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「感覚」についての主観的な記述

「感覚」とは一体何だろうか。

美術とかやってる人は感覚的だから、少しのヘマは笑って許されるところがあると感じる(ちゃっかりそのイメージに頼ることが多々ある)。この場合の「感覚」とは、直感・言語による思考がない状態を指す印象を持つ。つまり感覚とは理屈がないということだろうか。確かに楽しい、悲しいなどの感覚は具体的な画像が浮かぶというより、肉体的・内臓的な感覚を伴う。実体のないそれに内側から支配されるような状態になり、私たち人間を良くも悪くも振り回している。

この間、たまたま起こった嬉しい事を思い出していた。ちょうど文字のやり取りのみで起こったことだったので、具体的な映像や画像は浮かばないような条件だった。そんな中、目をつぶってその時の気分を手繰り寄せる。それは僕のなかで薄暗い中に浮かぶ、白くて柔らかい、形が決まっていない、しかし集合体として存在している、まるで想像の中に存在しているような物体が思い浮かんだ。
考えてみると、浮かんできたそれは今まで経験してきた、一般的に優しいとか柔らかいとか形容される類のものかと思う。今まで嬉しいなどの「感覚」は視覚などの五感に付随した、画像や匂いや音と共に感じるものだと思っていた。五感に寄らない、抽象的なものを直接感じるのは少し奇妙な発見だった。

実体のない感覚そのものに無理やりイメージをくっつけると、今までの経験から作られるんだという、考えればそうだよねというもの。イメージをくっつけずに、もっと抽象的に本質を考えたいけど、すごい難しい。それを為すためには同時に複数のものが存在する、量子力学的な、シュレディンガーの猫的な考え方をするのが一番近い。矛盾がそのまま存在する状態。それほど人間のもつ感覚は複雑で、自分の感覚すらうまく説明できる気がしない。それを記述するには文章の長さが必要になってくる。ちょうどこの記事のように。

それでも効率化を求める今の社会(世界ではない)では、自分を単純化し、簡潔に話せなければならない。細部を見ない、ということをできる人が社会の上部に残っていく。そうなれば社会の末端の意見など見るはずもない。今起こっている色々なことはそんな感じがする。それを改善したい場合、末端にいる、特に若い人たちが行動を起こし、上部が入れ替わっていくのを待つ。人には寿命があるので、必ず全部入れ替わっていく。継ぎ足しの秘伝のタレが、2ヶ月で継ぎ足された新しいタレと完全に入れ替わっていくように。


Shin Itagaki / 板垣晋
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