年収の百分の一くらいだけど 」
「 おまえ……それは、稼げてないだろ…… 」
『 自分はこれしかできない 』みたいな人生を、何かに器用に乗っかるでもなく、感性と身体という己だけを頼りに、とれる手段だけで真っ直ぐ地で行こうとする。
そんな亮輔が危うく心もとなく、見ているだけで苦しくなる時もある。
でも、ひたすら刹那的に何かを追い求める熱意が羨ましくもあった。
こいつに言わせると、僕の方を羨むことがあるらしい。安定した収入に勝るものはない、そのための仕事で満足できるのが羨ましい。皮肉なんかじゃなく、やるせない顔でいつかそう話していた。
「 ………いつか俺が広報課に異動になったら、市の広報誌の写真の仕事、おまえに回してやるから 」
「そりゃどうも。期待しないで待ってるわ」
「 本当だよ。まあ、やってみたい仕事だから異動希望も出してるし。この春は駄目だったけど。でも、だからさ……… 」
「 だから? 」
「 絶対続けろよ 」
「 何を? 」
「 カメラ 」
「 は?いつ誰が止めるなんて言ったよ? 」
強気な返事。まだ当分、僕たちはこのままでいられそうだ。
お互いに隣の芝生が青いだけかもしれない。
とはいえ、こいつの芝がいつまでも色褪せないよう、できる手助けを買って出るのが僕の使命。
亮輔を応援していたい。
それに、嘘偽りは断じてない。
………………けれど。
本当は、こいつを助けてやって満足しながら、それを生き甲斐みたいにしている僕がいる。
こいつがカメラしかやりたくないなら、特に夢のない僕は、亮輔のカメラという夢に乗っかっていたい。
どうにか今より売れてほしいさ。
身体売るとか、いつまでそんなことするつもりなんだよ。
ただ、売れすぎて、僕から離れて僕の知らない世界へひとりで行かないでくれよ。
「 こないだ、一人で夜桜を撮りに行った 」
そんな僕の心の奥底を知らないまま、亮輔は無邪気に話す。
「 夜桜? 」
「 その方が、それっぽいかな、と 」
「 それっぽい、……官能小説ぽいってこと? 」
「 けど、一人じゃ、なんか上手く撮れなかった 」
「 そっか 」
亮輔が立ち止まって僕を真っ直ぐ見下ろす。
「 今日は、おまえがいたから撮れた気がする。ありがとな 」
こいつは言葉を使い分けてる。「 そりゃどうも 」じゃなく「 ありがとな 」の時は、間違いなく心からの感謝を込めている。
「 ……なんだよ、あらたまんなよ、気持ちわりぃ 」
照れ隠しにそう答えると、亮輔は目を細めて吐息で笑う。
乗っかった夢の上でこいつのこんな顔見て満たされたりして、一緒に夢を追うみたいな共存で生きようとしているのが僕なんだ。
おまえの芝生にすがって、無責任に夢見る気分の居心地のよさだけを貪っている。おまえは身体まで張ってるというのにね。
僕の方こそ狡い奴で、本当にごめん。
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