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どんな「大人」になっていたい?

今日は、私が10年後にどんな「大人」になっていたいかを書いてみたいと思う。なんとも気恥ずかしい試みだが、私はこれでもまだ21歳で、意外と夢と希望を胸に抱いている人間だ。今日、偶然見かけた記事で、10年後、あなたはどんな大人になっていたいかという質問をみた。面白い。ぜひとも考えてみたいと思ったので、思ったことを書いてみたい。

結論から言うと、私は「10年後”も”当事者意識を持って生きていたい。」というのが答えである。当事者意識というのは、この世で起きているあらゆる出来事にもっと真剣に向き合い、苦しみ、戦っていきたいということである。今の世は、戦争、経済的不安定、差別、貧困、環境問題と混沌の世界にある。よって、これからの世界は、一つの国が自国の豊かさを求めて競い合う時代とは違うと私は考える。これからは、地球の国々が一つになって、地球のために、世界の平和のために、世界の美しさのために本気で協力していく必要があると考えるのだ。だがしかし、今の日本はどうだろうか。今この世で起きている混沌に対して、真正面から、本気で向き合っている人は少ないように感じてしまう。それは、日本はそれでも成り立つからだと言えるだろう。しかし、本当にそれでいいのだろうか。なんだが何か大切なことから目を背けて生きているような、偽の世界を生きているような、不思議な罪悪感を抱えたまま生きていくことは、誰のためになるのだろうか。

こんな青臭い感情を私は、ずっと抱えて生きている。世界の主要都市が不条理に対して大規模なデモを起こして戦っているのをみて、彼らが持っている、今の時代を生きている者としての「当事者意識」に感銘を受ける。翻って、日本はどうであろうか。日本の都市で起きるデモは小さい。デモを起こしても、道ゆく人から迷惑扱いされてしまう。これは決して日本を批判しているわけではない。ただただ悲しいのだ。ただただ悔しいのだ。確かに、日本にはいかにも怪しいデモもある。警戒するのも理解できる。確かに日本人は忙しい。自分の心の中に余裕を持てないほどに。しかし、私たちは、本当にこの世を生きている自覚があるのだろうか。この世というのは、日本のことではない。この世界に生きている自覚だ。そんなものは必要ないと思うだろうか。しかし私は、日本も立派な世界の一部だと信じている。

話がそれてしまった。これは、10年後の私はどうなっていたいか。それは「世界のあらゆる出来事に対して当事者意識を持って生きていたい。」である。だが、私には「夢」もある。それは、「日本を当事者意識を持てる国に変えていく。」ことだ。何様だと思われるかもしれない。だがやっぱり、私は日本の眩いほどの美しさと、日本の嘘っぽさの対比が気持ち悪いのだ。こんなに美しい理想郷のような国が、なぜだが虚構に見えてしまう。ここにいる人たちは、美しい世界に包まれて、この混沌とした世界にいることを忘れているような気がしてならないのだ。それは私が特権性をもった地位で、真綿に包まれて生きているからかもしれない。だがしかし、この虚構はどこまでも、広く、深く浸透している気がしてならない。

私はかつて、この世界の混沌に真正面から向き合っていた。デモを打ち、困窮者の相談に乗り、外国人労働者の被害とともに戦った。だがしかし、疲れてしまったのだ。一向に増えていかない協力者、自己満足にすぎないようなデモ活動、効果を感じられない相談。。私は逃げるように活動から遠のいてしまった。一通り参戦してみて感じた感想は、「日本でこんなことをしても意味がない。」だった。今思えば、無責任にもほどがある。しかし、私はそう感じて諦めてしまったのだ。それぐらい、日本に失望してしまった。

私は失意のどん底で、アメリカへ飛んだ。アメリカはどんなもんだろうか。私はアメリカの公民権運動に感動し、ずっと憧れを抱いていたのだ。向こうに行って、運動に参加した。偶然、友人が新聞記者でアルバイトをしていて、デモ現場に取材に行くと言うことでついて行ってみたのだ。現場には、ダンサー、ラッパーがいた。私の思い描いていた運動とは違っていた。デモが始まると、人々は口笛を吹き、ダンスに合わせて音楽をかなで、歌い始めた。行進を始めると、道ゆく車がクラクションを鳴らして私たちを応援する。自分がデモに参加しているとは思えないような、楽しい雰囲気がそこにはあった。高齢者も若者も中年の方も集まって多世代の行進だった。(アフリカ系の人はいなかったことだけが気がかりだが。)ああ、こんな世界があるのか。初めてのアメリカで私は希望を得た。私の参加したデモは、エコファンドに関するものだったが、一緒に行進していた高齢女性は私に言った。「私は、あなたたちの世代のために運動をしているの。これからはあなたたちの時代なのよ。あなたたちの世界は、あなたたちの手で守らないとだめなのよ!!」と。悔しかった。この目の前の高齢の女性は、自分たちの未来でななく、私たち次世代のために戦っている。しかし私は、、私は自分の時代から目を背け逃げてきたのか。と。。。彼女のおかげで、自分が生きている世界を再認識することができた。

ずいぶん長くなってしまったので、そろそろまとめよう。私は日本の人にも、もっとこの世界で生きている自覚をもって、この世界は自分のものだと思って生きて欲しいと切実に思っている。だが、そう思えば思うほど、思い通りにいかないこの世の中に嫌気がさし、だからこそ目を背けたいと思うのもわかる。私もそうだったからだ。でも、どうか一緒に考えてみたい。この日本という美しく、豊かで、優しい国に、もっとエネルギーを宿したい。今は絵に描いた理想郷に見えるようなこの国に、命を吹き込むのだ。

必ず、夢をかなえてみせたい。

さて、夜は長いぞ迷え就活生。


ではまた。



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