足元の小さな肉食獣

 たんぽぽがたくさん生えている空き地が近所にある。

 今の時期、たんぽぽは綿毛を付け、子孫たちの運命を風に委ねている。空き地は一面真っ白だ。白いぽわぽわが群生している様子はなかなか可愛らしく、道端に2、3輪咲いてても気にもとめない癖に、何となく立ち止まってしまった。

 たんぽぽの綿毛って、漠然と、未来の象徴だと思ってる。空を渡り、やがて芽吹くもの。宙を舞う彼らといつか違う形で再会することがあっても、それは一年後の話なのだ。

 そんなん言ったら植物の種ってだいたいそうだわって話なんだけど、何となく、見かける機会が多くて、白く美しい羽を持った彼らは「未来」という言葉を背負うのに相応しいような気がする。

 ……たんぽぽってさ、一輪あたり結構な数の種飛ばすよね。50個くらい? 目測で数を推測する能力は高くないので全く自信がないが、でもまあ数十個は確実に飛ばしてるよな。

 仮にそれが全部芽吹いたとしたらさ、春が来る度にたんぽぽは指数関数的に増加していくわけで、そしたら日本なんてあっという間にたんぽぽに支配されね? 一輪のたんぽぽが50になり、その50のひとつひとつが更に50の種を飛ばし……気が遠くなりそう。

 要はバイバインの強化版みたいなこと起こらん? って話をしています。説明力がない。というか指数関数の説明としてバイバインのエピソードが優秀すぎるんだよな。

 でも実際、日本がたんぽぽで埋めつくされたりはしていない。何故か。バイバインで増やした栗まんじゅうは、食べれば増えない。それと同様に、たんぽぽは、そもそも芽吹かなければ種を飛ばすところまで辿り着けない。

 要は、飛ばした種のうち来年まで生き残るのはごく一部で、たくさんあるように見える綿毛も、そのほとんどが道半ばで駄目になってしまうからなのでは……? と私は結論づけた。

 単純計算、一輪につき一つの種が生き残れば、毎年同じ数のたんぽぽが花開くはず。……すると、残りの49はどこかで駄目になっているはずだ。

 うっかり川の中に落ちてしまったのかもしれないし、手違いで動物に食べられてしまったのかもしれない。あるいはせっかく新天地に辿り着いても、栄養が足りなくて芽を出すことができなかったのかも。

 あんな小さな体で空を渡るというのは、つまりはそういうことなのだろう、多分。私たちの視界に入るたんぽぽたちはそんな苛烈な旅を生き抜いたエリートなのだ。そりゃ踏みつけられたくらいでへこたれないわな。

 そんなえげつない旅の苦しみを微塵も感じさせず、ぽわぽわと足元に開く黄色い光は、けれども私たちを噛み殺すその瞬間を、淡々と狙うライオンの歯ダン・デ・ライオンだ。

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