香山の1「待ち合わせ」(03)

 お互いに、二文字以内でしか名前を知らない関係でも、それはなんら私達の関係に支障を与えない。勤務時間にしか会わない上に、その勤務時間にも滅多に会うことはないからだ。勤務時間以外を共有するのは今日の会食が初めてで、私はTogaの黒いシャツを着て、Nudie Jeansの濃いジーンズを履き、全身に羽織れる程度の緊張を感じつつ奴を待っていた。スマートフォンの画面にある時計を見る。よかった、約束より数分早く着きそうだ。

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 名前についてであるが、最近でこそキラキラネームなるものが問題視されることもあるが、つけられた当人が果たして一体何を欲しがるのかなど、欲望は一時の感情に流されてその時々で変化していくものであるし、「僕の名前は何某だから、こう生きねばならない」など口にすることは造作ないが、そんな生き方の信条はその時の欲望が粉砕するときが必ず来るのであり、名前の意味などが当人にとって何か意味があるとは思えない。意味と微妙にしか絡み合わない響きなどはもってのほかだ。突拍子もないものでも案外しっくりくるものである。
 無論、しっくりこないものもある。
 待ち合わせに指定した、少し辺鄙な六本松駅のロータリーに車を乗り入れ、ニュートラルギアにシフトチェンジしてから足をクラッチから離した。私は今、日没後の街にありふれた身嗜みをしている。ジーンズに挟んだコルトガバメントが腹を圧迫するので、ダッシュボードの上に移した。よくもまあこんなものを挟んだままで運転をしたものだ。出発する直前まで私は他事に没頭しており、何かの拍子で時計に目をやったときに、即急に準備して出発せねば遅刻することが発覚した。ああだこうだと独り言を部屋にまき散らして寝間着から外出用の服に着替え、この拳銃を持って私は車へ飛び乗ったのだ。
 私は、車を購入するならどうしてもミッション車が欲しかった。この時代、世間で目にする車のほとんどが(あろうことか、私の乗るハチロクですらたまに)、オートマであり、人間の程度の低い精密性ではどうしても、(同程度のエンジンをもつものであれば)、オートマの加速力と燃費には太刀打ちできない。当時付き合っていた女が、この車の助手席でこう言った。
「付き合っている間ならいいけど、結婚するならこのオートマにしてよね」
 歯に衣着せぬ申し分で、現実として彼女との婚姻を考えるのであれば、自分用の車を持たぬ彼女は私の車を普段運転する羽目になるのだが、発停のたびにいちいちクラッチとシフトギアを操作するのは、彼女にとってあほらしいのだ。しかし、その操作を発停に挟むために、ミッション車ではアクセルとブレーキの踏み間違いによる誤発進の事故が起こらないが、運転が楽になったオートマでは多発している。長所と短所は紙一重なのである。しかし、私は以下の命題を認めねばならない。社会的体裁、経済的効率の点から考えてみると、車を購入するのならオートマが理に適う。私は、もちろんこれについて了解したうえで、ハチロクを購入するに至った。その合理性を上回るだけの理由を、ミッション車の運転への快楽に見出したからだ。人は「お前は愚かだ」と私をあざ笑う。しかしここで、この議論から具体性と取り払って抽象性を削り出すと、当該議論の本質が見えてくる。私はミッション車を買ったとき、快楽に対価を払ったのだ。こう換言すると、普段からゲームに課金をする人々と私は、何らたがわぬ「愚かさ」を持っていることが丸裸になる。
 足を組み直す。20秒弱、その状態を保って何も考えずにいた。無音の車内では何か予想だにせぬことが起ころうという気配がこれといって感じられない。ドアポケットの煙草の箱に手をかけ、離した(その間は3秒)。奴が、肺活量が減ることを気にして煙草を毛嫌いする輩であることを思い出したためだ。一応、消臭剤を車内に振りまいた。こういった待ち時間は、煙草を吸って潰すのが決まっていたため、ついつい手を伸ばしてしまったのだが、喫煙が遠ざかったことで苛立ちが芽生え、ガムを噛むことにした。唾液が葡萄の味に染まると、荒波は落ち着いていく。煙草を吸い始めた時は、別に喫煙なしでもいらいらすることはないし、ましてや生きるに窮することはない、などと強がったものだが、依存してしまった今ではもはやいらいらが止まらない。禁煙席で退屈な相談をされている時、電車に乗っている時、煙草を所持していない上に入手する当てもない時なんかが特に暴れてしまいそうでやばい。嫌煙家などが文句を言ってきた時なんぞは、拳をめちゃくちゃに撃ち込んでやりたくなるものだ(それを実行に移さぬのは、何人を殴ったらいいのか知れぬからで、私はへらへらと笑う程度にとどめている)。
 そのままガムを咀嚼するに、再び20秒弱。ロータリーの出口にある横断歩道に人が密集しだした。スーツに身を包んだ人達が会話をしているらしい。中には若い女がスーパーで買い物をした帰りだろうか、重そうなビニール袋を両手に佇んでいる。信号待ちをする集団の中に奴を探してみるが、どうにも見当たらない。信号機は色を青に変えた。ぞろぞろと横断歩道を渡る人々を視界から追い出し、再び時間を確認する。約束した時間にはまだ達していない(結局どこの社会に出ても、こうまで概念的時間は私を虜にしてしまうのか、尊敬と恐怖とを催す存在感よ!)。
 こんな時はゲームでもして時間を潰そうか。しかし、スマートフォンを使ったゲームでは、電池の消費が気にかかる。どれだけ親密な間柄との会食でも空の会話だけでは間が持たぬのに、こともあろうに今回は奴との最初の会食であるので、確実に物足りなくなるはずだ。そういう人達に見せようと用意した、話のネタになりそうな滑稽な画像やウェブサイトがいくつもある。実際、何度もこれらの手持ちに救われてきた。こういった準備は馬鹿にできない。
 私は、何か別の遊びをすることにした。そうさな、一人寂しくしりとりでも始めようか。

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