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家から出ない - 消費者として振る舞わないように都市とインターネットと付き合う

仕事で心身のバランスを崩してしまい、無職の危機が迫っている。メンタル的には前を向いて生きていきたいのだけど、身体が動かなくなってしまった。こんなことってあるんですね。。

当然だけど生活のことが不安です。いい年こいて無職はキツいです。いや、本当は無職になってもやりたいことはたくさんあって、恐らく楽しく過ごすことはできる。不安は経済的なところです。社会的な立場とかそういうものは、最悪諦めます、

経済的な不安に対してどう向き合うか。不安は先行きが見えないところから生まれるので、収入と支出の見通しを立てることで解消したい。見通しと、基本姿勢というか原理原則を決めておくこと。

そして今回は支出についての基本姿勢について考えた話です。

同世代で無職の先達ということで「安眠するバク」さんの文章はとてもよいです。学びも多い。考えていることに共感もできる。その中で以下の記事は、タイトルを読むだけで「確かに」となったし、文章を読んでいくと、その基本姿勢を自分なりに因数分解できそうだったので、自分なりのメモを残しておこうと思います。


原則として、生き残っていくためには収入>支出の状態を維持しなくてはいけません。そのために支出を最小限にする。ここまでは誰もが納得できるステップ。ここからの分解が世の節約本だったり、急にツリーの選択肢が無数になる。もう一段階くらい、シンプルなステップが欲しいと思っています。


まあ、だいたいが「固定費を見直せ」になって、そのステップは済んだとします。次は変動費をどうミニマム化するか。そうなると「家から出ない(都市と繋がらない)」「スマホから離れる(インターネットと繋がらない)」の2つの基本方針があるなと思いました。

自律して生きるために、消費者にならないために都市とインターネットから離れる。ここからテクニック的に「都市から離れつつ健康のために外出はする(川の近くに住め)」とか、「インターネットから離れつつテキストエディタやカメラを使いたい(iPod touchを買え)」とか、いろいろ言える気がする。

今、川の近くに住んでいるのですが、だいぶ気持ちは救われています。


都市も、インターネットも、消費者としての振る舞いを強要してくるアーキテクチャになっている。本来はそうではないのに。都市もインターネットは本来は自由で、生産があったり、無意味な時間を過ごしたり、愛があったり喧嘩があったり、人間生活の全てが営まれる場所のはずが、今は消費を促す、というエネルギーで駆動されている。

これはジェニー・アデルの『何もしない』的なムードを漂わせたタイトルとして、『家から出ない』話と言えるのかもしれない。『何もしない』は、非生産的でネガティブな印象を与えるこの言葉を、ビッグ・テックによって作られるアテンション・エコノミーから逃れる有効打として価値転換を図った本だ。

『家から出ない』は、ひきこもり/非社会的な/怠惰的なネガティブイメージの話ではなく、自律して、自分をコントロールして生きていくための手段としての話に転換する。このような問いを立てると、より細かいテクニックが見えてくる。どんな家であるべきなのか、みたいなインテリアの話とかね。

家から出ないとなると、家が快適じゃないという状態はあってはならないんですよね。まず単純に狭くてはいけない(ワンルームNG)、とか。支出は最小化しつつワンルームには住むな、って話になると都心には住むな、という話にもなったりしますね。

支出を抑えて、無職になっても可能な範囲で自律して生きていく。そのために、消費者として振る舞わないように都市とインターネットと付き合う。このマインドセットのもと、住む場所や、生活習慣や、家の間取りや、様々なTIPSを考えていきたい。

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