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町の銭湯は、シェアリングエコノミーの原点

シェアリングエコノミー協会四国支部長であり、銀行員で映画監督の香西志帆です。実は、昨日の帰宅途中に、いかにもレトロな銭湯を見つけて大興奮しました。スーパー銭湯はよく行くのですが、町の銭湯って、本当に少なくなってますよね。町の昭和の遺産のような・・・なくしてはいけない風景のような気がするんです。

寄り道をしながら帰っていたら、突如見えてきた煙突。

最も古いシェアリングエコノミーは「銭湯」なのではないか

私たちシェアリングエコノミー協会では、カーシェアや民泊、「タスカジ」などのスキルシェア、コワーキングスペースなどの空間シェア、クラファンなどの金融分野などさまざまな「シェア」を応援しています。最近急に広がっているような気がしていましたが、もしかして「銭湯」こそシェアリングエコノミーの原点ではないか、考えながらトップの画像を撮影しました。(残念ながら、風呂の用意をしていなかったので、立ち寄っていません)

町の先頭の存在意義とは何か

銭湯(公共浴場)の成り立ちは、江戸時代でした。今のスタイルが完成したのは、各家庭にお風呂がまだなかった頃の昭和時代だそうです。しかし、今でもなお存在し続けるのは、なぜでしょうか。厚生労働省の「衛生行政報告例」の中では1996年に対して2016年の先頭の残存割合を調べたところ、全国でまだ41%の銭湯が残っています。個人的には、町の銭湯とスーパー銭湯と温泉は別物だと考えています。温泉は「レジャー」、スーパー銭湯は「エンタメ」で、「町の銭湯」は「日本文化」だと感じています。お風呂そのものはどれも癒しや体の汚れを落としたり、疲労回復効果を求めて入りますが、「銭湯」には、存在を確認するだけでも、湧き上がる懐かしさや何とも言えない喜びを感じます。

銭湯で初めて登録有形文化財となった「源ヶ橋温泉」

レジェンド温泉「源ケ橋温泉(げんがはしおんせん)」

銭湯で初めて登録有形文化財になったのは、大阪市生野区の源ケ橋温泉だそうです。2020年1月のコロナ前に廃業してしまいましたが、そう言えば、学生時代に一度、お寺などの文化遺産を訪ねると同じようなテンションで行ったことがありました。特徴的なのは、屋根の上のシャチホコと狛犬のように配置された自由の女神像。これは「入浴」と「ニューヨーク」をかけたダジャレではないかと友人と話し合いました。ともあれ、終戦後には一日1000人の心身の疲れを癒したそう。これはかなり重要な「日本文化」と言えます。

屋根の上にシャチホコと2体の自由の女神

シェアリングエコノミーの歴史を体感したくなった

今でも残っている日本懐かしの「銭湯」。近所で見つけたものの、おそらく、いつまであるかは不明です。3歳の息子を持つ親として、この風景を懐かしいという記憶を伝えたいなあと強く感じました(いつもよく行くのは、スーパー銭湯ですが)。私自身、シェアエコの歴史を体感するためにも、子どもと「文化体験」をするためにも、ときどき近所の「銭湯」へ行こうと思います。ぜひ皆さんも探してみてください。

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