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弱小野球部が弱くも小さくもない光景

WBCの盛り上がりを見ながら考えるのはもうなくなってしまった我が校の野球部のこと。

うちの運動部は弱小チームばかり。
アメリカでは季節ごとにチームスポーツが変わり、秋はラクロス、冬はバスケット、春はクロスカントリーなど一人の生徒が3学期違うチームで頑張ることも可能だ。(*アメリカ東の私立高で教師をしています)

運動が好きで得意な生徒はあらゆるクラブで活躍するが、そんな万能選手がいたとしても1学期という短い期間ではチームの結束やあうんの呼吸のような連帯感は生まれにくく、特に我が校では生徒の入れ替わりも多いため、チームワークの基盤を作るのが難しいからだろうと察する。

ここで働き始めてからずっと、私はシーズン中の放課後、できるだけ練習やホームゲーム(ホスト試合)を見に行くようにしている。
生徒たちの教室外での意外な一面や表情が見えたり、彼らがわたしを見つけた時に手を振ったり投げキッスをするのが可愛いから。

何年も前に留学生が増えてからはもっと頻繁に顔を出すようになった。
現地の生徒は両親揃って試合を見に来ることもるが、留学生は家族の応援もないためせめて大きい声で名前を呼んであげよう、と時間が許す限り行くようにしている。

そんなうちの弱小チームの中でも特に弱小だったのは野球部だった。

そもそも部員が13人しかおらずそのうち野球経験者は日本人の留学生2名だけで、残りは野球のルールも知らなかった子たち。
面白いことにそんな野球部にはあちこちからの留学生と現地の子供が集まり、国際色豊かで練習風景はハラハラしながらも楽しいものだった。
英語がまだおぼつかない子もみんなにサポートされながら頑張る姿は可愛いもので、練習の応援にもつい力が入る。
そんな野球部だったが、試合となるともう散々な結果ばかりであまりにも可哀想すぎて涙が出ることもあるほどだった。
18対0や20対2などはざらで、一度は36対2で負けて来たこともある。
5回コールドのシステムがないのが恨めしくなる数字だ。

それでも彼らは放課後の練習に打ち込み、キャーキャーワイワイ言いながらも限られた時間内は精一杯練習して、負けると分かっている試合でも真剣な表情を見せ、こちらもホームゲームや練習を見に行くのを楽しみにするほどだった。
そんな和気藹々としたチームだったが残念ながら最終的には人数が集まらず野球部は3年で無くなってしまった。
日本人のエース二人も卒業し、わたしが野球の試合を見たのはその子たちが頑張った7年前の5月中旬の最後のホームゲームだった。

その時も負けたのだが、確か12対7くらいの“僅差”で負け、みんなが最後に悔し涙を流しながらも嬉しそうだったのはバントが成功し、ホームランが出て、牽制を抑え、本来は2塁打のところを懸命に走り3塁打にした、そんな自分たちなりの力を出せた試合だったからだろう。
技術も知識も足りず、日本でなんとなくテレビで野球を見ていたわたしでさえ助言ができるようなチームでだったが、毎回毎回試合ではボロ負けしても “次は頑張る” と言えるいい子たちばかりだった。

その最後の試合にはバッグにいっぱいのオニギリを持って応援に行った。
グラウンドの真ん中で泥だらけの手で、アメリカの子も、韓国の子も、イタリアの子も、メキシコの子も、中国の子も、ブラジルの子も、日本の子も、みんな大きな口でかぶりつく姿を見ながら私は、これが”チーム”というものであるのだなぁとしみじみと感じていた。
”ねぇ先生、もう一つ食べていい?” とあちこちから声が聞こえ、この光景を見ているのがわたし一人で残念だと思うばかりだった。

日本人の子はオニギリについてみんなに説明をし、韓国の子は似たようなものがある、と教え、イタリアの子は美味しいねぇ、と感嘆する光景。
アメリカの子が明日もキャッチボールしようと誘い、ブラジルの生徒がお前も来いよ、と中国の子を誘う光景。
留学生を受け入れ始めて、学校内で中国人は中国人同士、英語がネイティブの子はネイティブ同士、と“同類”のグループで行動することを問題視する教師が多数おり、職員会議で留学生の受け入れを制限するべきだと声が上がっていた頃だった。
弱小野球部のメンバーは心は全然弱小ではなく、練習中も試合後も、心の強さや大きさを自然に出せるいい子達ばかりなのに。そして他の子達もそんな強くて美しい部分があるのに。

問題視されるべきは大人の私たちが子供達に結束する時間と場所をあげなかったこと。
大人が見た目だけで“同類”とレッテルを貼っていたこと。
大人が彼らのありのままの姿を見る暇を作らなかったこと。
野球部はもう無くなってしまったが、どのクラブの練習や試合を見に行く時もあの子供達のことを思い出す。
今はサッカーで、クロスカントリーで、テニスで、パスケットで同じ様な光景を見る。色々な言葉で表現でチームとしての結束を固め、肩を抱き合い、大きな声で褒め称えあい、子供なりの方法でお互いを尊重し合う光景だ。
残念ながら、ギャラリー席にいる教師はまだわたしと後一人、二人だけ。
職員室を出る時に“シマ先生は放課後プライベートの用事がないの?”と笑うのは毎日が特等席なのを知らない可哀想な“同類”の教師たちだ。

そんな奴らの同類でなくて良かった、と居合わせた先生と目配せをしながら負けるであろうサッカーの試合で大きな声で生徒の名前を呼び、せんせーーーい、と叫ぶ彼らに大きく手を振る放課後が私にとっての最高の世界大会。

シマフィー

*以前書いた記事を編集・加筆して再掲しています

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