古文漢文不要論について

定期的に「古文漢文不要論」が話題になる。私の考えでは、何でも「ねばならぬ」になるとつまらなくなるのでそこは要注意としても、「古文漢文学んでおくと楽しいよ」とは思う。
先日、「史記」平準書の一説を紹介したけど、「2000年経つのに同じことやってるのかーい!」という発見があった。

そして昔の人も「一部の人間だけが金儲けし、貧しい人たちをこき使おうとする社会は問題だ」と指摘していた。それを是正する政策をとるべきだ、と進言していた。このように、二千年も前に同じ問題意識があったことがわかると、ものすごく説得力を持つ。まさに温故知新。

古文漢文を、何も自由自在に使えるようになる必要はない。けれど、毛嫌いして遠ざけるほどではなくなるだけで、親しみは持てるようになる。私は大人になってから古文漢文に結構楽しむようになった。もちろん現代文での解説付きでないときついけど。

ネットが普及し、コンテンツ(内容)が重要な時代では、むしろ古文漢文に親しめるというのはチャンスではないかな?と思う。「キングダム」みたいな漫画を書こうと思ったら、漢文だらけの文献読まざるを得ない。毛嫌いしてたらあんな漫画書けやしない。

「枕草子」や「源氏物語」、「徒然草」、「方丈記」などの有名どころも、現代の感覚で味付けし直すとかなり面白いコンテンツになると思う。実際、ドラマになって人気もあるようだし。これも、古文漢文に慣れ親しむからこそできることのように思う。

古い時代の知識は役に立たない、という思い込みが、「古文漢文不要論」にはあるように思う。しかし古典を学ぶことは、最新の研究にも刺激を与える。私の研究は、老荘思想にどれだけヒントをもらったかしれやしない。老荘思想を学んでいなければ、発明できなかったろう。

古典から学ぶのは「昔、何が起きたか」ではない。思考の作法、骨格だったりする。現代人が忘れがちな思考法を、古典は指し示してくれる。「この思考法を現代に適用したらどうなるだろう?」で、新しいアイディアはどんどん生まれてくる。

二千年以上前に成立した「孫子」は、アメリカ軍でも日本の自衛隊でも、重要なテキストであり続けているという。これだけ軍事技術が発展したかに見える現代でも、考え方の基本骨格は変わらない。そして「孫子」ほど、コンパクトに伝えているテキストは他にない。

それに、日本は有利な立場にあるように思う。韓国では漢字を習わなくなったので、昔の漢字の文献を読むことは専門家でないとできない。中国も簡体字に慣れてしまい、昔の漢字を読める国民は、若い世代だとほとんどいない。日本人はその点、結構読める。

中国、韓国、日本という東アジアの膨大な文献に親しめるというのは、かなり有利な立場。専門家でなくても、一般市民でも少し慣れるだけで結構楽しめるという有利さを、わざわざ自ら捨てる必要はないように思う。

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