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平成→令和で変わっていった「インターネット」へ愛を込めて

今日は2019年4月30日、平成最後の日ですね!せっかくの日なので、少し平成を振り返ろうと思います。各ジャンルの振り返りはありますが、私が大好きなインターネットについて、特に平成のインターネットがどうであったのか、令和でこれからどう変わっていくかを少し書いてみました。

平成が終わる今日、平成生まれの若い人にとっては過去を学ぶ、そして昭和生まれの同輩〜先輩にとっては過去を懐かしむ記事として、平成のインターネットの変化とこれから始まる令和のインターネットのあり方について書いてみたいと思います。

▪平成初期のインターネットはどういう世界だったか?
私は昭和62年生まれ、ちょうど平成が始まる1年前に生まれました。当時のインターネットというのは、まだ一般的に馴染みがあるとは言えない時代でした。当時のAOL(インターネットのプロバイダー)のことを知っている人も、今では少なくなりましたね!

今でこそ、

・Amazonでワンクリックでショッピング
・Suicaでキャッシュレス決済
・メルカリで不用品を出品

こういうことが当然になりましたね。しかし、平成初期のインターネットは、もっと殺伐としてカオスな状況でした。ルールもなく、監視もない。それゆえに、一部のギーク(テクノロジーに明るいオタク)にとっては夢のような世界でした。そこには自由があり、可能性がありました。

Apple創業者スティーブ・ジョブズも、最初にマッキントッシュのコンピューターを見たときにこう言っていました。

「作業中に作業の様子が見える。自由ってことだ!」

スティーブ・ジョブズの時代は平成よりさらに前、コンピューターが一般的になる前の話ですが、私はこれは平成初期のインターネットに近い感覚だったのだと思います。そう、そこには自由があったのです。

あまり知らない人も多いと思いますが、インターネットはもともと大学の研究機関で論文などの情報をシェアすることを目的に作られたものです(諸説ありますが)。それが商用利用され、軍事利用もされたりしつつテクノロジーの発展とともに一般的になりました。これは、情報を探しにくいという「不自由さ」が原点にあります。そしてインターネットがどう自由をもたらしたか、今どうなっているかは言うまでもないですね!

さらに言えば、今でこそ当たり前に使われているYouTubeですが、これが世界的に爆発的に普及したのは、

・映画や海外ドラマの動画が普通に観れた
・アダルトコンテンツも普通にあった
・広告主もいなく素人でも歌やダンスを気軽に投稿できた

このような要因がありました。もちろん今ではこんなことありえません(Googleの監視が厳しいので!)が、人間の根本にあるドロドロとした欲望がインターネットには渦巻いていました。そして私は、そんなインターネットが大好きでした。

・お金を払わずに映画を観たい!
・海外女性の裸を見てみたい!
・自分だって誰かに注目されたい!

こういった、誰にでもあるような素直な意見が言える雰囲気があったのです(もちろんこれらが法律的にOKだったかは別問題ですが!)。人間の本能や直感、そして本音を隠さなくて良い世界。これが平成初期のインターネットだったのです。そう、そこには自由がありました。

「テクノロジーはエロで進化する」と言われることもあるくらいですしね。人間の3大欲求があるからこそ、それを求めて人はより便利なツールであるインターネットを使うようになりました。

▪監視され窮屈になったインターネット

では現在のインターネットはどうなっているでしょう?

2017年における個人の年齢階層別インターネット利用率は、13歳~59歳までは各階層で9割を超えている。また、所属世帯年収別の利用率は、400万円以上の各階層で8割を超えている

総務省 インターネットの利用状況より

日本の人口は約1億2千万人ですから、約1億人前後の人がインターネットを使っています。これは今後も日本の識字率(文字が読み書きできる人の率、日本ではほぼ100%)のように、もっと上がっていくでしょう。

人が増えると、何が起きるか?そこには「周りの目」が存在するようになり、もっと言えば「監視」をするエコシステム(生態系)が生まれるようになります。

具体的に言うと、渋谷スクランブル交差点で寝そべった外国人が逮捕されることはあっても、人がほとんどいない田舎の交差点で寝そべってもほとんど誰も見てないから問題ない、という感じですね。「まぁいっか」という感じでスルーされていたものが人が増えるとどんどんなくなっていきます。これが今のインターネットです。

インターネットには、自由を求めている若者が多くいるように見られます。最近でいうとその最たる例がTiktokです。

Tiktokを使ったことがある人は分かると思いますが、Twitterでフォロワー1万人いるとものすごい、と言われる中で、Tiktokは素人の高校生が投稿した動画に100万いいね!がつくこともよくあります。Tiktokには「素人でも投稿できる自由さ」があります。これは初期のTwitterも同じで、140字という制限があったからこそ、文章作成や思考などがあまり得意でない人であっても自由に発言がしやすい空気がありました。

今では「え、こんなことで?」と思うようなことで炎上しちゃいますね。最近でいうと、経団連会長が「終身雇用を続けるのは難しい」と言ったこと、東京大学名誉教授の上野千鶴子氏のスピーチが話題(炎上?)になっていました。こういった、いわゆる「ホンネ」を言うと、今では多くの人がバッシングをしてきます。もちろん意見のダイバーシティ(多様性)は、とても大切です。賛成派だけでなく反対派がいて、平等に議論ができる。これこそ、民主主義であり思想の自由があることの恩恵です。

しかし、平成後期のインターネットは、あまりにも窮屈になりすぎました。今では日本のほとんどの人がインターネットを使うようになり、その結果として一部の少数が使うことを前提としたシステムは崩壊しつつあります。その空気感を察知した若者や一部のおっさんたち(私を含め!)は、違うコミュニティに属するようになりました。

これはどういうことかと言うと、身近な例で言えば、

・Facebook
・Twitter
・Instagram

こういったサービスで、それぞれ違うことを投稿している人がほとんどでしょう。それぞれのサービスには空気感があり、雰囲気があります。例えばInstagramには、Facebookでは投稿できる飲んだくれの写真も投稿しにくいことがありますよね。

このように、使うサービスによって違う人格、違う世界、違うパーソナリティを持つことが当然になり、インターネットは1つの自由な大海から、小さな海がそれぞれ断絶された世界へと変わっていきました。それくらい、平成という時代はインターネットにとっては大きな変化があったのです。

特に私のように、初めてインターネットに触ったのが小学生のころ、当時はweb掲示板が最盛期で、1つの画像を読み込むのに3分かかっていたころのインターネット・ラバーにとっては懐かしいでしょう。平成生まれの人は「そんな時代もあったねと、いつか話せる日がくるわ」と中島みゆきでも聴きながら覚えておいてください(これもジェネレーションギャップ?)。

▪令和時代これからのインターネットはどうなるか?

インターネットは、言うまでもなく素晴らしい発明です。世界三大発明である活版印刷、火薬、羅針盤に並ぶ、いやそれ以上の可能性を秘めた発明だと私は信じています。この世界三大発明も、やはり人類に自由をもたらしました。

活版印刷は文字を通じて他者の知識と思考を得ること、火薬は物理的な制限を、そして羅針盤は未知の大陸へ行くという自由をもたらしました。そして、かつてインターネットもそうでした。しかし今ではそうでない部分が多いのが現実です。

しかし言うまでもなく、私自身はインターネットが大好きです!この大前提でお話をします。

これから、令和時代のインターネットはどうなっていくのでしょう?

今後起きることは、大きく3つあると思っています。

①コミュニティのさらなる細分化
②ハードのさらなる進化による仮想空間と現実の融合
③国という概念の曖昧化とグローバル化

①コミュニティのさらなる細分化

コミュニティのさらなる細分化は、先程言ったようにFacebookとTwitter、Instagramの使い分けに近いですね。さらに、これは加速していくでしょう。

映画「レディ・プレイヤー・ワン」では、仮想空間に世界中の人がアクセスする世界が描かれていましたが、早晩そういったことが当然になるでしょう。特にインターネット回線5G化になり液晶画面が高画質化していくと、人間の目では現実と仮想空間の区別がつかなくなると言われています。

人間の「解像度」の計算は可能です。ロジャー・N・クラーク氏は、人間が見分けられなくなる最小の幅を0.59分(60分=1度)と計算しています。それを我々の視野の広さ全体に広げるとすると、5億7600万画素となります。つまり、人間の視野いっぱいに広がる5億7600万画素のディスプレイがあれば、それは人間が見ている実体の像と同じ解像度になるってことです。ただ、人間が実際にはっきり見ているのは中心2度程度なので、その範囲に限っていえば700万画素程度、中心の周りも考慮するとしてもプラス100万画素程度で十分です。少ないような気もしますが、たとえばアップルのRetinaディスプレイはすでに普通の距離で読んでいれば見分けられないピクセル密度を実現しています。

ギズモード・ジャパンより

さらに、これが6G(そう呼ばれるか不明ですが)などさらにハードが進化していくと、人間にとっていよいよ現実と仮想空間の区別はつけられなくなり、もっと言えば区別をつける必要すらなくなっていきます。

人は、自由な空間を求めてそれぞれコミュニティを選び、そこに属するようになるでしょう。さらに、そのコミュニティが窮屈になったら、また違うコミュニティに行くのです。それがソフトとハードの進化が起きることでより簡単になります。

②ハードのさらなる進化による仮想空間と現実の融合

思い出すシリーズで、大昔にセカンドライフという仮想現実サービスが流行りました(懐かしいですね!)が、これが一般的にならなかった理由は「コンピューターに求められるスペック(性能)が高すぎた」ためです。当時は今よりもずっとコンピューターのスペックが低かったため、セカンドライフを利用できるのは一部の超ハイスペックなコンピューターを持った人だけでした。

こういった制約はすでになくなりつつありますし、さらにハードの進化で加速します。これは間違いなく起きる変化です。

③国という概念の曖昧化と本当の意味でのグローバル化

最後に、国という概念の曖昧化です。これは2の「仮想空間と現実の融合」に近いのですが、仮想空間と現実が区別できなくなると、人類の歴史で最も大きな意味を持った「土地」という概念が変わってきます。

要するに「国土」というものの重要性がなくなっていきます。私が大好きな漫画にキングダムという中華統一をした始皇帝をテーマにした漫画がありますが、これは大昔の中国で起きた戦争を通じた国取り合戦のお話です。城を取り合って中華統一をすることがエキサイティングに描かれています。

これからも分かるように、大昔から人類の歴史はシンプルに言うと「土地取り合戦」の繰り返しだったのです。なぜなら、土地がなければ生きていけませんからね!今よりもずっと、土地がなくなることは死活問題だったのです。そして、この常識は今後大きく変わっていくでしょう。なぜなら、インターネットの世界においては、その人がどの国にいるか、どこで生きるかはあまり重要ではないからです。

もちろんインターネットが使えない人がいる国がありますし、ハードの進化もまだまだこれからです。そうなるには時間がかかるでしょう。しかし、この流れは必ず起きると思いますし、実際にすでに起きつつあります。

具体例で言えば、エストニアが電子政府を宣言しとても話題になりましたが、このように「政府=国」と考えた場合、国を作るという自由をインターネットがもたらすようになるでしょう。

当然、政府はそうなることは望んでいないが、たとえ国が侵略されて物理的に「領土」がなくなったとしても、国民の「データ」さえあれば国家は再生できる、というのが政府の考えだ。事実、エストニアは、国のあらゆるデータを国外の大使館にて保管する「データ大使館」という構想を進めており、2018年にはルクセンブルグに最初の拠点が開設される。

Forbs Japanより

国にはルールがあり、習慣があり、言語があります。しかし、仮想空間と現実が溶けた世界では、こういった問題は小さなことです。おまけに、言語の壁もおそらくソフトの進化でいずれなくなるはずです(Google翻訳先生お願いします!)

少し怖いことのように感じる人もいるかもしれませんが、でもこれって

・どこで生きるのか
・誰として生きるのか
・何をするのか

これを自分で選びやすくなる。これって自由だと思いませんか?

それでも怖いと思う人は、哲学者キルケゴールの言葉を聞くと安心するかもしれません

「不安は自由のめまいだ」

▪そもそもインターネットとは、テクノロジーとは何か?

テクノロジーとは何か?私は「人間の能力を飛躍的にすごくするもの」だと思っています。これまでインターネットは脳(知識)をすごくさせてきました。どれだけ勉強しなくても、知識であればググれば一発です。これまでは知識だけでしたが、今では動画の時代で「視覚」がすごくなりましたね。次には、人間の味覚、触覚などもインターネットで体験できるようになり、さらには仮想空間と現実を往復できるようになります。まさに映画マトリックスの世界ですね!

余談ですが、私は映画アイアンマンが本当に大好きなのですが、その理由が、テクノロジーによって一般人がスーパーヒーローになれるからなんです。AIと会話しスーツを作り、世界中どこへでも飛んでいける。これが自由でなくて何でしょう?

▪令和時代のインターネットへ愛を込めて
人類は有史以来「自由」を、つまり今よりより良い世界を求めてきました。それはテクノロジーにおいても何ら変わらないですし、今後もっとずっと加速するでしょう。いつの時代も、不自由さのアンチテーゼ(反対意見)として自由は存在しました。不自由があるから、人間は自由でありたいと願うのであり、インターネットの歴史はまさに人類のその歴史そのものを見ているようでした。今どきっぽく言えば「非常にエモい」感じなわけです!

そして、その自由は人類をさらなる未知の世界へ連れていってくれるでしょう。どうなるのか、楽しみですね!

さようなら平成!そしてようこそ令和!

平成時代のインターネット人より

P.S.
現在、私は株式会社SmartHRで新規事業開発を担当しています。昔はITmediaオルタナティブブログなどちょっとしたブロガーだったのですが、最近は文字でアウトプットをすることから縁遠くなってしまっていました。駄文でしたが、少しでもお役に立てば幸いです!

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