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【連載小説】アウトボールを追いかけて 第2話 「スプリンクラーを浴びて」 #5

虚ろだった意識が踵から這い上がってきた蟻によって呼び起こされた。
「あぁ、寝ちゃいそうだよ。でもやっぱあちぃな」
気がつくと太陽はからかうように位置をずらしていた。
木漏れ日と戯れていたはずの晃二は、いつの間にか照りつける陽射しの餌食になっていたのである。
「なんだよ、暑いはずだ。ふうっ、プールにでも飛び込みてぇな」
突然ウメッチの目が大きくなった。
「そうだ、シャワー浴びに行こうぜ」そう言って、飛び起きた。
「もうすぐ三時か。ちょうどええな」
三人は道具もそのまま、我先にと駆けだした。
シャワーとは、夏場、頻繁に行われるスプリンクラーのことで、午後の一時と三時に米軍のグランドで水まきがされるはずだった。

 木立を抜けると芝生の緑と空の青さがどんどんと色を増していく
「おぉ、やってるやってる」
シュッシュッと小気味よい音が遠くに聴こえた。
三人は道路を横切り、さらに加速した。先頭のウメッチに倣って歩道の黄色い消火栓を跳び箱のように両手をついて飛び越える。
「このまんま突入しようぜ」
そう叫んでウメッチは銀色に光る水に向かって飛び込んでいった。
「イヤッホー。サイコー」
晃二もTシャツを脱ぎ、頭から浴びた。直撃した水が音を立てて弾ける。
頭から肩、肩から背中と、当たるポイントをずらして全身から汗と汚れを流し落としていった。
日焼けした肌から一気に熱が奪われていく。
毎度ながら、最高に気持ちいいと感じる瞬間である。

 晃二は目を瞬かせながら中心の放水口まで行き、振り向いた。
勢いよく放たれた水が、輝きながら斜めに放物線の軌道を描いている。
どこまでも続く青い空と立体的な入道雲。そして目の前に広がる、活き活きと輝く芝生。
それらは、これぞアメリカと言わんばかりの映画のワンシーンのように映った。
「ムシャクシャしとったのが、すっきりしたわ」
荒ケンはそう言ってTシャツで頭をぞんざいに拭いた。
そのとき背中越しに声が聞こえた。
目を凝らすと、それはケニーさんで、どうやら三人を手招きして呼んでいるようである。
「やった。なんかくれるかもしんないな」ウメッチは顔を綻ばせた。

 案の定、近づいたらケニーさんの手にアイスクリームが握られているのが見えた。
「暑いネェ。これでも食べなヨ」
にこやかに言って三人をポーチに座らせた。
ケニーさんはハーフで、アメリカンスクールの先生をしていた。
ウメッチの父親とも仲が良く、晃二達も懐いていて、以前からよく遊んでもらっていた。
黒い髪と鼻は日本人に近いが、目や輪郭ははっきりして西洋人特有の濃さをもっている。
歳はまだ二十代後半で、奥さんと産まれたばかりの子供の三人家族だった。元海軍だったらしく、今でも厚い胸板や筋肉隆々の腕が当時の面影を残している。
日本語が上手く愛想も良いので、商店街の人からも慕われていた。

「さすが、ケニーさん。俺達が来んの分かってたの?」
「マァネ。なんてウソ。本読んでいたらユー達が見えたんでネ。それにこの前、これ好きだって言ってたじゃない」
「サンキューサンキュー。ケニーさんってほんと気が利くねぇ」
三人はお礼もそこそこ、大好物のチョコアイスにかぶりつく。
日本のアイスと違い、アメリカのハーシーのアイスクリームは独特なコクと甘さで子供達を魅了していた。
「そう言えば、ヒロは昨日、リサと一緒に歩いていたけど、知り合い?」
ケニーさんはウメッチのことをヒロと呼んでいた。
「いんや。昨日偶然会ったんで、知り合ったばっかりだよ」
そう言って鼻をすすったウメッチの表情は、嬉しさと照れがない交ぜになっている。
「誰だよ、その娘。俺達の知ってる娘かよ?」
晃二は眉間に皺を寄せ、低くい声で尋問した。
「えっ。違うけどさぁ。…だからあとで教えるって言ってたじゃん」
晃二は今朝、作業に取りかかる前ににやついていたウメッチの顔を思い出した。
「リサは帰国子女で、九月からうちのスクールに入るんでよろしくネ」
ケニーさん曰く、その娘は両親とも日本人だが長年シカゴにいたので、こっちに戻ってきてもアメリカンスクールに通うらしかった。
「日本語は普通に喋れるから心配いらないヨ。なんなら、私が英語教えてあげようか?」
ケニーさんは三人の戸惑いをもてあそぶようにそう言って笑った。
「なに、かわいいの? その娘って」
「めちゃめちゃ可愛いよ。俺なんか一目惚れしちまったもんな」
ウメッチがこんなに顔を赤らめて恥ずかしがるなんて、あまり見たことがなかった。
「紹介しろよな」二人は友情の証であるヘッドロックを両側からかましてあげた。
そんな談笑がしばらく続いたあと、ケニーさんに別れを告げて三人は基地に戻った。

「多分、明日の午後もこっちに来るって言ってたから会えると思うよ」
ウメッチは道具を片づけながらにこやかに言った。
「じゃぁさ、明日の午前中に屋根つけて、それから会いに行こうよ。どうよ、ウメッチ。そんでさ、ここの最初のゲストってことで、完成記念に招待したらいいじゃん」
「おぉ、ナイスアイデア」
ウメッチは立ち上がり、この夏最高と言わんばかりのガッツポーズをきめて叫んだ。
「やったるでー」
いつの間にかオレンジ色が強まった日差しが彼の笑顔をより一層輝かせていた。

 だが、プランはそう簡単にはいってくれなかった。
翌朝、待ち合わせ時間に晃二と荒ケンが基地に着くと、辺りの様子が変だった。
「なんやこりゃ。壁のトタンが取れてるじゃん。それに屋根がなくなってるで」
見上げると何かで叩かれたらしく、壁のトタンはへこみ、一部は剥がれ落ちていた。
「誰の仕業や。こないしたのは」
憤りながらも、半ば呆然としていた二人の後ろから声がした。
「やられたぜ。きっと不良外人の仕業に違いないよ」
首に巻いたタオルで顔を拭いながらウメッチが歩いてきた。
弱々しい声だったが表情は険しく、あまり見ない姿だった。
「いつや。気がついたのは」
「ついさっきだよ、十五分くらい前かな。電話しようと思ったけど…」
「それにしても、ひでぇことしやがんな」
晃二は跪いてトタンを拾ったままの姿勢でしばらく動かなかった。

「あそこに見えるの、屋根じゃねぇ?」
荒ケンが草むらを指差す。
葉っぱの隙間から白い物体がちらっと見えていた。
「これじゃ、役にたたんぜよ」
引っ張り上げられた波トタンは、折り曲げられた上、踏み潰され、原型を留めていなかった。
白いペンキは汚され、残った足跡で痛々しく見える。晃二は顔を歪めた。
「ここんとこ見てみぃ。まだペンキが乾いてないうちに蹴られたんや。そやから、俺達が帰ってすぐにやられたんやな」
「そんじゃ、やっぱあいつらに違ぇねぇ」
「なんや、犯人の目星がつくんか?」
「あぁ。最近この辺をうろちょろしてる奴がいるんだけど、きっとそいつらだよ」
「誰や、そいつは。アメ公か?」
「うん。五人組だけど、リーダー格の奴がジミーっていうんだ。同い年で、日本語ペラペラでさ、そこのバードスクールに通ってるよ。多分見たことあるよ」
「ほな、そいつらを捜し出して、仕返ししてやろうぜ」
荒ケンはそう息巻いたが、晃二は努めて冷静さを保った。
「でもさ、そいつらだっていう証拠はないじゃん。まだ決めつけられないよ」
「…確かにな。でもな晃二。証拠はないけど、確率は高いと思うぜ」
「だったら、犯人捜ししようや。怪しい奴見っけてきて、俺が尋問したるわ」
「おぉ、いいじゃん。それなら晃二もオーケーだろ?」
「えっ。まぁいいけどさぁ。張本人に尋問したってしらばっくれるに決まってんじゃん。だから何でもいいから証拠を掴まなきゃ」
「証拠って言ったって、どんなのだよ」
「たとえば靴に白いペンキが付いてる奴を捜すとか、誰かに喋っているかもしれないから聞き込みをするとかさ」
「おぉいいねぇ。じゃあ刑事みたいに捜査して追いつめていこうぜ」
「よっしゃ、決定やな。とっかかりに一番怪しいそいつらからあたっていこか」
みんな犯人捜しの方に興味が移り、基地の修復は後回しにすることになった。           


 ジリジリ。二の腕の表面からそんな音が聞こえてきそうなくらい陽射しはきつくなっている。
手始めにジミー達を捜すといっても、居場所なんてわかるはずない。
仕方なくゲートの近くで張っているが、かれこれ一時間は経つというのに一向に現れなかった。
キャンプ内でも居住地域なら問題ないのだが、施設内となると警備がうるさく、ウメッチでさえも入れなかった。
奴らがハウスの方にいないとなれば、あとは映画館やプールのある施設内でたむろしているに違いない。
そう踏んで入口の横で張り込んでいるのだが、もしかしたら商店街や公園にいるのかもしれない。
ここ最近、彼らも堂々と日本の敷地内を闊歩し、駄菓子屋にも入り浸るようになっていた。
別に構わないのだが、その件で晃二達は外人ハウスの連中と対立していた。
といっても、子供同士のよくある縄張り争いである。
テリトリー内で鉢合わせしても争いはどちらとも避けていたので、いちゃもんつけられる前に侵犯した方が場所を譲っていた。
その際、威嚇する程度のことはあっても、取っ組み合いの喧嘩にまで発展することはない。
向こうも、こっちもお互いの主張をするだけである。

 晃二達の領土、つまりこっちの遊び場なり陣地を彼らが侵すと、「ここは日本なんだからでかいツラすんな」と言い放つが、逆にこっちがベース内で遊んでいると、「ここはアメリカ領なんだから出て行け」と言い返された。
現実的に「お前達は戦争に負けたんだ」と言う奴はいなかったが、晃二たちは実際戦争に負けた結果でこうなったことや、戦時中や戦後の様子を親から聞いていたので、子供なりに大体のことは理解していた。
晃二は叔父さんから、終戦後間もない頃の体験談をよく聞かされた。
印象に残っているのが外人ハウスに忍び込んだときの話で、干してあったGパンを盗もうとしたところ見つかってしまい、ライフルで脅され小便ちびって逃げ帰ったというものだった。
「ヤンキーは威嚇しただけだろうけど、あのときのガチャっていう撃鉄の音は今でも忘れられないよ」
叔父さんは酔っぱらうと、よく当時の本牧や根岸の話をした。
もちろん話は嘘ではないだろうが、平安な現在ではちょっと想像しづらかった。

「なんだよ、ぜんぜん現れねぇじゃんか」
苛立たしげにウメッチはフェンスを蹴った。
寄り掛かっていた晃二の身体が反動で大きくうねる。
「そうカッカすんなよ。まだ昼じゃねぇか」
「そうだけどよ。昼飯食いに帰んないとこみると、いねぇんじゃねえ?」
「かもな。じゃあ、俺らもメシ食いにけぇって出直すか」
腹が減ってくれば無意識に気も荒くなってくるものだ。
荒ケンの意見に賛成し、戻りかけたときである。
「ちょっと待った!」
そうウメッチが叫んだのと同時にクラクションが短く2回鳴った。
ゲートを通過した車が三人に近づき、停車した。

「ヤア。こんなところで何やっているんだい」
開け放したウインドウからサングラスをしたケニーさんの笑顔が現れた。
「ん、ちょっとね。別に大した用じゃないけど、あ、あれ?」
「こんにちは。昨日はありがとう」
ケニーさんの大きな身体に邪魔されて見えなかったが、助手席に女の子が座っていた。
「どうもどうも。いやぁ、またお逢いできて光栄です」
急にかしこまったウメッチは、背筋を伸ばすと同時に言葉遣いまで変えた。
この変わり身の早さったら。
晃二と荒ケンは呆れながらも笑いを堪えて顔を見合わせた。
「入学の手続きをしに来ていてネ。これからリサをスクールに案内するところなんだ。ヒロは昨日色々とこの辺りの説明してくれたそうで、サンキューね。あ、そうそう、二人は初めてだっけ。彼女、昨日話してた高岡リサさん。よろしくネ」
自己紹介する際になってちゃんと見たが、ウメッチの言った通り可愛かった。
黄色いワンピースがよく似合い、清楚な雰囲気を漂わせている。
大きな白い家で血統書付きの犬を飼っている、そんなイメージを抱かせる。
まさに良家のお嬢さんタイプだった。

 二人がどう返答すべきか迷っていたところで、ウメッチは精悍さを表すような口調で尋ねた。
「あっ、そうだ。ケニーさんさ、カールさんとこのジミー見かけなかった?」
ちょっと考える素振りをしてからケニーさんは答えた。
「きっと、横須賀ネ。今日はバスケットの試合があるはずだから」
「あっそう、じゃあいいや」
理由を尋ねられないうちにウメッチは話題をうち切った。
「それじゃあまた。そうだリサさん、今度とっておきの場所にご案内しますよ」
さすがウメッチ。伊達男はこういったところもぬかりない。
「ぜひ近いうちにお時間いただければ、もし良ければお迎えに伺いますよ」
そんな歯の浮くような台詞に彼女は会釈で応えた。
きっと生まれつきの上品さなんだろう。
普段我々にはお目にかからない仕草に、ウメッチはノックアウトされたようだった。
クラクションを鳴らして去っていく車に三人はにやけ顔のまま手を振った。
どうやら張り込みは無駄足だったようなので、午後は予定変更した方が良さそうである。
「ほんじゃ、メシ食ってから基地で作戦会議やな」
結局、空振りに終わったものの、ウメッチの足取りだけは軽やかだった。 

〈#6へ続く〉
https://note.com/shoji_kasahara/n/ne50ea71e1a25

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