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感謝してくれるあなたが欲しいんですか?

 ゲストハウスに寝泊まりするのには、体力と、ある程度の運動能力が必要だ。

 ここでいうゲストハウスというのは「簡単な仕切りのある2段ベッドなどに寝泊まりする形式の宿。外国人の宿泊客に人気」というスタイルである。私がいま宿泊しているのは日本海側のとある町の施設で、そこは下のベッドの住人の利便性あるスペースを確保するために、2段目の住人がはしごを頼りに”クライミング”する高さは2㍍近くある。

 はしご(強度は申し分ないのだけれど)を上りながら片手でベッドの入り口付近にある手すりをつかみ、身体を引っ張り上げながら階段を5段ぐらい素早く上る。20代後半にはけっこうな重労働で、何度も上り下りすると汗が噴き出すので、最小限の移動に抑えている。

 加えて、このゲストハウスにはエレベーターがない。3階まで上るのは大して疲れないと思われるが、初日にキャリーケースを抱えていたときは地獄だった。加えて旅行初日に風邪を引き、息も絶え絶え、ゾンビ状態でたどり着いたため絶望もひとしおだった。優しいスタッフさんが風邪薬を分けてくれて事なきを得た。半日寝て汗をかいたら熱はさがり、ついでにおでこのにきびも治った。

 きょう、私は共用のシャワールームで身体を温めながら、痛んだ髪の毛を乾かしながら、怒りの感情に支配されていた。これは「私にはよくあること」なのだが、さまざまなシチュエーションを想像して妄想を膨らませている内に、それがあたかも実際に起こったことのように思えてしまい、怒ったり、悲しんだりしてしまうという現象である。不思議とプラスの感情を伴う妄想には作用しないという特質もある。夢から覚めた後の幻滅を無意識に避けるためなのだろう。

 私が妄想を膨らませる約2日前にさかのぼると、私は尊敬と信頼とその他の感情を抱いている人に会っていた。半年ぶりの再会である。彼に「告白めいた行動」と称して泥団子のような言葉を投げつけてしまった恥ずかしい過去はぜんぶ都合良く忘れ、私は仕事上やキャリアについてのアドバイスを得るために、彼の住む○町まで電車に揺られた。

 初めて訪れる町の観光の合間に、彼といろんな話をした。私にとって想定外だったのは、優秀な仕事マンで自信家の彼が、今所属している組織では常に孤独と闘っていることだった。周囲の人間は表面上はニコニコしているが、水面下では虎視眈々と次のキャリアを見据え、弱肉強食上等、天上天下唯我独尊、豆を煮るにまめがらを焚きまくってもOK、という感じらしい。とっても大げさになってしまったが、表だって潰し合うということはないけど共に働く仲間同士を見下して何かとマウンティングし合っている、ある意味ゴリラより社会性が無いような職場ということだった。そんな伏魔殿のようなところで平常心を保って仕事ができるなんて、私には想像もつかないことだ。

 私にとって彼は唯一無二の先輩オブ先輩だったので、その話はかなり意外というほかなかった。私にできることをと思い、できるだけ話を聞いた。本音で話せる人がそこにいないなら、今だけでも思いをはき出してほしかった。

 私自身の悩みも伝えることができた。円形脱毛症になってしまったのは仕事ができない自分を責めすぎたことだが、同時に周囲の環境にも強いストレスと不満があった。環境のせいにするのは自分の未熟さの裏返しだが、突きつめて自分が強くなるためには、もっと栄養のある環境に身を置いた方がいいのではないか。トマトは栄養が無い土地の方が甘くなるというけど、根を深く張って伸ばして栄養を探した先に栄養がないのであればどうしようもないのかも。

 環境への妥協策を既に講じているけど、本当は転職してみたいし違う世界を見てみたい。隣の芝生が青いかどうかは隣の芝生に行かないとわからない。そういう思いを伝えたとき、彼は真剣に聞いてくれた後に言った。「(この職場に来て)初めて頑張ろうって思った」と。

 人に甘えて、頼り切ってしまうことに人は罪悪感を抱くが、頼られることで励まされる人がいるのならば、多少は許されることもあるかもしれない。ポジティブにとらえさせてもらおう。久しぶりに再会できて良かった。熱が出てるのをだましごまかして最後に大切な話ができてよかった。

 私、キャリアのことについて考えるためにここに来た。ほかに望むことなんか何もない。ほしい答えのヒントをもらえた。相手を励ますこともできたはず。こんなに熱が上がってエモーショナルになりながら新幹線に乗っている必要なんて無いのに。けど…

 引っかかっているフレーズがあった。彼の人間性についての質問をしたときのことだった。「Aさんはあなたのことを慕って、いろいろしてくれますよね。でもあなたはAさんをそんなに信用してないし、心を開いていないと言った」「うん」「それはどうしてですか?」その後、彼はかなり気まずそうに話題を変えてしまった。うまく煙に巻く方法もあったはずなのに、まじめな話の流れでとっさに出てこなかったのか、それとも私が何か触れてはいけない核心を突いてしまったのか?

 以前から、彼は他人のことを信用していない節があった。周囲にはとても計算高いのだ。一方、私は彼と話すときに98%は本音でしゃべっているが(私は他の人と話すときは本音を50~70%で調整している)、彼も私に対しては70%ぐらいは本音でしゃべってくれているといううぬぼれもあった。

 本音を出さないことの理由が、仕事上の有利不利のゲーム理論以外にあるとすれば、まさに核心はそこのはずだった。つまり、「不利にならないゲームの盤上でも(もしくは盤上の外で)、どうしてあなたは相手を完全に信用できないのか」という問いである。

 私は人のことを信じるのがラクだし、好きだし、良い相手であるのであれば(その保証が信頼たる人物からのお墨付きであるなど)、信頼を寄せることが自他ともに幸福になる術だと信じてきた。もちろん、人間誰しもエラーもあるし魔が差すときもある。自分自身も全然信用ならない。それを加味しても余りある恩恵がある、それが「信頼」というマジックワードだと信じてやまなかった。

 どうやら、彼にはその理論が通用していないようなのだ。もしくは、通用させないような別の心の働きがあるのかもしれない。そこまで考えが至ると、やっぱり私の質問にきちんと答えてもらわないと本当のアンサーにたどり着けないような気がしてしまう。「次会えたときにちゃんと聞こう。もし答えてくれなかったら、ひょっとすれば彼に怒ったり怒鳴ったりしてしまうかもしれない」-。得意の妄想パートが幕を開け、「答えをくれなかった場合」の架空の彼に怒った。

 信頼の構図は、私にとってギブアンドテイクとほぼ同義だった。親子関係だって究極はそうだと思ってきた。「無償の愛」とは聞こえが良すぎる、自然と湧き上がる親しみと信頼の往復もn個のギブアンドテイクのうちに成り立っているはずだ、と。「ギブ」は別に労働なんかじゃなくて、子どもが「にこっ」としたり、ベビーが寝息を立てたり、身体が大きくなったり、そんなことでも成り立っているはずだ。無数の連続性が、強い絆を作っている。無からは何も生まれないという根拠の元にうっすらそんな思考を築いていた。

 ところが、彼と話しているときにそんな構図が抜け落ちる気がする瞬間があるのだ。ギブアンドテイク理論では「この人のために何かしたい」は、表面上は隠れていたとしても「感謝してもらえる」とセットになりがちだ。それが彼には通じたためしがない。なぜかこちらは「利用されただけ」と思うのだが、これは一体どういうことなのだろう?

 今度私が彼に会うとき、ぜひそれを確かめてみたい。それとも、人には触れられたくない一線があって、私の問いは土足で人の心に踏みいるようなことになってしまうのか。それでも私は彼のことを少しでも知りたいし、理解したい。できることならば「理解という名の愛」を注ぎたい。

 それは「この人のためになりたい(=私に感謝し、必要としてくれるあなたが欲しい)」、ではなく、「この人のために私が行動したい(=その見返りではなく私の行動そのものが欲しい)」ということだ。欲深い私は、常に「あなたが欲しい」に揺り動かされる。だけど、そんな気持ちのままじゃ本当に欲しいものは絶対に手に入らないんだ。(つづく)

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 地方勤務の26歳女子。先輩のことは一生会えなくても平気なつもりでしたが、仕事の助けを求めたために自分の欲が再燃してしまい、そこから解脱する第三の道を探すことにしました。そうはいってもまずは今の仕事を続けていけるのか。アラサーに突入し、そろそろ夢見る時代は終わったはずだったのですが。山田ズーニーさんのファンです。悩める同世代に届けるため、99%、ほんとうの言葉で書いていきます。1%はフィクションです。不定期更新。(しいさ)
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すてきなお写真をお借りしました、ありがとうございます!

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