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【連載小説】アウトボールを追いかけて 第2話 「スプリンクラーを浴びて」 #7

 そこからしばらくは一進一退が続く。
その後、集中して一人に的を絞る作戦に切り替えたのが功を奏して、なんとか三人にまで減らしたが、こちらも生き残りは荒ケン、モレ、晃二の三人だけだった。
戦況がにわかに変化したのは、相手が弾を抱えて総攻撃に出ようとした矢先である。
「俺が囮になるから、総攻撃しろ!」
業を煮やした荒ケンは弾を抱えて突進していった。
「当てられるもんなら当ててみやがれ」そう叫びながら、砲撃を躱して走って行く。
行く手で泥の塊がパンパン爆ぜる様は見ていてハラハラしたが、反面カッコよかった。
荒野の七人の映画で、敵の銃弾が足下で土煙を上げる場面のようである。
「行くぞ、モレ!」
全員の照準が中央に向けられたタイミングを見計らって、二人はサイドから攻め上がった。
だがそのとき、ふっと荒ケンの身体が視界から消えた。
窪みに足を取られ転んだらしい。
まずいな。晃二は舌打ちした。
だが、戻るわけにはいかない。目標物を失い、すぐさま敵の矛先が変わった。
逡巡して足が止まった晃二めがけて弾が容赦なく飛んできた。
「よっしゃ」そこで荒ケンが立ち上がった。
隙をついて投じた弾が一人に当たり、叫び声と同時に眼鏡が吹っ飛ぶのが見えた。
「今だっ。総攻撃だ!」
そう叫んで荒ケンとモレが突進すると同時にジミーが大声で叫んだ。
「ストップ!」
反射的に身体が止まったのは、ただ事ではない様子が見て取れたからだった。
頭を抱えてうずくまった少年に米軍はみんな駆け寄っていく。
晃二達も遅ればせながら近づき、様子を窺った。

「ヘイ、ユー! オマエ、石投げただろ」
すごい剣幕でジミーは荒ケンの胸ぐらを掴んだ。
「なんやと、そんな卑怯な真似すんかよ」
荒ケンも負けていない。そのジミーの腕を締め上げた。
「待て待て、興奮すんなよ。その前に怪我はどうなんだよ。」
晃二が屈んで見ると、こめかみの辺りが青紫色になっていた。
彼の足元に落ちていた泥の塊を見つけ、拾い上げる。
「アオタンになるくらいで、大丈夫だよ。目に当たんなくて良かったじゃん」
「原因はこれだよ。ほら、中に石が入ってるだろ」
晃二の差し出した、半分に割れた塊からは石の欠片がのぞいていた。
「ほらみろ、オマエ知ってて投げたんだろ」
「そんなの知るわけねぇやろ。濡れ衣や、あほんだれが」
ジミーはまた掴みかかろうとした。
「オマエらジャップは、いっつもきたねぇことするじゃネェか」
「なんでや。お前らヤンキーの方がよっぽどきったねぇやろ」
先にキレて、パンチを出したのはジミーの方だった。
「やりやがったな。ここは元々日本や、てめぇら、でけぇツラすんじゃねぇ」
「うるせぇナ。こん中はアメリカ領だぞ」
「日本の中のアメリカだろが。胸くそわりぃな」」
そこからは取っ組み合いになってしまい、全員で止めに入る。
二人ともシャツが伸び、肩が露わになっているが、掴んだ手は絶対に離さなかった。
「ニホンニホンってうるせぇな。お前の言うセリフじゃねぇだろ」
「なんやと、このボケ。てめえもアイツらの仲間か」
晃二達には叫んでいる内容も、アイツらとは誰のことを言っているのかも見当がつかなかった。
だが、金髪を掴んで引き寄せた荒ケンの顔がもの凄い形相に変貌していたので、きっとただ事ではないのだと察した。
「この前、プラモ屋で噂してたゾ」
それを聞いた荒ケンは、顔を顰めて唾を吐くと、膝蹴りを立て続けに入れた。
「貴様ら、よってたかって —— ぶっ殺してやる」
ジミーは防戦一方で、身をかわすのが精一杯だ。
流れは荒ケンのペースで、他の連中も加勢できずに見ているだけだった。
それでもジミーは英語で暴言らしき言葉を吐いていた。
やがて完全にヘッドロックが決まったところで振り絞った悲鳴のような声が響いた。
「放せヨ。放せったら、チョーセンのくせに」
その一言で一瞬荒ケンの動きが止まった。
急に止まったせいでバランスを崩した二人を見て、晃二は今の言葉の意味を探った。
ウメッチもわけが分からないといった表情である。

「…だったらなんや! みんなしてアホぬかしよって」
今度は本気で荒ケンはぶち切れ、顔を真っ赤にして殴りかかった。
このままではまずいと思い、羽交い締めして止めようとするが、どこにこんな力があるんだと思わせるほどで、三人がかりでも引きずられてしまう。
「いいから早くジミーを連れてけ!」
声を嗄らして叫び、二人の距離を力ずくで離していった。
「オマエのオヤジ、大阪で問題起こして、こっちに逃げて来たって有名だゾ」
遠離りながらジミーが最後に発したその台詞で、荒ケンの身体から力が抜けたそして、抱きかかえられるような姿勢から、崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。
その姿を見て、ようやく晃二にも事情が呑み込めた。
彼が否定もせず、反対に非難したということは、本当のことだからであろう。
項垂れた荒ケンの肩は小刻みに震えていた。

 しばらく、誰も、何もできなかった。
時が止まったようだった。
ただ我関せず鳴き続けている蝉だけを除いては。
ジミーたちが離れ去った後も誰も口を閉ざしたまま泥まみれの姿で腰を下ろしていた。
何をどう切り出していいのか分からないこともあったが、今はただ荒ケンの様子を見守るしか出来なかった。
生ぬるい風が辺りの泥の臭いを運び去っていく。
見上げるとさっきまでの入道雲が遠く小さくなっていた。

「あのな… 」
どれくらい時間が過ぎたのか分からなかったが、荒ケンはやっと顔を上げた。
膝を抱え、黙って周りを囲むように座っていた四人は一斉に顔を上げる。
「俺さ、今まで黙ってたけど …… 在日なんよ。ほんまはな」
「それにな、親父が総連の活動で問題起こして、そんでこっち来た、ちゅうのもほんまや」
すり切れたジーパンをさすりながら、独り言のように訥々(とつとつ)と話を続ける。
「別に悪いことしたわけやないんやけど、ちっと近所と揉めてな」
「… でも、それだけが原因やなくて、ある日な、家が火事になってしもぉたんや。まぁ幸いボヤで済んだけど、大家からは出ていってくれって言われてな… 」
そこで鼻をすすり、一息ついた。
誰も何も言わない。いや、言えなかった。
「その前から窓ガラス割られたり、嫌がらせが多かったから、放火やと思うわ。ひどいことしよるぜ」
三年生で転校してきて以来の仲だが、こんな悲しそうな荒ケンを見たのは初めてだった。
何か声を掛けてあげたかったが、晃二は何と言っていいのか言葉が浮かばなかった。
「いつかはお前らに言わないと、と思っていたんだが、なかなか言い出せなくてな」
「… それが、どっから聞いたのか、噂しだした奴がおるらしくてな」
 それがさっき言っていたアイツらなのだろう。
「在日だけならまだしも、面倒起こして逃げてきた、なんて噂されてみい、一発でみんな態度変わるで」
口さがない連中は何処にもいるものだ。
ここ横浜では外国人が多いため、よくある話ではあったが、自分の友人が対象になっているなんて思いもしなかった。
しかし、そんな大人達の蔑(さげす)んだ視線に、荒ケンは一人で耐えてきたかと思うと、晃二は憤りを感じると同時に切なくなってきた。
声をかけようとしたとき、ブースケが顔を上げた。
「ねぇ。そんな悲しい顔しないでよ、荒ケン」
こんなときいつもなのだが、彼の口調は天然であるが故か、意外と場を和ませるのだ。 
「… 大丈夫やブースケ」荒ケンは肯いて言った。
「俺にとっては、もうどうでもええことなんや」
急に声の感じが軽くなる。
そしてもう一度鼻を啜って、さらに柔らかい口調で言った。
「大事なのはこれからだと思っとるよ」
ようやく目線を上げた荒ケンはみんなの顔を見回した。
頬の辺りにぼやけた白い線が浮かんでいた。
「そうだよ、これからだよ。それに荒ケンが在日だって俺達には全然問題じゃないよ」
晃二は本気でそう思っていた。
同じ意見なのだろう、みんなも強く肯いた。
「荒ケンは荒ケン。それでいいじゃんか」
ウメッチは鼻をすすってから、勢いよく立ち上がった。
「おぅ、ありがとな。そう言ってもらえて、ほんと嬉しいわ」
小さく笑った荒ケンの顔にはいつもの細い目と皺が戻っていた。
「なんだかんだ言われても気にすんなよ。俺たちがついてるからさ」
モレは言ってから照れたのか、「たいして役に立たないかもしんないけどね」と付け加えた。
「よく分かってんじゃん」
ブースケの突っ込みに反論せず、モレは「まぁな」と笑った。

 なんだかみんな嬉しそうだった。
雨降ってなんとかだ。逆に結束が固まったような気さえする。
「あぁ、なんだかすっきりしたわ」
そう言って荒ケンは立ち上がり、大きく伸びをした。
ようやく晃二は、荒ケンが休みに入ってから様子が変だったり、犯人捜しに拘った理由がわかった。
最近、関西弁のイントネーションが薄れてきているのは、早く過去を忘れてこっちに馴染もうと努力している顕れなのかもしれない。
「さて、日が暮れるまでまだ時間はあるから、なんかしようぜ」
そう言って晃二も立ち上がり、大げさに埃を払った。
「そやな、気分転換でもするか」
そこで「そうだ!」と、凄い名案が閃いたかのような顔つきで、ウメッチはみんなの顔を見回した。
「あのさ、基地に戻って、さっきのビキニでも見ようぜ」
「何を言い出すかと思えば、まったく」
「じゃあ、晃二は見たくねぇのかよ」
「えっ、別に。嫌とは言ってないだろ」
「なんだよ。むっつりスケベが」
ついさっきまでの展開や、この場の雰囲気を変えるにはいい提案かもしれない。と言うか、普通に日常に戻ることが。
「よし、そうしようぜ。でも、やっぱ俺はあんなもんじゃ勃たねぇな」
「よく言うよ、エロねずみ男が。この前、鼻血出したくせに」
「うるせぇよ、デブ。お前みたいなガキには十年早いんだって」
いつもと変わりない、たわいない貶(けな)し合いが、何だか心地よく感じる。
場を和ませようとする者、安堵から上機嫌に転じる者、照れ隠しで話に乗ずる者、そして本気で言い合っている者。
それぞれの想いや不器用さが滲み出ていて思わず笑みが溢れる。
そんな場面を教会の屋根に隠れようとしている太陽が照らし出している。
その赤味を帯びた日射しは、五人の影を地面に色濃く焼き付けていた。
「またかよ。お前ら、ほんとに仲いいな」
荒ケンは以前と変わらぬ笑み浮かべ、それから上方に向かって声を放った。
「じゃ、そろそろみんな行くぜ」

第二章 「スプリンクラーを浴びて」完

第三章に続く

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