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【さきよみ】近藤銀河『フェミニスト、ゲームやってる』より「はじめに」全文掲載!

ゲームはフェミニズム的にもホットなメディアになっている──。フェミニストで歴史研究者、パンセクシュアルで車いすユーザーの近藤銀河さんが、フェミニズムとクィアの実践の場となっているビデオゲームの世界の面白さを伝えるエッセイ『フェミニスト、ゲームやってる』が5月24日に発売されます。刊行を記念して、同書の「はじめに」の全文を掲載します。

なぜフェミニスト、ゲームやってる


ゲームとフェミニズムは相性が悪いのか?

「フェミニストがゲームをやってる」という話をすると、「え? フェミニストとゲーム? すごく取り合わせが悪そう」と言われる。
 たしかに、そうかもしれない。ゲームは昔「ゲームボーイ」というゲーム機が発売されたくらい、当たり前のように【男の子】のものだった。2014年には「ゲーマーゲート事件」と呼ばれる、ゲームファンたちが女性やセクシュアルマイノリティ、人種的マイノリティに誹謗中傷を加える出来事が起きた。もうずいぶんと前の事件だが、被害者やコミュニティに今でも生々しい傷跡を残しているし、ゲームコミュニティのそうした有害な側面は変わっていない。
 でもゲームはフェミニズム的にホットなメディアにもなっている。大手の会社が百億円以上のお金をかけて開発するゲームでも、女性が活躍するゲームは普通のものになっているし、女性差別を批判したり、人種差別を取り扱ったり、LGBTQ+が登場する作品も少なくない。本書で扱う『ラスト・オブ・アス パート2』の主人公はレズビアンで、そんなゲームの代表例だ。
 そしてインディーゲームと呼ばれる小規模で開発されるゲームでは、フェミニズムやセクシュアリティ、あるいは人種をめぐる開発者自身の個人的な経験を盛り込んだ作品も数多く作られている。本書で扱うなかではトランスジェンダー男性の性別適合手術の体験を描いた『ペイトンの術後訪問記』や、バイセクシュアル女性の人生を描く『アンパッキング』などがそうしたゲームだ。
 この本では、そんなフェミニズムに関連するさまざまなイシューを取り扱ったゲームを紹介しながら、ゲームのフェミニズム批評をやっていく。

なぜ私がこの本を書くのか?

 ここで少し自己紹介をさせていただきたい。『フェミニスト、ゲームやってる』を書いた、近藤銀河(こんどう・ぎんが)は美術史研究者でアーティストだ。また同時にフェミニストで、パンセクシュアルで、車いすを使う障がい者でもある。普段は20世紀初頭の美術にみられるレズビアン的といえるような表現を分析したり、自分のアイデンティティを表現する作品を作って
いる。
 こうして自己紹介をしてみると、いろんな要素がごちゃっとしていて、なんで私がゲームの話をしているかよくわからないかもしれない。
 でも実は、私を構成する要素はどれもゲームと結びついている。 
 私がやっているようなマイノリティを題材にした歴史の研究をするうえで、ゲームにおける歴史や過去の語り方は参考になることが多い。
 マイノリティをめぐる歴史研究には独特の難しさがある。マイノリティに属する人々は、歴史を記述するような権力から差別されてきたからこそマイノリティなのであり、それはこれらの人々を語る記録が少ないことを意味するからだ。記録はあったとしても、それを拾い集める方法がなくて苦労することになる。多くの場合、断片的だったり、偏見に満ちた、信用できない史料に記述されたりして、それらは正当なものとみなされない。
 また、マイノリティのアイデンティティの定義が整備されたのが近代のことだから、それ以前の史料から人々の生(せい)を抽出するときには現在の地点から過去に向かって歴史の解釈を行う危うさと向き合う必要に迫られる。
 こうした難しさのためにマイノリティの歴史は、直線的な時間軸にそって進めることができない。さまざまな時代を行ったり来たりしながら、断片を拾い集めることで立ち上げていかざるをえない。
 歴史資料からマジョリティの姿を読み解いてきた歴史学には、マイノリティの姿を析出するための蓄積はあまり多くない。
 ではこうしたマイノリティの歴史研究において、ゲームはどのように参考になるのか。
 記録が少ないゆえにマイノリティの歴史を考えるには想像に頼ることになる。この想像の仕方がゲームを遊んだり作ったりすることにとても似ている。どちらも現実を題材にいろいろな可能性をインタラクティブに探る。 
 ゲームでは目の前でストーリーが生まれていく様子が描かれる。選択肢やプレイの仕方によって、個別に異なる「歴史」が生まれる。ゲームが作り出す体験や語りはバラバラなものでありながら、一つのゲームとしての方向性をもっている。
ゲームのそんな歴史との向き合い方は、一貫的ではない過去の語り方を教えてくれる。『シベリア:ザ・ワールド・ビフォー』(第5章)や『コズミック・ホイール・シスターフッド』(第6章)を取り上げたパートでは、ゲームを介した過去の語り方のあり方について論じている。
 

フェミニストにとってなぜゲームは重要か?

 フェミニストとしてもゲームは大事なものだ、と私は考えている。男や女をこうあるべしと定めそれによって性差別を作り出すジェンダー規範が支配する社会で生きる感覚。ゲームをプレイする感覚はそれに似ている。
 ゲームではあらかじめ決まったルールにのっとりプレイすることが求められるが、プレイヤーはそれを無視したり抗(あらが)ったり、疑問をもったりしながらプレイしていく。選択肢を選ぶときには、「なぜこの選択肢しか選べないのだろう? この選択肢をなぜ製作者は用意したのだろう?」と考えて、先に進むのをためらうこともできる。
 ゲームをプレイするときのためらいや疑問は、ゲームをクリアするという点ではつまずきではあるけど、ゲームはそうした失敗を前提に作られてもいる。それは、すでにジェンダーロールが社会に抜きがたく存在する中で、性の規範に抵抗したり、差別について考えることに近い。
 ジェンダー論やクィア理論の基礎を作ったジュディス・バトラーの『ジェンダー・トラブル』(青土社刊)という本では、ジェンダーの規範に従うことに失敗するとき、規範がただの作られたルールであることが明らかになる、と語られる。同じくジェンダー論やクィア理論で知られるジャック・ハルバースタムの『失敗のクィアアート』(岩波書店刊)では、ある基準にもとづいて成功することを求める社会では、失敗する経験に、基準や規範の外にある生(せい)の可能性が見出される。ゲームの中で失敗することは、フェミニストとして重要な経験なのだ。
 冒頭で取り上げる『ピクミン4』は私が失敗したゲームの一つだ。私は『ピクミン4』のあからさまな植民地主義に疲れ果ててクリアすることに失敗した。けれどゲームという体験ではこの失敗は決してただの失敗ではなく、失敗自体が批評的に機能する可能性をもつ。
 なぜなら、プレイヤーがルールとやり取りをすることで主体的に物語を作り出すゲームでは、プレイに失敗したということ自体が、プレイヤーにとってのエンディングの一つになるからだ。システムの穴をついて勝利することがプレイヤーの物語になるように、システムに敗れることも、同じようにプレイヤーの物語となりえる。それは世界を覆う規範や差別へのささやかな抵抗でもある。
 こうした体験はゲームとセクシュアルマイノリティの関わりの重要さを示している。ゲームというメディアが提供する失敗の可能性や抵抗の体験は、ジェンダーや異性愛を中心とした規範に苦しめられるセクシュアルマイノリティの経験そのものでもある。
本書でもLGBTQ+が登場するゲームや、その当事者たちによってつくられたゲームをたくさん取り上げた。
 それにセクシュアルマイノリティは地域の中で仲間を見つけにくく、インターネットで集(つど)うことが多い。もちろん、現在のインターネットはゲームコミュニティもふくめて、マイノリティに優しいとはとても言えない状態にある。
 それでもマイノリティはインターネットで参加する必要があるし、インターネットを通して情報を見つける必要がある。カミングアウトをしていない「クローゼット」と呼ばれる状況にある当事者にとっては特にそうだ。
 だから、セクシュアルマイノリティにとってデジタルなメディアとの親和性は高い。障がい者としての私にとっても、ゲームは重要なメディアだった。病気のため、そして車いすを使っているために体をあまり動かして外に行けない私にとって、外の世界を自由に歩けるゲームは人生の支えの一つだった。

もし、あなたが……

 こんなふうに、一見バラバラに見える私の中にある複数の属性は、どれもゲームと何かの結びつきがある。
 残念ながらこうした結びつきはゲームのコミュニティの内側にいると、あまり語られないものに思える。「フェミニストがゲームやってる」と言うと驚かれるのは、まさにそのわかりやすい例だろう。
 だけど、私と同じように考える人は少なくない。それはなによりも本書で紹介するゲームたちが示してくれている。
 だからこそ、ゲームをフェミニズムのものとして語りたい。
 そして、フェミニズムのものとしてのゲームを知ってほしい。 

           
『フェミニスト、ゲームやっている』ではゲームを紹介していくスタイルを取る。取り上げるのは、基本的にはフェミニストとしてオススメしたい作品だ。
 そこにはマイノリティが作ったゲームや、フェミニストが作ったゲームがたくさんある。そこではゲームというもの自体や、現代の社会のあり方が、それぞれの観点から語られている。
 各章の最後には「これからプレイする人向けのポイント解説」がつけられている。ここには、解説したゲームを初めてプレイする人がつまずきそうな部分の説明をいれている。ぜひ、プレイするときの参考にしてほしい。
 章の間に挟まれるコラムではいくつものゲームを取り上げながら、アクセシビリティやゲームの作り方、ゲームと都市論など、テーマごとに横断的な話をしている。ゲームが抱える能力主義や健常者中心主義などの問題にもふれている。個別の作品紹介と一緒に読めば、フェミニズムとゲームの関わりがより鮮明に見えるはずだ。
 もし、あなたがフェミニストでゲームを知らないなら、この本を読んでゲームのフェミニズム作品のことを知ってほしい。
 もし、あなたがゲーマーでフェミニストではないのなら、ゲームがフェミニズムの力と可能性をもつことに気づいてほしいし、フェミニズムについて知ってほしい。
 もし、あなたがゲーマーでもフェミニストでもないのなら、どちらの知識も得られる。
 両方知ってる人は一緒に考えたい。この本はそんな内容になっている。
 また私はできれば、どの人にもここで紹介したゲームをプレイしてほしいと思っている。ゲームはなんといってもプレイしてこそのメディアだ。
 だから本書では遊びやすいゲームを中心に紹介している。極端に難しかったり、入手がしにくかったり、プレイするのにハードルの高いゲームはあまり出てこないし、基本的には日本語版があるものを選んでいる。
 本書はタイトル通り、フェミニストがゲームをやっている記録でもあるが、本を読んだ人間がフェミニストのゲーマーになることを目指してもいる。
 この本を読めばあなたがフェミニスト、ゲームやってる状態になれるのだ。(→#01『ピクミン4、やってみた』を読む

装丁は佐藤亜沙美(サトウサンカイ)、装画は加川日向子

近藤銀河『フェミニスト、ゲームやってる』(晶文社)は、5月24日発売予定! 本の情報はこちらから↓

Amazonでもまもなく予約可能です

■著者 近藤銀河 (こんどう・ぎんが)
1992年生まれ。アーティスト、美術史家、パンセクシュアル。中学の頃に難病CFS/MEを発症、以降車いすで生活。2023年から東京芸術大学・先端芸術表現科博士課程在籍。主に「女性同性愛と美術の関係」のテーマを研究し、ゲームエンジンやCGを用いた作品を発表する。ついたあだ名が「車いすの上の哲学者」。ライターとしても精力的に活動し、雑誌では『現代思想』『SFマガジン』『エトセトラ』、書籍では『われらはすでに共にある──反トランス差別ブックレット』『インディ・ゲーム新世紀ディープ・ガイド──ゲームの沼』など寄稿多数。本書が初の単著。初めてやったゲームはまったくおぼえていない。



『フェミニスト、ゲームやってる』

【DATA】
四六判並製 320頁
定価:1,980円(本体1,800円)
978-4-7949-7420-4 C0095〔2024年5月24日発売予定〕

ゲームをつくり、プレイし、プレイし損なう。そのすべてがフェミニズムの実践たりうると教えてくれる。
──三木那由他(哲学者)

「ゲームはフェミニズム的にもホットなメディアになっている」。フェミニストで歴史研究者、パンセクシュアルで車いすユーザーの書き手が、フェミニズムとクィアの実践の場となっているビデオゲームの世界の面白さを伝える、画期的なエッセイ!

「トラウマを語ったり、現実の世界の問題を考えたり、そうした行為を少しだけ遠く、少しだけコントロールできる状態でやっていく。ゲームのそんな機能に私は助けられてきた。そこでは自分にとってつらい問題を、距離をとりつつ思考することができる。この本も、誰かにとってそんな役割を持つことができたら、そしてそんなゲームを、フェミニズムを広めることができたら、そんなふうに考えながら今、書いている」(「おわりに」より)

【目次】

はじめに なぜフェミニスト、ゲームやってる 

Ⅰ あの有名なゲーム

#01 かくして私は収奪と救出に失敗する
──「ピクミン4」、やってみた
#02 多様なキャラクターのシューターゲーム
──「スプラトゥーン3」「オーバーウォッチ」「エーペックスレジェンズ」、やってみた
#03選べない環境と自分自身のはざまで
──「ラスト・オブ・アス パート2」、やってみた

【コラム】ボーイズクラブとしてのゲームコミュニティ

Ⅱ  クィアが活躍するゲーム

#04 大作ゲームの女性表象とクィア表象の歪みと良さを体現する
──「アサシン クリード オデッセイ」、やってみた
#05 ゲームの難しさがマイクロアグレッションを表現する?
──「セフォニー Sephonie」、やってみた
#06 クィアがオプションじゃない恋愛ゲーム!
──「ボーイフレンド・ダンジョン Boyfriend Dungeon」、やってみた

【コラム】語られるレイシズム・語られないセクシズム

Ⅲ マイノリティの日常を感じるゲーム

#07 トランスジェンダーの日常と過去の解釈
──「テル・ミー・ホワイ Tell Me Why」、やってみた
#08 バイセクシュアルの表象とモノの方を向くお引っ越しゲーム
──「アンパッキング」、やってみた
#09 トランスジェンダー男性同士の交流を描く
──「ペイトンの術後訪問記 Peyton’s Post-Op Visits」、やってみた
#10 卒業間近のノンバイナリーの学生たちの日常を活写する
──「ノーロンガーホーム No Longer Home」、やってみた

【コラム】成果を礼賛するゲームと差別の乗り越え

Ⅳ 80-90年代を描くゲーム

#11 90年代のZineとレズビアンの反抗物語
──「ゴーンホーム Gone Home」、やってみた
#12 クィアなミドルエイジ女性の過去・現在・未来を描く
──「レイク Lake」、やってみた
#13 トランスジェンダー女性記録を消しながら記憶をたどる
──「イフ・ファウンド… If Found…」、やってみた

【コラム】ゲームと障がいはじめに なぜフェミニスト、ゲームやってる

Ⅴ 歴史を想像するゲーム

#14 台湾の戦後と恐怖を再訪するホラーゲーム
──「返校-Detention-」、やってみた
#15 哀悼と歴史の可能性を考える
──「シベリア:ザ・ワールド・ビフォー Syberia: The World Before」、やってみた
#16 男らしさに呪われる運動家たちの殺人事件
──「ディスコ エリジウム Disco Elysium」、やってみた
#17 社会運動の理想と抵抗のあいだに…
──「スパイダーマン:マイルズ・モラレス」、やってみた

【コラム】オープンワールドと都市の遊歩者

Ⅵ ファンタジー世界を旅するゲーム

#18 ヘイターと戦うレズビアンでトランスなロードムービー
──「ゲット・イン・ザ・カー、ルーザー Get In The Car, Loser! 」、やってみた
#19 過去と未来を作り変えられる魔女になってどうする?
──「コズミックホイール・ホイール・シスターフッド The Cosmic Wheel Sisterhood」、やってみた
#20 かつて私は、あのゲームの余白にフェミニズムやクィアを投影していた
──「MOTHER2」「ドラゴンクエストⅥ」「ファイナルファンタジーⅥ」、やってみた

【コラム】ゲームを作るフェミニストとクィアな人たち

おわりに フェミニストたち、ゲームやっていく

参考文献
さらにゲームを知るための文献リスト
フェミニストのためのゲームリスト