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泣けないよ

とあるご主人を亡くした話のnote
「葬儀やら色々としなければいけない事が多くて、泣いている暇はない」
を拝見して、
「本当にその通り!」
と思った。
泣けないし泣く気分になれない。

■本当はどこかで号泣した方が後から元気になれるらしい


実は私は結局、大して泣いていない。
葬儀では全く泣かなかった(あの事件もあったしね) 
その後も妙な緊張感が続いて、悲しみがあふれることはなかった。
だから、今もなんとなくモヤモヤしているのかもしれない。

■泣いても解決しないし


と言う気分もあった。さらに辛くなるのが怖い気もした。

■腹が立つことはいっぱいあった


前にも書いたとおり、様々な発言に腹立たしいと思う事はあった。
「泣いていいのよ」と叔母に言われたが、
それどころではない私に「よく言うよ」と思った。
私の実母の号泣も「気楽でいいよな」と思った。

■でも身体は壊した


5か月後に私は過労で入院した。
主人が亡くなった時に来てくれた刑事さん(医師が立ち会わない急死だと警察が来るのよ)が最後に
「しばらくしてから身体を壊す人が多いから、本当に気を付けて」
と声をかけてくれた。
その通りになった。
でも、病院と言う異空間でゆっくりできたのは良かった。

■そうだ、一回だけ大泣きした


いや 大泣きしてやった。

入院中に買い物等の短時間の外出は許可されていた。
雨の日だった。持っていたのは、主人の折り畳み傘だけだったので、それを使った。
傘は病室に置いてはいけないルール。ナースステーションに預けた。
5日後に雨が降り、看護師さんに私の傘を出してもらった。
濡れたまま・・・ しかも、湿ったまま放置されて臭い・・
歩きながら泣けてきた。なんでこんな目に合うのだろう。
(「主人のもの」でなくても臭くなった傘は本当に嫌だ)
涙が止まらなくなったので病院にUターンした。
「傘が濡れたままだったので臭いです。主人の大切な傘なんです」
と号泣した。
でも、正直なところこの後ちょっとスッキリした。

どうしたら泣けるんだろう?
と思うと、何かきっかけが必要だったのかもしれない。




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