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大切なものは循環する

今日、ひとつ歳を重ね、
わたしは36歳になった。

35歳は特別な年だった。

はじめての出産
しあわせの絶頂から
息子の先天性難聴が発覚し
悲しみの涙にくれる日々。
ようやく前を向きはじめた頃
コロナによって暮らしは一変した。

総じて、この1年で学んだことは
"人は前進できる、強い生き物"
ということだ。

息子の難聴発覚の悲しみを乗り越えて
前を向けたとき、ようやく先の暮らし方や仕事について考えることができた。

療育の先生からは、仕事を休んで専念することを勧められた。

果たして息子とわたしは
その選択の先に幸せだろうか?

答えは明確だった。
息子の前で毎日を元気に楽しく、
わたしらしい姿であるために、
大好きな仕事は辞めないことにした。

かわりに来たる息子の本格的な療育に向け、
すべての仕事を整理することにした。
療育と息子との時間を最優先に過ごすために。

そうと決めたら準備に全力を注いだ。

この先しばらくは出版をはじめとしたメディア関連の仕事は難しくなる。時間的拘束が長い上、常に締め切りと戦う仕事は息子との暮らしを前に不可能だ。

整理の仕方はシンプルで
できないことを嘆いても仕方ない。
出来ることをやる、それだけだ。

まずは
自分の武器(料理)で
好きな場所(自宅キッチン)で
好きなペースで収益をあげることを目指し、わたしはYouTuberになった。

もう一つ大きな決断をした。
6年前に一大決心をし、代官山に作ったわたしの城"アトリエ"を手放すことにした。大切な場所だからこそ使わずに眠らせておくより、次の持ち主に渡りまた大切に使ってもらえる方がいい。

そして、極め付けはオンラインレッスンの導入だった。

自粛生活を余儀なくされたコロナ禍。
自宅のキッチンから、わたしが料理、オットがカメラワーク、自粛期間に同居をしてくれていた妹がその時間息子を見る、というチームを組み、インスタLIVEでレシピ紹介を繰り返した。

0歳児を抱え、仕事や暮らしの舵を大きく切ろうとしていた最中、連日のLIVEは簡単なことではなかった。

それでも、ほんの少し前までは突如として湧いた悲しみに泣き続け、塞ぎ込んでいたわたしたち家族は、誰かの役に立てているという実感が心底嬉しかった。

作った写真と共に送られてくる
『おいしかったです!』
『家族に喜ばれました!』
『また絶対作ります!』
といった報告で携帯は鳴り止まなかった。

同時に
『コロナ禍で気持ちが滅入っていた時、SHIORIさん家族のインスタ LIVEと美味しいレシピに救われました。』

『料理の楽しさを思い出しました』

『人生で初めて料理を好きになれました』

そんなメッセージも
ひっきりなしに届き続けた。

紹介するレシピが全て"バズっ"ている状態でその勢いは、いまもなお止まらない。
こんな経験はわたしも初めてだった。

考えられる要因は
"ただ手軽に作れるおいしいレシピ"を紹介していたわけじゃないという事実だ。

来る日も来る日も、わたしなりのメッセージを込めたレシピを提案し続けた。

スーパーさえも気軽に行けない状況下で
いかに現実的なレシピで
いかに作る人のモチベーションを上げ
いかに食べる人に喜んでもらい
いかに食卓を笑顔をもたらすか

レシピを受け取る相手を想い
想像を徹底した。

言わずもがな
そこにおいしいは
絶対条件だ。

さらにその先には
『料理を楽しんでほしい
 料理を好きになってほしい』
ブレないわたしのモットーがある。

紹介するレシピは、例えばこんな具合だ。

《少ない材料、抜群のコスパで、具材の応用がきき、見た目は地味でも想像の斜め上のおいしさをいくもやしそば》

《品薄のバターを使わず、ホットケーキミックスを使って誰でも(子供だって)失敗なくふわふわしっとりに作れるバナナケーキ》

《外食どころか外出もままならない当時、近所のラーメン屋に行くことすら叶わない心を癒す、家で作れる本格トマトつけ麺》

《毎日3食を作るキッチンには、足を運ぶのを楽しくなるものを仕込めばいい。の発想から、初心者でも気軽に"手仕事感"を味わえて、並べるだけでカラフル可愛いフルーツビネガー》

《日頃作り慣れているであろう定番料理も、プロの技を取り入れるだけで"劇的に美味しくなる"そんな違いをわかりやすく感じてもらえる肉野菜炒め》

時には、エンターテイメント要素の強い
20分で4品の献立を作りあげる、ドタバタ劇炸裂の『20分で晩ごはん』というレッスンを取り入れた。

《簡単、おいしい、キャッチー》なメニューからはじめ、出汁の大切さ、素材のうまみの引き出し方と徐々に『わたし、料理が上手になったかもしれない』と感じてもらえるように密かにレベルをあげていった。

みんなの料理熱が最高潮に達していると感じた時、ひとつ大きな賭けに出た。
素材から手間ひまかけて作る自家製ラーメンだった。チャーシューだってもちろん自家製だ。

結果は、ご想像の通り。

染み渡るおいしさのスープは
"明日を生きる活力につながる味です"
2時間にも及ぶ熱いLIVEはそんな言葉で閉めたと思う。

翌日からわたしのインスタのフィードはみんなが作る"手作りラーメン"で埋め尽くされたのだ。

自粛期間前後にインスタライブで紹介したメニューは実に50品を超えた。
これはわたしが1年間に料理教室で教えるメニュー数を遥かに超え、ざっと2年分だ。

時短、時短、時短‥
時にうんざりするほどに『簡単』であることが繰り返し叫ばれる昨今、今この瞬間だからこそ、家庭料理の底力を見直してほしい。

いつしか、料理家になって培った知識、経験を総動員させ、人生をもかけた挑戦になっていた。
 

そうして目の前に広がった光景に
救われたのはわたしたち家族も同じだった。
悲しみの先に掴んだ希望。
食の持つ力の偉大さに圧倒され
悩みもがきながらも
そんな仕事を続けていたことに
心底誇りを持てた。
家族総動員、最小かつ最高のチームで
力を合わせ、全力で挑めたことも嬉しかった。

やがて自粛が明けた頃、この経験が、もう無理だろうと諦めていた料理教室をオンラインという形で実現に導いてくれた。

すべては2020年、
コロナ自粛を含む3-6月の出来事だった。
相当な労力を使ったが、何ひとつ苦ではなかった。

誰に強制されたわけでもない、
大切なものを守る為に
自分で決めたことだからだ。

体は疲れているのに不思議と
パワーがみなぎる感覚だった。

長い人生には、その後の生き方を左右する
"死ぬ気で頑張るべきタイミング"があると思っている。

わたしにとってそれは、20歳から22歳までの2年間。そして、突如として訪れた"今"だった。

20歳から22歳までの2年間というのは、無名のわたしが『作ってあげたい彼ごはん』を出版する為に、死ぬ気の努力をしていた時期だ。

努力は実を結び、売れないと言われた"若い子が作る若い女の子の為の料理本"は340万部を超える大ベストセラーとなり、若い女の子が料理を楽しむことがスタンダードになった。

料理におけるひとつの文化ができたのだ。
若者向けのレシピはスタンダードとなり、今に至る。

彼ごはんのベストセラーから
ありがたいことに仕事は途切れることはなく
ずっと忙しかった。

"若い女の子に料理の楽しさを伝えたい"
その情熱だけで走り続けていたわたしは、20代後半、インプット無きアウトプットの連続がとうに限界を超え苦しさに溺れていた。

27歳、結婚を機に引退も考えたが、
料理で人に喜んでもらう仕事が心底好きなわたしは、その手を離せなかった。

すり減った自信を回復させる為に本腰を入れて料理の勉強を始めた。

フランス、イタリア、タイ、ベトナム、スペイン、香港、ポルトガル、台湾‥世界各国、現地の学校や料理教室に通ったり、ホームステイをしたり。日本のベーシックとして根付いた家庭料理のバックグランドを学び、各国の食に対する様々な価値観に触れた。同じく国内でも、数々の食のセミナーや勉強会に参加し、専門家に教えを乞うた。

自信を取り戻し、29歳で代官山に一大投資をしてアトリエを作り、今度はわたし自身が枯れぬよう、インプットを続けながら、料理教室を主宰し、沢山の生徒さんにレシピを紹介した。

はたから見たら、次々とステップアップを重ね、順風満帆に見えたかもしれない。

それでも22歳とデビューとブレイクが早かったわたしは、20代後半から続々と頭角を表す同世代の活躍を横目に、心の底では、自分がずっと階段の踊り場に取り残されている気分を味わっていた。心のどこかにいつも焦燥感を感じながら、それでも地道に目の前のことに取り組む日々だった。

そして、いま。
オンラインレッスンの加入者は想像を遥かに通り越して6000人を超えた。

参加者は日本にとどまらず、
アメリカ、フランス、イギリス、アイルランド、チリ、オーストラリア、シンガポール、ベトナム、キルギス、バリ、香港、ニュージーランド、ドイツと、世界各国に広がった。

何が身悶えするほど嬉しいかって、
この多くに"彼ごはん出身"がいることだ。
 

十数年まえ
彼ごはんで料理をはじめ、
料理の楽しさを知ってくれた
料理初心者だった女の子たち。

ある程度作れるようになれば、
レシピ本を見なくなるのも当然だ。

その後、結婚、出産などライフステージの変化と互いの成長を経て、私たちはふたたび出会った。

これは、伝える事をあきらめなかった私に
神様がくれたご褒美だと思うことにした。
すべては"いま"につながっていたのだ。

わたしが感じているオンラインレッスンの魅力と可能性をまだ語りたいが、家族との時間を大切にしたいのでそれはまた次の機会に。

でも、ひとつだけ。

オンラインの世界でもしっかりと温度を感じられる。
結局は人と人想いが交差すれば
そこに熱がうまれる。

夫に宣言した36歳の目標がある。

新しい最愛の家族を迎え入れた今年、
いろんな感情を経て
この先も変わることない
生涯の目標にたどり着いた気がする。

『家族みんな仲良く、元気に、長生きする』

親になってはじめて"長生きしたい"
なんてことを思った。
我が子の成長をオットと寄り添いながら
少しでも長く見守るために。

目指す準備が整うまで、あと少し。
母ちゃんは頑張ろうと思う。

関わるすべての人に
心からの感謝を込めて。


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