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純喫茶 盗掘


 クリームソーダの中に小さな人魚が泳いでいる。
 人魚は炭酸に翻弄されてへらへらとたゆたいながら、下半身の鮮やかな紅色の鱗を煌めかせている。上半身は人間の女性のそれとまるで同じだ。巻貝の内側のような質感のふくよかな体を揺らしている。なぜが口が縫い付けられているのが痛々しい。
 「さあさ、クリームと一緒に掬い上げてみなさい」
 店主は、桃色と橙色の間の光を放つ宝石を埋め込んだ右眼と生牡蠣のような左眼でこちらをめっとりと見つめている。言われたとおりに掬い上げてみると、クリームの冷たさのせいか、人魚がスプーンの上でクリームにまみれながら身悶えている。
 「さあさ、絶対に一口でいくんだ」
 思い切って噛まずに飲み込むと、喉が軽く焼けるような妙な清涼感を覚えた。みろろろろろろという音が喉から漏れたが、誰も気に留めていない様子だ。
 店主は宝石をぎらつかせて満足げな顔をしている。
 「その」
 「この右眼は、パパラチアサファイアだよ」
 「パパラチア?」
 「パパラチアはシンハラ語で「蓮の花の蕾」という意味だよ。うつくしいだろ?まぼろしの宝石だよ」
 サファイアを外して私の掌の上に乗せてきたので、思わず、ひゃっ、っと手を払って、サファイアを床に落としてしまった。
 「あなた、やめなさいって」
 隣で見ていたサングラスの女が悪戯っぽく笑いながら、転がった宝石を拾い上げて、店主に渡した。店主はサファイアが欠けたままニヤリと笑いかけてくる。サファイアのあった場所は、深い洞のようになってしまっていて、覗き込んでも底が全く見えない。


 『純喫茶 盗掘』
 白地に黒の細い書体で、そう書かれていた。シンプルな看板と「盗掘」という言葉の組み合わせがなんだか面白くて、気がつくと階段をくだっていた。サインも何も貼られていない分厚い木製の扉を開けると、目の前に大きな真っ黒な紫陽花の株があらわれた。
 「いらっしゃい」
 声のする方を見ると、薄暗い店内で店主の右眼がぎらりと光っている。店主は左手で奥のソファのある二人席を示している。
 「紫陽花は、土壌のpHによって花の色が変わるんだよね。酸性なら青、アルカリ性なら赤。じゃあ、真っ黒な紫陽花はいったいどんな土壌で育つんだろうね?」
 「えっ」
 返答に窮していると、店主に寄り添っている女が、大丈夫、この人、からかってるだけだから、と笑っている。女は、薄暗い店内でサングラスを掛けている。赤紫色のベルベットのソファに腰を掛けると、ソファは軋みながら、思ったよりも深く沈み込んだ。店内唯一の灯りである大きなステンドグラスのペンダントライトには、「我が子を食らうサトゥルヌス」と「裸のマハ」が描かれている。
 「なぜ」
 「墓荒らしだったんだよ、おれ。右眼は自警団にボウガンで撃ち抜かれたんだ。『純喫茶 墓荒らし』ではなんだか格好がつかないから、『純喫茶 盗掘』と名づけた」
 「あはははは。『人生は他者の感覚の盗掘にすぎない』って言葉が由来じゃなかったの?なに頼みます?」
 女に渡された出席簿のような冊子を開くと、骨粉ブレンド、アブサン・コーヒー、プリン・ダ・ダ・モードなどという奇妙なメニューが並ぶなか、最後のページに大きく、人魚入りクリームソーダと書いてあった。
 「これ、くださいますか」


 「これは、タニンヂャザナで手に入れたんだ」
 店主は掌の上でサファイアを転がしている。
 「タニンヂャザナ」
 「マダガスカルのことを、現地の人間は好んでそう呼ぶんだ。先祖の土地、という意味なんだってな。タニンヂャザナに住む友人を訪ねたときは、ファマディハナの時期だったんだ。日本でいうお盆みたいなものだ。その時期には、墓を掘り起こし、布に包まれた先祖の遺体を取り出して一緒にダンスをした後、新しい布で巻き直すんだ」
 「そんな話、はじめて聞いた」
 女はうっとりと店主の掌を見つめている。女は、どことなく飲み込んだ人魚に似ている。空調もないのにペンダントライトがうあんうあんと揺れている。サトゥルヌスが子供を咥えながらこちらを睨みつけている。
 「到着した初日に、友人の家でコーヒーを飲んで休憩していると、外から怒号にも似た奇声と、管楽器と太鼓の狂騒的な音色が聞こえてきたと思ったら、友人が、ファマディハナがはじまったぞ!と表に躍り出て、慌てておれも外に出たんだ。すると、くねくねと踊り狂う長蛇の列が、ファマディハナで最も巨大なバオバブの木のしたにある12基の、四角錐の墓を目指して蠕動していて、なんだかおそろしいなと思っていると、友人に手を取られてその長蛇に加わってしまって、どこから取ってきたのか、友人はオレンジ色のカエルの背中にしゃぶりついていて、お前もやれ!と言われるがまま、おれも口に押し付けられたカエルの背中にしゃぶりついたんだ、カエルの背中は腐ったライチみたいな酷い味がして、舌ベロが痺れ切ってしまったけど、周りを見渡してみると、みんなカエルを咥えてるんだ、カエルを咥えながら瞳孔をかっぴらいてくねくねの踊りで墓まで行脚する、その中には、アイアイやロリス、キツネザルなんかの原猿類も何食わぬ顔で加わっていて、獣の匂いと、飛び交う極彩色のフルーツ、触れ合う肌の汗の感触、畳み掛ける打楽器のビート、その全てがもつれあいながら一匹の長蛇となって灼熱の地べたを這っていて、おれはいつの間にか我を忘れてバオバブの木のしたで布に包まれた遺体を持ち上げて雄叫びを上げていたんだよ!それはアンダダの遺体だ!友人が叫んでいたが構わず周りの人間と一緒に布を取り去ると、見事な腐臭が全身の毛穴や粘膜から流入してきて、死と一体になって新しい世界から地上に干渉する特別な力を手に入れたように感じた!後ろから誰かがおれの頭を掴んでほろほろになった遺体の顔に押し付けるから、おれは構わず遺体の口に舌を入れた、すると、中に硬い、つるつるの石のような感触がして、舌で持ち上げてみると、桃と橙の宝石、これだよ、これが出てきたんだ!おれは天高くこれを掲げると、周囲の人間が、おれの周りから、さーっ、と引いていったんだ、おれは恍惚とした心持ちだったが、友人がすぐにおれの手を取り、全速力でもと来た道を駆け戻っていくんだ、それは、ずっと見つからなかったヴァシンバの宝石だ、大変なことになった、メリナ王国の首邑のアンヂアンザカ王がヴァジンバ族から強奪した12の宝石の、見つからなかった最後のひとつがそれだ、そのひとつが見つからなかったためにヴァジンバの死霊はいつまでもこの地に彷徨っているといわれているんだ、見つかるべきではなかった」
 「よくそんな話いともたやすくでっちあげられるわね、ある種の才能を感じるわ」
 女は手を叩いて笑っている。マハもつられて引き攣ったように笑う。
 「ハハハハハハ!でも、このヴァジンバのサファイアのおかげで、幼い人魚を入手できるようになったんだ。アンツォヒヒの闇市の、さらに深い闇の一角でしか手に入らないんだ。このサファイアを担保に人魚を買い付けてるんだよ」
 「この店の中、なんだか煙たくなってきてませんか?それに、アツィナナナのシーンが飛ばされてる」
 「煙たい?たばこもお香も焚いてないよ」
 「人魚はね、うつくしいけどとても危険だから、マトモには絶対に出回らないの」
 「危険?」
 「そう、鳴き声が危険なんだ。人魚の鳴き声を聞くと、その日のうちに両眼から分厚い花びらをしたジャスミンが咲き出して脳がそいつに吸い取られてしまうんだ」
 「そうそう。この人は、危うくそれで狂ってしまうところだったのよ。右眼は、そのときに負傷したの。ボウガンで撃たれたなんて噓っぱちよ」
 「こいつの目玉も、人魚のうつくしい歌声にやられたんだよ」
 店主はおもむろに女のサングラスを外すと、両眼のあるはずの場所は、店主と同じように底の見えない深い洞になっていた。
 「あっ、うちの人魚は喉を潰して口を縫い合わせてるから安心してお召し上がりいただけますから」
 「人魚は、どんな鳴き声なんですか?」
 「みろろろろろろって鳴くのよ、みろろろろろろって!」

 網膜が、ペキペキと破ける音がする。
 ジャスミンの花びらは、君のくちびるのような厚みだ。
 舌先で夏を捜す。
 冷たい白い壁を舌先でなぞる。
 線路に飛び込む瞬間の紫外線の強さ。
 舌先で夏を捜す。
 人魚が胃でクリームと静かに溶けていく。
 葬列のシーンで始まる映画が流れている。
 こわれた秒針で君のくちびるを留めながら、
 舌先で夏を捜す。










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