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お金の時代の終わらせ方①

神に選ばれ、運命によりここへ導かれし主人公のあなたへ。

人生がRPGであり、プレイヤー(主人公)であるあなた(=僕)が「お金の時代(金融資本主義)を終わらせる」というシナリオになっていると僕が言っても、ほとんど誰も真に受けず信じません。それは僕がこのRPGのクリエイターである創造主自身から受けた啓示なのですが、そんな事を言おうものなら余計に気違い扱いされるだけでしょう。僕はお金の時代をどのようにして終わらせ、次の世の中がどうなるかの展望まですべて教えられているのですけどね。

「ではそれを全部今ここで語ってみろ」と言われるのでしょうが、まだ主人公として本当に目覚めてない段階の方にいきなり全部そのままを語ると、確実に拒否反応が出て逆効果になることが予めわかっているので、語り方が難しいんですね。(ので、ちゃんと順を追って記事にしていきます)

理想と信念を持って「やりたいことをやり遂げようとする」のではなく、「できそうならやる」と考えるような人は、「できなそうならやらない」と考える人なのであり、そういう人は権力に立ち向かうことなどすぐに諦めて権力に隷従してエゴに埋没したNPC人生を歩み、エゴを乗り越えて世界を救おうとする主人公にとってエージェント・スミスみたいな抵抗勢力になることが目に見えているんです。

そういう人たちはいざお金の時代が終わりに向かって自分が稼いできたお金に意味がなくなりそうになったら「お金のために色々我慢して努力してきた自分の人生は何だったんだ?」「稼いだお金で他人を利用できなくなるのは悔しい」「我慢も努力もしてない奴が自分と同じレベルの生活をするなんて許せない」って抵抗してくるのが自明なのです。

そういう人たちに限って「お金の時代を終わらせる」なんてことが本当にできそうかどうかを判断するために僕に具体的な「方法論」を先に求めてくるのですが、実際は己の臆病と怠惰から権力に隷従する自分を自己正当化するためにこちらを否定するつもりで聞いてきているので、話すだけ無駄なんですね。理解したくない人に理解させることは不可能です。

人生というのは、ログインしているあなたを主人公(世界を救うメシア)とするRPGであり、当然最後に世界が救われるというシナリオになっています。しかしあなたが主人公として目覚めて世界を救おうとせずにエゴに埋没するNPCを続けるつもりなのなら、何度輪廻転生を繰り返そうともゲームクリアに至ることはなく、世界は決して救われないのです。

事象が認識者の認識に依存するという量子の仕組み(1人1宇宙)は、この仮想現実世界にログインしているプレイヤー一人ひとり全員を主人公として同時に成立させるためにあり、そうでなくては存在理由がありません。ゲームをプレイする時点でプレイヤーである自分が主人公であることは自明であり、それはこの世界でも全く同じなのです。

僕に対して「頑張って下さい!応援してます!私もお金の要らない時代がきっと来ると信じています!」みたいな激励メッセージが来るのですが(もちろん応援していただけること自体はとても有難いことですが)それは自分が主人公であり、自分の世界が自分次第に作られているってことを全然わかってないNPC思考なんですね。なぜ「お互い頑張りましょう!」にならないのでしょうか?

このRPGのラスボスは異次元にいる悪魔であり、それが誰にでもあるエゴ(自己保存欲求=我欲・保身・虚栄・怠惰)を刺激して人々をお互いに争わせ続け、分離・反発させようとします。そしてその最たる手段がお金なんです。

我々は異次元にいる悪魔を直接攻撃することはできませんし、悪魔に乗っ取られている支配者を攻撃したところで余計に分離・反発が生まれて逆効果であり、それは悪魔の思うツボなんですね。万が一今の支配者層を倒せたところで新たな支配が生まれるだけですし、力(権力=強制力)を力で倒そうと考えるのは愚かな事なのです。前記事エゴ(欲)とは何か?に書いた通り、正義そのものがエゴなのですから、正義を盾に権力者を倒そうとすれば、ベクトルが分離・反発に向かうことに変わりはないのです。そしてそれは愛・融和・ワンネスとは真逆のベクトルなのです。

世の中のすべての問題は究極「愛の不足」が原因であり、逆に言えばすべての問題の解決策は「愛」なのです。

だからまず主人公である自分から愛を発揮することです。自分がエゴを乗り越えて愛を発揮し、お互いの個性を尊重し、お互いの個性を生かしながら、ワンネス(私=あなた)に向けて目覚めの連鎖を起こして行けば、それは指数関数的に広がっていつか必ず世界は救われるのです。みんなが自分と相手がイコールの存在だと気づき、出会った人を自分自身と同じように大切にするようになれば、争い合い奪い合う意味はなくなり、無償で人に貢献するのが当たり前になり、お金は必要なくなるのです。

しかし多くの人がお金(を基盤にした社会のシステム・競争社会)が嫌になって疲れ果てていてさえも、お金を稼ぐためにあまり好きでもない仕事に縛られ我慢しながら生きています。そして「お金の要らない社会を作りましょう」と言う僕に「そんなこと言ったって(お金がなかったら生きていけないんだから)しょうがないじゃないか」と、まるで「えなりかずき君」みたいに口をトンがらかせて反論してくるんですね。

もちろん今日からいきなり社会システムは変更できません。僕だって乞食修業時代ですらお金を寄付して貰って生きていたわけで、完全にお金無しにジャングルでサバイバル生活をしていたわけではありません(それでも生きれる自信はありますけど)。今でも少額で無償の寄付(主に電子書籍購入のためのアマギフ)は常に大歓迎しています。僕がみんなに「今の仕事・金稼ぎをすぐにやめて財産を放棄し、一切対価を求めずに奉仕をする托鉢坊主になりましょう」みたいな無茶を言っているのと勘違いしないで下さいね。

価値観が変わっていないのにシステムだけ無理やり政治力(権力=強制力)で変えようとしても逆効果です。そんなことをすれば社会主義革命と同じで悲惨な結果しか待っていません。

だからまずは価値観の革命を自分から連鎖させていかなければならないのです。社会みんなの価値観が変われば、社会システムは自動的に変わります。

あなたはRPGでエゴの悪魔が支配する敵国に侵入(ログイン)しているのです。それが今のお金を基盤とした社会システム・マトリックスです。あなたはそこで違法手段や武力・暴力を一切使わずに、愛によって革命を起こして社会をひっくり返すゲームをしていると考えてみて下さい。信じるか信じないかはあなた次第ですが、実際それは本当にそうなので。

ただレベルアップせずにレベル1のまま・NPCのままで、いきなり社会システム(ラスボス)に逆らっても勝ち目はありません。表面上(物理世界)では社会システムに従っているフリをしながら、支配者の目の届かない精神世界(スピリチュアル)で修業して密かにレベルアップしてくのです。

そうしてあなたがレベルアップし、そのワンネスへの目覚めが周囲に連鎖してしまえば、それは必ず世界中に広がり、火をつけたスチールウールのように誰にも途中で止めることはできないのです。

連鎖反応は倍々に大きくなっていくドミノのようでもあります。先々に巨大なドミノの群れが見えたとしても、それをひっくり返すには目の前の一つを倒すだけでよく、それは必ず最後まで連鎖していくようクリエイターによってプログラムされているものなのです。支配者を批判して倒そうとするのは、順番(シナリオ)を無視して、先々にある巨大で手の届かないドミノに遠くから息を吹きかけて倒そうとするようなもので、そんなことでエネルギーを消耗して絶望するのは無駄でしかありません。愛はあくまでも目の前から連鎖させて下さい。決して直接手の届かないところから解決しようとしないで下さい。

それでは、誰でも今すぐに実行できる具体的で実践的なお金のシステムとの戦い方(魂の修行方法)をお伝えしたいと思います。これは天使と悪魔の代理戦争であり、このスピリチュアルな戦いの結果は物理次元にも必ず反映されるのです。精神が物理世界を作っているのですから当然です。ですから僕のこれから言うことを決して単なる精神論のように考えて「そんなことしても意味がない」などとナメてかからないで下さい。

<お金の時代の終わらせ方(魂の修行方法・新六波羅蜜)>

1.お金(我利)を目的に仕事をせず、愛(利他)目的で働く
2.執着・損得勘定を捨て、無償で奉仕・寄付する
3.お金を使う時もお金のことを極力忘れる
4.お金・権力による尊厳の蹂躙に屈しない
5.常にエゴ(お金・正義)より愛を優先する
6.信心を持ち、心から信頼・感謝し、日々形にする

1.お金(我利)を目的に仕事をせず、愛(利他)目的で働く
お金(我利)のことは極力忘れて、純粋に自分に与えられた能力と努力で人に奉仕して助け喜ばせることができること自体を愛して下さい。目の前のお客さんや仕事仲間を助け喜ばせるため一生懸命に夢中で奉仕をして、気がついたらお金が入っている、という感じになれば最高です。
それには自分の好きなで得意な事を仕事にするのが一番なのですが、例え今の仕事があまり好きではなかったとしても、その社会的意義を考え、自分を偽ることなくそれを堂々と自他に語れるようになって下さい。まずはどんな仕事であっても、目の前のことを誇りを持って一生懸命やれるようになることが大事です。
報酬はできるだけお客さんに決めさせて、個人的な値下げ交渉には極力応えてあげて下さい。お金がなくて困っている人からは極力お金を取らないで助けてあげて下さい。それはあくまで自分にできる範囲で良く、無理な時は断れば良いのです。
自分にはみんなを救う余裕(キャパシティ)はないから誰も救えないなどと考えていてはいつまでも世界は救えません。一人ひとりが自分のキャパシティの中で他人を救う連鎖を自分から起こしていけば世界は救われるのです。

2.執着・損得勘定を捨て、無償で奉仕・寄付する
あの世には何も持っていけないのですから、生活をミニマムにし、己のエゴ(我欲・保身・虚栄)に捉われず、出会った人のエゴを満たしてあげることを優先して下さい。お金や権力やモノの損得ではなく、お互いの感情・経験を大事にして下さい。生活をミニマムにするための節約は美徳ですが、単に己のエゴのためにお金を貯め込もうとせず、人を助けたり喜ばせたりするのにお金を惜しまず、細かいお金の計算に捉われないで下さい。
エゴ(欲)とは何か?に書いた通り、得をしても損をしても人間はダメージを受けるように作られているので、損得勘定で物事を考えること自体が不幸な事なのです。世界はワンネスであり相手は自分自身なのですから、出会った人を例外なく自分自身のように大切にして下さい。
例え全く儲けにならず損をすることになっても、困っている人がいたら無償で助けてあげて下さい。それは自分自身の鏡であり、あなたと同じように無自覚に人間を演じている創造主の分身なのですから。それは聖書の羊と山羊のたとえに書かれている通りです。
無償で奉仕・寄付すること(布施)は、六波羅蜜にも最初に出て来ることで、とても大事な修行なのです。布施をするのに相手が良い人か悪い人か、その布施を相手が良い事に使うか悪い事に使うかを判断してはいけません。あなたが愛の表現としてその行為をできたかどうかが重要なのであって、それが実際直接的に相手の役に立ったかどうかは重要ではありません。良い人はきっとあなたが救わなくても救われます。誰からも助けられないような悪い人こそあなたの救いが必要なのです。
布施というのを金銭に限定して考え「自分には余裕がないから布施などできない」みたいに考えないで下さいね。笑顔で接すること、見返りを一切求めず無償で親切にすること、相手の話を真剣に聞き、否定せずに気持ちを共有すること、出会った人を例外なく愛する(尊敬し、感謝し、許す)ことも大事な布施なのです。そしてそういう布施こそが相手の自己肯定感を自然と上げ、幸せにするのです。そういうことのできる人が相手から愛されないわけがありません。人は自分の自尊心を上げてくれる人を愛するようにできているのですから。
自分が無償で人に親切にしていたら、人の親切を素直に受け取ってその喜びを素直に表せるようになります。エゴのために生きていると、相手の好意が見返りを期待されているような気がして重く感じたりしますし、実際に見返りを期待するような人を引き寄せてしまっているのです。そして人を頼ることが自分の無能さの証明のように感じてプライドが傷ついたりして、なかなか素直に受け取れなかったりします。人の親切には心からの喜びを素直に表現すればよく、極力お金をかけたお返しはしない方が良いです。そうすれば周囲が見返りを求めない愛に満ちた人ばかりになり、見返りを求める人は自然と周囲からいなくなっていきます。そして誰かに何かしてもらったら、本人にお返しいたい分を他の人に親切にすることで愛を連鎖させて下さい。

3.お金を使う時もお金のことを極力意識しない
自分がお金を払って何かをしてもらう時でも、お金を介している関係であることを忘れ、まるで無料でしてもらったかのように心から感謝し、その感謝を形にするようにお金を払うことです。そして気持ちの良いサービスだったら、請求額よりも多く払いましょう。そうしたらお金を介した関係であっても、きっと心の友人になれるはずです。くれぐれも「こっちはお金を払ってるんだから満足させてもらって当然だ」「こっちが嫌な事を我慢して稼いだお金なんだから、お前もお金のために嫌な事でも我慢しろ」などという横柄な態度で自分の為に仕事をしてくれる人に接しないで下さい。それこそが愛の不足であり、必ず自分自身に返ってきて自らを苦しめることになります。すべての存在は一つ(ワンネス)なのですから当然です。

4.お金・権力による尊厳の蹂躙に屈しない
お金を払って偉そうにしたり、権力で人の尊厳を踏みにじるような人の仕事・要求は頑として断って下さい。お金より大事なものがあることを身を挺して相手に覚らせて下さい。自分がエゴ(出世や保身など)のためにお金・権力に屈してしまうようでは、お金・権力者の支配力がどんどん増してどんどん悪魔化してしまいます。
その象徴的なのは売春・枕営業で、性という人の尊厳の基本をお金や出世というエゴ(我欲・保身・虚栄)のためなんかに安売りしてしまう行為は権力への隷従そのものです。それに慣れて当たり前のようになってしまっては、お金の力が余計に強くなって権力者はどんどん増長するようになり、自分だけでなくみんなも尊厳を踏みにじられるようになってしまいます。
もし客や上司などによる尊厳の蹂躙を拒否することで仕事を失って生活ができなくなるぐらいなら、そんな仕事は必要ない(向いてない)ということですから、辞めさせられたら辞めるきっかけを貰えたことに感謝して下さい。尊厳を踏みにじられても我慢し続けていては、どんどん自尊心が下がって卑屈になり、人生が嫌になって心を病み、果ては自殺してしまうようになるかも知れません。実際に今の社会は多くの人がそのようになってしまっているでしょう。そういうエゴのための我慢というのは自分自身と世界に対する愛の不足であり、不幸になるのが自明なのです。
仕事というのはお金を貰って更にお礼を言われるレベルでなければなりません。それにはお金に関係なく一生懸命に努力を続けることです。本当に好きな仕事でなければそれは難しいでしょうし、本気で嫌な仕事を一生懸命やっていたら心が壊れてしまいます。
例え清掃や介護のような一見は誰にでもできそうな仕事でも、あなたがその仕事を愛し一生懸命にやれるのなら、それは誰にもできないレベルになっていって「この仕事はこの人でなければダメ」と心から求められるようになるのです(僕の仕事の中心も言わば清掃と介護のようなものであり、それこそが神事なのです)。お金を目的にして働いて、尊厳を踏みにじられるような仕事の我慢代で駄賃を貰う奴隷になっていては絶対そのようにはなりません。
個性が邪魔になるような仕事にしがみつき、人からあなたという存在(個性)を求められるようにならないのなら、自尊心など育みようがありませんし、そんなことでは主人公として成立しないのです。

5.常にエゴより愛を優先する
これも前記事エゴとは何か?に書いた通り、愛とエゴは真逆の概念であり、エゴで金を求めれば愛を失います。誰からも愛されずお金にしがみつくしかない老後・心の仏国土に愛する住民が一人もいないままこの世を去る人生ほど悲惨なものはありません。
決してエゴ自体が悪いモノではないので、エゴを無理になくそうとするのではなく、執着を捨てて自分のエゴより相手のエゴを優先して満たしてあげて下さい。
正義はエゴを連鎖・暴走・悪魔化させる最たるものであり、常に正義(何が正しいか)よりも、どうすれば相手に愛が伝わるかを優先して下さい。決して「相手は間違っているのだから傷ついても構わない」などと考えないで下さい。その思考の連鎖がこの世の不幸の元凶なのです。
人生の共演者として出会った人を例外なく尊敬し、存在に心から感謝して笑顔で接し、相手の欠点や過ちを許して補うことで、愛を示して下さい。相手の話の良し悪しをジャッジして否定せず真剣に聞き、感情を共有して下さい。問題は解決しなくていいに書いた通り、問題解決(便利さ・正しさ・合理)より、気持ちを共有することの方が大事です。

6.信心を持ち、心から信頼・感謝し、日々形にする
信心を持つというのは、どこかの宗教団体の信者になるという意味ではありません。どうか主体的・自発的に信心を起こし、一つの宗教に固執せずに広く学んで下さい。どんな神であっても、それは創造主の分身(アヴァターラ)であり、どんな神を入り口に信心を深めようと、本質的には同じことなのです。すべての存在は創造主自身ですから、我々が創造主自身を拝んでも意味がありません。個性(過ちや欠点を含む)を与えられた我々が、同じく個性を与えられた神仏を拝み満たし合うことで物語は生まれるのです。僕らは創造主の分身なのですから、我々がその分身同士で愛し合い、人生という物語を心から楽しむことが、一番創造主を喜ばせるのです。くれぐれも誰かのエゴのためにお金や奉仕など何かを無理に強制してくるような悪い宗教には騙されないで下さい。
聖書に次のようなキリストの言葉があります。「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だがあなたがたの天の父は鳥を養って下さる。あなたがたは鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうち誰が、思い悩んだからといって寿命をわずかでも延ばすことができようか。(中略)あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず神の国と神の義を求めなさい。そうすればこれらのものはみな加えて与えられる。だから明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労はその日だけで十分である。」(マタイ6章)
我々が病気や事故で死ぬ確率を全部合わせたらとっくに死んでいますし、確率で考えればそもそも我々も世界も生じていません。「自分の才能と努力で稼いで食べれている」という「驕り」と「(使命を与えられて)今を生かされている」っていうことへの「感謝と信頼の欠如」が「将来への不安」を生み、神よりもお金という悪魔を信じて依存せずにはいられなくなっているのでしょう。しかしいくら稼いだところで信心(天に養われているという感謝と信頼)がなければ不安が解消されることはなく、「いくらあっても安心・満足できない」とエゴは暴走し、醜い争い合いの果てに命が尽きる人生になるのは明白です。不安で将来に怯えながら幸せというのはありえません。キリストの言う通り、人は神と金の両方に仕えることはできないのです。
前述したように、お金は悪魔による世界支配の手段なのです。それは連鎖的に人をエゴ(我欲・保身・虚栄)の悪魔にするものです。悪魔は悪魔の顔をして近づいて来ません。悪いものとわかっていたら誰でも警戒して近寄ることはせず、悪魔は悪事を働き人々を分離・反発させるその使命を果たせません。一見して悪魔が天使より魅力的に感じられなければ、誰も悪魔を頼ったりはしないでしょう。それでは「天使と悪魔の代理戦争」である人生というRPGは成立しないのです。
信心はその思いを形(行為)にすることが大事です。全知全能で完全無欠の創造主は我々に何も必要とせず、ただ与えるだけの偉大なる贈与者なのです。最初から完全に満たされている創造主に対して我々は直接何かをすることはできないのですから、創造主の分身たる人間の欠点や過ちを許し、尊敬・感謝し、無償で補うということが、信心(愛=尊敬・感謝)を形にするということなのです。
我々が何か努力できる環境・肉体・才能も含めてすべて与えられたものなのに、見返り(結果)を求めて何かをするというのはナンセンスです。
宗教的な行為によって神々に信心(愛=尊敬・感謝)を示し、喜ばせようとすることも大事なことなのですが、人に無償で奉仕する(助け・喜ばせる)という基本が抜けていては何にもならないのです。

いかがでしたでしょうか?要するに自分から「お金の価値を相対的に下げていく」ってことです。誰も嫌な事をして尊厳を踏みにじられてまでもお金を欲しがらなくなれば、お金に今みたいな権力(強制力)はなくなり、支配者の支配力は下がるのです。そして誰もお金を目的に生きることはなくなり、愛(真理・神・幸福)の時代が近づいてきます。

この「新六波羅蜜」は覚りを開く方法・幸せになる方法とほぼイコールであり、あなた自身はすぐにでも幸せを実感できるようになってくると思います。きっとあなたはこれで本当にお金の時代が終わって世界が救われるとまでは考えられないかも知れませんが、今の社会がエゴの連鎖で作られているように、もしあなたの愛が連鎖すれば、それは指数関数的に広がって、いつか必ず世界は救われるのです。

この新六波羅蜜は心がけみたいなものですから、最初から完璧にできないからってすぐに諦めないで下さいね。100mを10秒で走るのとは違い、誰でもできることなのですが、かといって完璧にできる人もいません。僕も人様に言うだけのことはやってますが、まだまだできてないなと反省することも多く、日々改善を心がけています。楽器の演奏と同じで、最初はどれだけ下手でも日々楽しみながら続けて行けば必ず上達するものです。いきなりできたらRPGになりませんから、完璧にできない自分を愛しつつ、楽しみながら続けてみて下さい。

あなたが日々エゴを乗り越えて愛を実践してそれを育てるなら、例え最初はからし種のように小さく見えても、果ては巨木に育ち、更に風や鳥たちがその種を運んで世界中に広がって行くのです。

能力やお金や権力がなければ世界を救えないなどと考えるのは、RPGで最初からレベルMAXで仲間や装備・アイテムが全部揃ってなければ絶対にクリアできませんと言うようなもので、それでは愛と勇気が試されず、何のゲーム(成長)要素もありません。お金も権力も知名度も何もなく、エゴに埋没して臆病で怠惰なレベル1の時に、愛と勇気を振り絞って起こす菩提心(衆生を救おうという覚悟)だからこそ価値があるのです。

それによってあなたはNPCから主人公として目覚め、自分が主人公であるとしか考えられないようなドラマチックな出来事が次々に展開されるようになり、必要なものは必要に応じてどんどん与えられ、人生という「世界を救うRPG」が最高に面白く幸せなものに導かれることでしょう。

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