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日記 防災備蓄などにおける少数派の意見の大切さ


昨今、気になってることがあって。

地震のニュースのコメントなどで、
備蓄に関して、

「自分が能登地震を体験した経験から言わせてもらうと食料や飲み物はすぐに届くからあまり必要ない」とか、

ランキング形式で、「必要なものと必要じゃないもの」を振り分けてしまう動画などの発想です。

こういう意見や動画を見た人が安易に、自分は賢く備えようとか、この体験談を見て、これは要らないと判断する、とか、またコスパ重視に偏った備蓄ばかりすることは大変危険な気がします。

コスパ重視や、出来る範囲で続ける、ということは長く続ける上で非常に重要だと考えているし、優先順位をつけることに関しては、とても良いと思うのですが、

この地震の経験則でこれは要らないとか、ランキングの上位にないからこれは必要ないだろうとか、そういう経験則や知恵に溺れるような発想は危険な気がするのです。

というのも、私は以前福島で被災された方のブログを読んだのですが、そこでは、

パンの配給が長期間なくて、被災した時、猛烈にパンが食べたかったとありました。

ですが同じ東日本大震災の際の後日アンケートには、ご飯やパンなどばかりでおかずの肉、魚、乳製品が足りなくなっているという声が多かったのです。

これは同じ東日本大震災でも、場所によって配給の差があったことを裏付けます。

また熊本地震の際の経験談でも、配給に菓子パンが多くあり、パンが甘くて嫌だという意見がすごく多く、漬物の配給があった際、大勢の方に大喜びされたというお話を読みました。

猛烈な便秘に襲われる方も本当にすごく多く、炊き出しに来ていた自衛隊の方への要望に野菜がとても多かったと知りました。

また能登地震では、ニュースのコメント欄には、「食料は比較的すぐに届いたからそんなに要らない」とありましたが、同じ能登半島地震でも「3日間何も食べれなかった」というインタビューを私は見ています。


その時、その場所で、その規模で、その災害であれば、そうだったかもしれない。

でも場所や規模の大きさ、災害の種類によっては、もしかすると、備えの種類や量など必要なものの内容も変わってくるわけです。

明らかに矛盾するけど、その矛盾こそ、個々の貴重な体験談であり、その一つが絶対ではないということ。

まさに一つ一つが大切であって、

統計などランキングの下位にある少数派の意見でも、その少数派の人たちの所までは出回らなかったものがあったかもしれないわけです。その人たちにとっては大多数に埋もれてしまうかもしれない少数の小さな声でも、喉から手が出るほど欲しかったものの声かもしれないわけです。


この地震の経験を参考にすれば、これはあまり必要ないという情報を頼りに、偏った備蓄をされるのではなく、やはり、何事にも備えて、バランスよく備蓄されること重要なのではないかと感じます。


地震だって直下型地震か、連動型地震がどうかでも変わると思います。連動して何ヶ所かで大きな地震が起きる場合や、噴火までおまけについて来たりしたら、やはり想定外の事態に陥りライフラインだって完全に遮断され途絶えてしまうこともあるかもしれません。


また地域差によって、地震が起きてない被災地以外の場所でも、規模が大きい地震であれば、ライフラインに不都合が生じる事態に陥るかもしれません。

配給の差や避難所の規模の差、地域格差など、必要なものも場所や被害規模によって千差万別であり。一個人の体験だけを全ての想定と捉えるにはかなり無理があります。

なので、経験則に驕らずに、あらゆる可能性を想定して、バランスよく揃えるのが良いのではないかと感じます。

良かったら参考にしてください。


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