これからの時代に必要な力、産婆術

拙著では「産婆術」を軸にしてソクラテスを紹介しているけど、私がソクラテス関連で読んだ哲学書で、産婆術を軸に解説する本は記憶にない。たいがい「弁証法」を中心に説明されていて、産婆術についてはソクラテスがそう言ってたよ、と軽く紹介するのが関の山だったりする。確かに、

ソクラテスの凄さを感じやすいのは、当時天才と呼ばれたプロタゴラスやゴルギアスなどを軒並み「論破」していく様子を見ることだろう。ソクラテスが質問を重ねると、それら天才は最初自信満々で答えていたのに、どんどん答えに窮し、ついには追い詰められていく。その様子に快感覚えるのかも。

けれど私には、それだけだと「性格悪いおっさんやな」と見られてもしゃーない、という気がしていた。実際、それを何度もやらかして恨みを積み重ねた結果、死刑宣告につながったように思われる。しかしプラトンの初期作品と言われる「クリトン」や「饗宴」を読むと、どうも違うソクラテスが見えてくる。

「クリトン」では、ソクラテスの友人であるクリトンが、ソクラテスをなんとか死刑から逃れさせようと、脱獄を勧める話が展開されている。クリトンは牢番にも話をつけ、逃げられる算段をつけた上で「さあ逃げよう」とソクラテスに決断を迫る。ところがどっこい、ソクラテスは。

「脱獄すべきかそうでないか、とても面白い議題だからこれについて語り合おうじゃないか」とクリトンに提案する。決して脱獄はしない!なんて頑固なことを言い張ってるわけじゃなく、クリトンと話し合った結果、脱獄いいね!となったら脱獄するよ、といったノリで問答を始める。とてもフラット。

クリトンはもちろん脱獄すべきだ、と思って話すのだけど、ソクラテスと問答を重ねてるうち、なんと「脱獄しないほうがいい」と共に結論が落ち着いてしまう。別にソクラテスはそちらに議論を誘導しようと強情張ったわけではない。この場合はどうなるだろう?あの場合はどうだろう?と一緒に検討。

すると、クリトン自身の口から「脱獄しないほうがいい、ということになるね・・・」と言うハメになった。ソクラテスはそれを無理強いしてないのに。昨今の日本で流行っている「論破」とは違う感じ。共に真理を探求する結果、互いに思ってもみなかった結論を発見した、という結末になっている。

もう一つの作品、「饗宴」でも、ソクラテスの凄さは「弁証法」じゃないのでは、と感じた。特にアルキビアデスがソクラテスについて熱く語るところが興味深い。アルキビアデスはアテネいちの美少年で知られ、(旧)ジャニーズも真っ青の大人気を博していた人物。

その人物が、ソクラテスのそばを離れがたいと熱弁してる。実に奇妙だ、と思った。当時、ギリシャの人間たちはアルキビアデスの美しさに参ってたくさん言い寄ったのに、そちらにはなびかず、醜男で知られたソクラテスに付き従った。なぜだろう?アルキビアデスだけでなく、若きプラトンまで。

相手を「論破」する「弁証法」だけでは、こんなにも人気者になるとは考えにくい。クリトンのような古くからの友人も敬愛してるし、プラトンやアルキビアデスのような若者たちからも大人気。なぜそんなにも人気があったのか?相手を論破するだけの弁証法では、嫌われて終わるだけのはずなのに。

ソクラテスの真の価値は、産婆術だ!と私が思うに至ったのは、実は哲学書ではない。全然別のジャンルの本を読んで、ようやくそれに思い至った。それはコーチング。
コーチングの本を読むと、そのあとがきに興味深いことが書いてあった。ソクラテスはコーチングをしていたのだ、と。

それを端的に表す作品かある。プラトンの「メノン」。ソクラテスは友人宅の召使いに声をかけ、一緒に図形を眺めながら問答を始めた。ソクラテスも召使いも数学の素養はない。なのに問答を重ねるうち、まだ誰も発見していない図形の定理を発見してしまう。無知の者同士が語り合って、新しい知を生んだ!

そうか、これが産婆術の正体だったんだ!産婆術はコーチングそのものだったんだ!コーチングは、「新インナーゲーム」の著者、ガルウェイ氏が考案した指導法なのだけれど、これがソクラテスの産婆術そっくり。
「もしかしたら、ソクラテスが人気だったのは、産婆術の力だったのでは?」と思い至った。

ソクラテスの周りには若者たちが群がっていたという。若者たちから大人気。それはなぜかというと、ソクラテスは老人として若者に説教してるわけではなく、逆にソクラテスが若者から教えを請う感じで問答していたらしい。ソクラテスから質問された若者は、ウンウンうなりながら答える。

ソクラテスはその答えを面白がり、再び質問する。すると若者はまたウンウンうなって考え、答える。これを繰り返すと、若者はどんどん思考が刺激され、それまで思ってもみなかったアイディアが口をついて出てくる。まるで自分が賢くなったみたいに。その快感を知った若者は。

ソクラテスのそばを離れがたくなったらしい。ソクラテスのこうした問答は、コーチングと一緒で、相手の思考を刺激し、それまで考えたこともないような思考の深みへと導く。自分がまるで賢くなったかのように、それまでに経験のない深い思考が可能になる。それに若者たちは熱狂したようだ。

ソクラテスは産婆術によってとんでもない才能を育てる。西洋文明の基礎を作ったと言って過言ではないプラトンとアリストテレスという二人の哲人は、ソクラテスの産婆術から生まれたと言って過言ではないのではないか。私はそう考えている。

実は、この「産婆術」で、きら星のごとく人材を輩出した場所が日本にあった。その名は、松下村塾。
吉田松陰が主宰していたその塾には、長州藩の若者たちがたくさん集まっていた。そこでは松陰が一方的に若者たちに説教していたわけではなく、むしろ松陰は若者たちに問い、教えを請うかのよう。

若者たちはその問いに刺激され、自ら思考する。そうした能動的な思考が若者たちの思考をいやが上にも刺激し、やがて久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文など、明治維新を進める人材を多数輩出することになった。その力こそ、松陰自身が実施した「産婆術」やコーチングそっくりの「問い」だった。

産婆術の恐るべきは、天才でなくても、凡人同士の対話でも知が生まれる、というもの。よく「三人寄れば文殊の知恵」というけれど、ただ集まっただけでは知恵はそうそう生まれない。しかし「産婆術」を実施すると違ってくる。意識的に「問い」を重ね合い、それに刺激されて思考を重ねる。

すると、凡人同士でも、一人で考えるのとは全く違う形で知恵が生まれる。ソクラテスのもとから多数の才能が生まれ、松下村塾から多数の英傑が誕生したのは、恐らく偶然ではない。産婆術こそが、世界史を、日本史を変えるほどの威力を発揮したのだ、ということに思い至った。

ソクラテスの真の価値は産婆術にある。私はそう見ている。しかし私が読んだ哲学書は古いもの(平成以前)が多いからかもしれないが、産婆術をそこまで重視して解説している哲学書を見たことがない。だからもしかしたら、哲学界隈では私の説は異端かもしれない。

ただ、私にはどうにも産婆術こそがソクラテスのもたらした最大の功績のように思えてならない。何より、現代人がソクラテスから学ぶべきは、まさに産婆術だと私は感じている。民主主義が普及し、多くの人たちが発言する自由をもつ今だからこそ、産婆術は極めて重要な役割を果たすように思う。

支配者層は自分たちに都合のよい社会になるように、次のような言説をまき散らす。「民主主義は衆愚政治になりやすい」「庶民から投票権を取り上げ、税金納めてる富裕層に投票権を増やしてほしい」「富裕層の税金を減らせ、そうでないと国外に逃亡するぞ」「富裕層を優遇すると改革は進み、国は栄える」云々。

しかし富裕層に有利な社会は、格差を拡大させ、社会を停滞させ、不満と恨みが充満し、やがて富裕層も安心して生活できない不安な社会となる。貧困層は生きていくこともままならず、牢獄生活と変わらないつらさなら、法律が富裕層しか守ろうとしないなら、と、犯罪をおかすことに抵抗感を失っていく。

日本は支配者層に有利な言説が撒き散らされてから久しい。竹中平蔵氏が登場してから特にひどい。NHK教育の子ども番組「クックルン」のエンディングソングでは「世界のセレブの御用達」というフレーズが使われた。まるで庶民は富裕層のおこぼれのお陰で生かされてるかのような世界観。

本当は、貧困層の労働を安く買いたたき、彼らが受け取るべき報酬を搾り上げ、それを富裕層が吸収している構造だったのに。私はマルクス主義に距離を置きたい方なのだが、残念なことにマルクスの言った通り「搾取」してる構造に日本は変わってきた。竹中氏らはそうした日本に変質させてきた。

このままでは、日本には貧困層が溢れ、やがてそこで蓄積した憎悪が富裕層に向けてぶつけられる恐れがある。私は富裕層の人たちのためにも、そうした流れを改めるべきだ、と主張してきた。そのためにも、ソクラテスの産婆術が生かされるべき時期が来ているように思う。

竹中氏の主張では、優れた人材というのは富裕層のことだとかなり強く暗示しており、富裕層が社会をリードすべきで、リードしているのだから豊かであるのは当たり前だ、としてきた。貧しい人は怠惰だから貧しいのだ、搾取されて仕方のない人たちだ、という暗示をかけてきた。そのため。

支配者層(富裕層)に都合のよい思いつきの政策が横行するようになり、中間層は困窮して貧困層に追いやられ、彼らの知恵や力を活かす構造が壊れていった。日本経済が不必要に低迷した原因はここにある、と私は見ている。

私はここでいいかげん、支配者層には「産婆術」を学んでほしいと考えている。知恵は決して天才だけの占有物ではない。特に才能に恵まれているだけではない凡人同士でも、産婆術を使えば思わぬ発想が生まれる。戦後昭和の日本の快進撃の理由の一つが、ここにあるように考えている。

日本はこれから少子化のために人口が減っていく。しかし人口がはるかに少ない北欧の国々が豊かさを享受していることを思えば、人口だけではない。大事なのは、人材の力を引き出すことだ。その方法こそが、産婆術だと私は考えている。

支配者層が産婆術をわきまえ、我々庶民自身も産婆術を互いに実施する。そうすれば、まだまだ日本は面白い国になると考えている。日本がソクラテスから学ぶことは多い。それは松下村塾の吉田松陰から学ぶことと同じ意味となる。

人を潰し、人を搾取する国だった日本から、産婆術で人の力を引き出し、活気ある日本へ。そのきっかけを日本で作ることにより、次世代が少しでも楽しんで生きていける社会を。それを願ってやまない。

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