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じいちゃんと鬼が眠った日

じいちゃんは、お酒を飲んで気に入らないことがあれば、窓からコップやら小皿やらをパーっと投げ捨てる。そうなるとテレビを見ている私といとこのゆりちゃんは二人で奥の部屋に引っ込まないといけない。子供を怒鳴るわけでもないし、手をあげるわけでもないが、
“もう、こんげなん料理は食わん!”
と大きく自己主張する老人は見ているだけで怖い。

ばあちゃんはその日のうちに壊れたコップやら皿を取りにはいかず、次の朝までそのままにしておく。じいちゃんが朝起きて、昨夜と同じ場所に座ってお茶を飲む時にその無残な姿を見せつけるために、わざとそのままにしておく。
じいちゃんは何も言わず、いつも通りに静かに朝ごはんを食べ、メガネをキュキュッと磨いて、行ってきますの声もなく出て行く。

じいちゃんに最後に会ったのはいつだっただろう。東京の大学に進学してから一度は会っただろうか?会っていないような気がする。アメリカに留学してからはもう日本に帰ること自体が稀で、会うことはなかった。

ふと思い出して留学して何年後かにミネアポリスからじいちゃん宛に絵葉書を出したが、それがじいちゃんの元に届いたのはお葬式の次の日だったとおばさんに聞いた。

じいちゃんは私がハガキを投函した頃に自転車に乗って家に帰る途中、転んで後ろから来ていた車に轢かれて死んだ。75を過ぎて、人に迷惑をかけないよう免許を返上したすぐ後のことだった。その話を聞きながら、じいちゃんは丸くなったんだな、と思っていた。私が小さかったころのじいちゃんはそんなんじゃなかった。

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無口で、しかめっ面で、一緒に楽しくおしゃべりをした記憶は全くないじいちゃんだが、私たち孫には優しいこともあった。
軽トラの荷台にわたしとゆりちゃんを乗せて、遠くのさとうきび畑まで走る。そして大きなカマでサトウキビをバッサバッサとなぎ倒し、アイスキャンディーくらいの長さにスパッと切ると、シャッシャッと先っぽの皮を向き、私たちに手渡す。
甘くて、ジューシーで、その繊維質の茎をパッサパサになるまで夢中で吸い尽くすと、サッとまた次の棒が出てくる。

”じいちゃんは食べんとね?” そう聞く4歳の私に

”いいと、いいと、じいちゃんはシマちゃんが食べるのを見ちょるだけで、お腹がいっぱいやと”

いつもそう答えて、自分はサトウキビを食べることはなかった。

夕飯時にばあちゃん家に帰ると、もうご飯ができていて、子供二人はテレビを見ながら正座をして、もずくやら焼き魚やらをおかずにご飯を食べる。時々は “シマちゃんとゆりちゃんが好きだから” と言って、ばあちゃんが一品余分に甘いミートボールを小皿にだしてくれたりする。

じいちゃんはお酒を飲み、機嫌がいいとそのまま夜ご飯を食べるが、機嫌が悪くなると癇癪を起こし、皿を窓から投げる。

そんなじいちゃんが私が通う幼稚園に来たことが2回あった。

私の幼稚園はお寺の境内にあり、園長先生はその寺の住職の奥さんだった。
なので宗教的にはクリスマスはない、と思われるが12月になるとクリスマスツリーの切り絵をし、サンタさんにお願い事を書くという子供らしいアクティビティもあった。

じいちゃんが前日にサンタさんの衣装を家で着て、偽物のヒゲもつけるのを見た。
ばあちゃんの部屋の長い姿見に映る滑稽なその姿を見て、私とゆりちゃんはゲラゲラ笑った。じいちゃんは帽子の先についたポンポンを何度か直したが、その安っぽい帽子はキチンと思うところにポンポンが垂れることはなかった。
そばにある大きい白い袋の中にはプラスチックのブーツのなかにお菓子が詰められたものがたくさん入っていた。

翌日じいちゃんはその袋を担ぎ、昼ごはんの後に幼稚園に現れた。
ほーほーほー、メリークリスマス! と歌うように叫びながら、お菓子のブーツを園児に配るじいちゃんを見て、私はとても興奮していた。
みんなは ”わーーー、サンタさんだ!” とはしゃいでいたが、そのみんなに向かって大きな声で 

これは、シマのじいちゃん!シマのじいちゃんやぁ!と叫んだ。

私の訴えに耳を貸すものはおらず、みなお菓子とサンタに夢中だった。
私もブーツをもらったが、じいちゃんは何も言わなかった。

家に帰り、じいちゃんに聞いた。

”じいちゃん、今日シマの幼稚園に来たじゃろう?サンタさんの格好してきたじゃろう?”

じいちゃんは “そうじゃけど、みんなは知らんから、言うたらいかんど”
そうきつく言った。秘密なのだ、とやっとわかった。

そして2月の頭にじいちゃんはまた幼稚園に来た。

今度は赤い鬼の着ぐるみを着て、大きなプラスチックの金棒を持ち、変に手足をガチャガチャと動かしながら教室に入って来た。
もちろん前夜に紙の鬼の面がついた落花生の袋がたくさん袋につめられてあったので、それが自分のじいちゃんだとすぐにわかった。
今度は誰にも正体をばらしてはいけない。

みんなはその落花生の袋を破り、じいちゃんめがけて一斉に投げる。

鬼は外!外!あっちへ行け、鬼!と寄ってたかってバンバン投げつける。

私は落花生を手に持ったままハラハラしていた。
じいちゃんは鬼じゃないのに。
シマのじいちゃんなのに。
あれは本当の鬼じゃないのに。

サンタのこともあり、みんなには言っていけないことはわかっていたので、ふるふると震えながらじいちゃんがみんなに追い出されるのを見ていた。床に散らばった落花生を競うように拾うみんなを見て、悔しいようなやるせないような気持ちを4歳の私は体験していた。

夕飯は私たちの好きな鳥モモステーキだった。
骨つきの肉にかぶりつきながら、ちらっとお酒を飲むじいちゃんを見た。
ちょっと赤い顔で、機嫌がいい様子でテレビを見ている。

じいちゃんは鬼じゃなかった。
まぁ、ばあちゃんにとっては時々鬼みたいになってたけど。

私はじいちゃんの誕生日も命日も覚えていない。でも毎年節分が来ると機嫌の良い様子のじいちゃんを思い出す。今はばあちゃんも一緒だから空の上でもお皿を投げてるかもしれない。

シマフィー

*去年の節分の時期に書いた”鬼とじいちゃんと節分”にちょっと付け足して再掲載しています。

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