「建築家」のあり方,市民社会の象徴としての建築のつくられ方─『新建築』2018年1月号月評


「建築家」という職能システム

 槇文彦さんによる建築論壇:変貌する建築家の生態(『新建築』2017年11月号掲載),そして1月号の建築論壇:建築の設計とこれからでは非常に重要な問題提起がされています.

発注の仕組みについては,建築界全体が団結して,継続的に議論していくべき重要なことです.ここ数年,新国立競技場問題をはじめ,日本において建築家という職能に基礎となるフレームが制度の面で根付いていなかったということが,さまざまなかたちで顕在化しています.

「建築家」という職能システムがこの国には十分に制度として確立・機能していない. それは,日本社会全体が民主主義の基盤となる近代のさまざまな社会制度を正常に運用し損なってきたツケでもあるわけですが,政治や福祉などあらゆる分野で市民社会の根幹を揺るがす出来事や事件がここ最近頻発している気がします.一方,槇さんの言葉を借りれば「第二の生活革命」が世界規模で起きている.

今,私たちは変化の激しい時代の入口に立ったばかりです.そういう意味で,創作することの根本を改めて見直し,コラボレーションにひとつの可能性を見出した今回の議論には単純に励まされましたが,われわれが置かれている状況を冷静に考えると楽観的すぎる気もしました.


羽鳥  そうした状況の根本には,建築家と社会のマッチングの問題が横たわっていると思います.

世間の多様な意見の存在が見えるようになり,合意形成が今まで以上に尊重され,プロセスも要求も複雑化しています.建築士法で定められている建築士の役割やそれに応じた報酬などの枠組みと,社会の要求の間にも大きなギャップがあります.そうした前提を共有した上で,ワークショップなどの仕事が増え,建築家同士,あるいは建築家と組織設計事務所,ゼネコンとがコラボレーションすることを与件とされ,にもかかわらず,経費がかかるものの報酬は増えないという状況があります.

一方で,設計も施工もひとつの会社が行うデザインビルドの案件が増えている.こうした変化を丁寧に解き明かさないといけません.今回の論壇のように,新しい建築を生む機会としてポジティブに捉える考え方もあります.しかし,実際に耳にした話も含めて考えると,社会側(発注者側)の本音としては,組織設計事務所は新しいものを考える力が弱くネームバリューがない.

建築家はデザイン優先で性能的な問題やコストのオーバーランといった問題も多いと思われている節があり,それぞれ信頼されていない部分があります.実情や実際の問題の発生件数などはともかく,そう思っている人たちがいるのです.その結果として,設計工程において単独ではなくチームを組む要望が増えているのだと思います.また施工者が設計側の無理難題を,最終工程である建設現場で受け止め,それにより信頼と力を蓄積してきたことを,設計側が改めて認識する必要があると思います.それが実態と乖離したレッテルなのかどうか.次世代のためにも丁寧に現状を認識することから始める必要があると思います.


  建築家によるリノベーション,まちづくり,ワークショップなどが注目され,「建築家と社会の関係を回復する」とか「職能が拡張している」といった言説が注目され,メディアでもそうしたことが取り上げられがちですが,実はそれは「回復」でも「拡張」でもなく,単に本質的な問題が解かれないまま活動だけが他領域に横滑りして,建築家という社会制度そのものの再設計(そもそも制度として確立すらされていないのでは?)が手付かずのまま,ここまでズルズルときてしまったという状況が少なからずあると思います. 

今回の論壇はコンペや公共建築が念頭に置かれ議論されていますが,信頼を回復していくという意味で,改めて,市民にとってのアイコンを創造することを求められる大文字の「建築家」のあり方を議論し,市民社会の象徴としての建築のつくられ方に対して丁寧な批評を積み重ね,発信していく必要性を感じます.



愛着や誇りを持ってもらえる建築を生み出すには

今回,坂茂さんの静岡県富士山世界遺産センターを見にいきましたが,アイコンのつくり方として疑問を持ちました.

あの特徴的な形は,インスタ映えを求める消費者には格好の撮影対象ですが,一方でそのことにより,周辺の重要なコンテクストへの接続を奪っています.

富士山という崇高なものがあり,施設の横には川が流れ,浅間大社との関係もある.しかし来場者はそうした豊かなコンテクストには気付かず,文字通り逆富士そのものを撮影することに夢中になっていました. イメージが流通する情報化社会におけるオブジェとしては完成度が高いわけですが,こうしたアイコンのつくり方は単純すぎるゆえに建築家のエゴとして捉えられてしまう危険もあります.

荘銀タクト鶴岡(鶴岡文化会館)は,正面性の解体というか,空間を等価に扱ってきたSANAAの設計にしては,街に対してわかりやすい「顔」を持っていて,意外な印象を受けました.

とはいえ,かたちとして特徴を持たせながらも,オブジェとして造形する坂さんとは対照的にコンテクスチュアルにできていますね.屋根そのものが周辺との関係を空間としてつくり出すと同時に,ビジュアルのレベルでも街並みとの一体感を生み出しています.


羽鳥  庭園や街路と劇場のレベルをフラットに連続させて,練習室や楽屋が街並みに顔を出し,市民が親しみやすく,使いやすくしたりと,公共の劇場という特別な場と,市民の日常を連続させようという意志が形態に現れているように見えます.

ボリュームを小さくしたいなら,たとえば鬼石多目的ホール(『新建築』2005年5月号掲載)みたいにステージを下げて埋める手法もありますが,使い勝手から考えて,全部フラットに扱うことにプライオリティを置いて,大きくなるボリュームを,屋根で,それも今までにない形態で街並みにどう関係させていくか,凄まじくスタディされています.象徴性の問題と街並みの問題の絶妙なところにトライしたすごい建築だと思いました.


連  規模が違うので単純な比較はできませんが,出島表門橋もアイコンとして捉えるならば,構造システムの提案を軸にさまざまな側面で象徴性を生み出していて,現代性を感じます.

構造システムは,柱を川に落とさないという景観的配慮であり,同時にそれが歴史的・文化的な出来事に対する意匠としての解答にもなっている.さらには実際に施工される時に,一体的に建造されているという構造そのものの特性を生かして,「設置」するということ自体が祝祭性を生み出していますね.


羽鳥  出島側に大きな基礎をつくらず,江戸町側からの片持ちとしつつ,歩行や風などの荷重条件の変化を見越した冗長性のある構造設計になっていて非常に上手いと思いました.主桁の補剛材が彫りの深い表情と影をつくり,そのフランジの影に無数の穴があることで,背後の明るい床板が透けて見え,片持ちの強引さを感じさせない軽さを生み出しています.

こうしたディテールが表門や塀の瓦などと解像度を合わせることにも繋がっていて,まったく新しい橋梁のデザインなのに,歴史のある風景に馴染んでいます.構造的な条件も難しい中で編み出された秀逸な作品だと思います.

昨今,建築の背後にある物語が注目されすぎている傾向にありますが,こうした高度な設計技術の価値を専門誌が分かりやすく示すことも,信頼の問題に繋がる一手だと思います.


  市民という不特定多数の他者に対して,愛着や誇りを持ってもらえる建築を生み出すことは,ますます難しくなってきていますね.

今回取り上げた作品は,どれも複雑なプロセスや思考を辿っているわけで,そうした情報が適切にコミュニケートされることにより,「建築家に頼むといいよね」という社会のコンセンサスが形成されることを切に願います.

*連担当月評は,毎回新建築青山ハウスで公開収録を行いますので,興味のある人は是非ご参加ください.

(2018年1月13日,青山ハウスにて 文責:本誌編集部)



「月評」は前号の掲載プロジェクト・論文(時には編集のあり方)をさまざまな評者がさまざまな視点から批評するという『新建築』の名物企画です.「月評出張版」では,本誌と少し記事の表現の仕方を変えたり,読者の意見を受け取ることでより多くの人に月評が届くことができれば良いなと考えております!


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