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デザインをあきらめない

有田陶器市。

毎年100万人を超える人出でにぎわう、佐賀県有田町で行われる全国屈指の大陶器市である。

少し前の話になってしまうが、いつも通っているジムのサウナでそのニュースが流れていた。今年は残念ながら中止になってしまったようだ。

言葉は悪くなってしまうが、どこかの陶器店の社長が、ピエロのようになって、テレビで宣伝をしていた。そのお顔にはどこか後ろめたさを感じた。

正直にいって、どれも価値のある陶器には見えなかった。それを抱き合わせで買わせようとしているようにしか見えなかった。

私は、実際に有田陶器市に行ったことがあるからわかるのだが、有田陶器市で出品されているのは、そのほとんどが「売れ残り」である。お世辞にもクオリティーの高いものとは言い難い。

結局、私は記念品として小さな湯呑みを買って帰った。有田陶器市に行ったのはその一度きりだ。

天下の有田焼である。

日本はもとより、世界にも通用するブランドであるはずだ。歴史も深い。もっと何か出来るのではないだろうかと、私は率直に思ってしまった。

きっと、「そんなことを言っているほど甘くはない」とお叱りの言葉を受けると思う。「今の時代、陶器は売れないんだよ」と。

しかし、焼き物が大好きな私は敢えて反論したい。有田陶器市は、有田焼のブランドを落としているような気がしてならない。

「お客様に喜んでいただければそれでいい」とか「そういうイベンドだ」と言われればそれまでだが、もっと経営者は客観的になる必要があるのではないだろうか。

デザインすることを諦め、資本主義に迎合しているように見えてしまった。


建築設計についても同じようなことが言える。

大げさに言えば、設計は資本主義との戦いである。

設計で利益を得ようとしたら、手間を省き、より効率的に業務を遂行しある一定のクオリティーを出し、しかもクレームが出ないようにする必要がある。すると、型が決まった規格品を大量につくった方が効率がよいとなる。そこから外れると、規格外だから費用は割り増しになってしまう。

そうやって、効率ばかり考えて出来上がった、どこか白々しい建築が街の風景をつくっている。それが資本主義社会の風景なのである。

反対に、魅力あふれる建築をつくろうとしたら、やはり相当の時間と手間が必要だ。つまり、ものづくりは基本的に資本主義にそぐわないのである。

AIが生まれようと、3Dプリンターが生まれようと、ものづくりの本質は変わらないと私は考えている。

今、資本主義はいき詰まっている。世の中の価値観が「文明」から「文化」へ、「正しいもの」から「美しいもの」へとシフトしているからだ。

もはや、近い将来、美的感覚に訴えない、魅力のないものは売れなくなってしまうだろう。そして、もっとものづくりに適した社会体制が生まれるだろうと期待している。

そんな将来を楽しみに待ちながら、謙虚に学び、力の限り美しいものを世の中に提供していきたい。


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