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40代を振り返ってみる その2

みなさん、こんにちは。しんまるです。
最近、一気に寒くなってきて、あの暑かった日々は何だったのかと。もう少し段階というものがあっていい気がします。

ラグビーワールドカップの対アルゼンチン戦、結果は残念でしたが、ジャパンは力を出し切ったと思います。正直、点差以上に力の差はあった気がしますが、よく離されずに食らいついていったと思います。

一方の関西大学ラグビーAリーグですが、京産はまだまだ途上のチームですね。現状は天理が一歩も二歩も先を行っている気がしますが、京産も試合を重ねるたびにチームとしての成長が見られたらいいなと思います。

さて、前回に続いての40代の振り返りです。

米国の子会社に異動することが社内でも公示されて、実際に米国での生活を始めるまでの約3ヶ月は非常に早く過ぎました。

駐在するのに必要なビザを取得したり、米国大使館での面接や役所での手続き、私の仕事の引き継ぎ等。

前回にも書きましたが、悩んだことの一つが家族を一緒に連れて行くか、単身赴任するかでした。子どもたちにとっては、最初は色々と苦労すると思うが、きっといい経験になるという思いがある一方で、

上の子はまだ小学校の低学年でしたので、彼にとっては、仲の良い友達とも別れなくてはならない、ましてや、言葉も分からない海外で生活することは非常に不安だろうなという思い。

私が駐在したのは、米国のノースカロライナ州という所です。ニューヨークのような都会では決してなく、近所に日本人学校とかもなかったので、普通に現地の学校に転入することになります。

あとは、もうひとつの悩みというか不安にも関連するのですが、私の身体のことです。通院していた先生にも米国駐在が決まったことを伝えて、私の症状を英語で書いた説明書も作成いただきました。

米国でも病院を探さないといけないと思っていました。しかし、日本にいて調べていても如何せん、情報が少ない。。。

と、私自身に不安があるなかで家族を連れて行くのは、家族をさらに不安にさせるという思いから、とりあえず、単身赴任することにしました。

一方で、私は身体に不安を抱えながらも、ワクワク、ドキドキといった気持ちもありました。ずっと、いつかそういう機会があればいいなと思っていましたので。

週末は家族で、私が米国で生活するために必要なものの買い物に行ったり、思い出作りのお出かけをしたり。

上の子は、私が遠いところに行くことを理解していた気がしますが、下の子はあまり分かっていなかったような気がします。それと、幼いながらに「俺は絶対に海外になんて行かない!」という断固たる意思を感じました。

私にとって忘れられないのは、駐在の件を伝えてから、上の子が意図的にというか無理して私が海外に行くことの話題を避けていたこと。そして、出国する日に伊丹空港まで家族(実家の父母も一緒に)で見送りに来た時に、最後まで泣くのを必死に我慢していたことです。

私は生涯、あの瞬間を忘れることはできません。出国ゲートに向かう際に、もう涙が止まらなくて止まらなくて。

すごく個人的な話ですが、最後までお読みいただきどうもありがとうございました。







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