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【連載小説】アウトボールを追いかけて 第3話 「ハロウインを待ちわびて」 #1

「すっげぇ。なんか、映画に出てくるとこみたいじゃねぇ?」
モレは晃二の耳元でそう囁き、口を半開きにしたままWELCOMEと書かれた横断幕を見上げた。
両側に貼り付けてあった日本とアメリカの国旗がクーラーの風でケラケラと笑うように揺れている。
二階ほどもある高い天井に、車が楽に通れそうな幅広い廊下。壁に一列に飾られた肖像写真。ガラスケースの中でこれ見よがしと整列しているトロフィーやメダル。
洋画で観る世界に近いのは確かだが、当たり前である。
特にセットで造られている訳でないし、これがごく普通のごく一般的な米国スタイルの学校なのだろう。
ポップコーンのような甘い匂いが充満する中、同じような驚嘆の声があちらこちらから聞こえる。

「こういうのを雲泥の差って言うのかぁ」
アメリカンスクールであるバードスクール内の様子は、習ったばかりの慣用句が当てはまるくらい自分たちの校舎とかけ離れていた。
下駄箱ではなく個人用のロッカー。水飲み場ではなくタンク式のウオーターサーバー。それらは全て新しく清潔そうで、近未来の建物に案内されたような感じである。
「でもさぁ、違いがあるにも程があるよねぇ」
ブースケは誰にともなく呟いた。
夏休みに暑さしのぎで入った銀行で見かけた足踏み式の水飲み機に感動していたくらいだ。
ばかでかいクーラーや見たこともない設備に驚くのも無理はない。
列の流れに押されるように歩きながら生徒たちの視線はあちこちを彷徨さまよっていた。 

 最後の夏休みが終わり、学校生活が再開した九月の第二土曜日。
晃二たちの通っている小学校では六学年の二学期初めに、毎年近くのアメリカンスクールとの交流会が催されるのであった。
アメリカは日本と違い九月に進級するため、その取っ掛かりとして生徒たちの新しい友人作りと文化交流を兼ねているのだろう。
それに対し日本側は卒業前の想い出づくりと社会見学を兼ねた、この地域ならではの課外授業であった。
ここ数日、空の青味が若干増したようだったが、いまだに残暑は衰えを知らなかった。
しつこい残暑と言うより子供たちにとっては、まだ夏休みの延長戦と言う方が相応ふさわしい。
この日も総勢百三十名は遠足にでも行くように浮き足立ち、整列したはずの二列縦隊がジグザグになったり、途切れたりを繰り返していた。
少しでも汗をかく量を減らしたいのだろうか、先生たちは動き回ることはせずに声を張り上げて列の乱れを注意していた。
スクールは晃二の家のすぐ裏の丘に建っているため、列の流れは通学路をただ戻っているだけである。
ましてや目的地が常日頃遊んでいるハウス内なのだ。
他の連中とは違った余裕綽々しゃくしゃくな態度で晃二たちは、けん玉の技を競いながら最後尾から距離をとってついて行っていた。

 やがて正々堂々とベースのゲートを越え、スクールの門をくぐるといつもとは違う様子に段々と気持ちがたかぶってきた。
時々目を盗んで校庭に忍び込んでいた、夕暮れ時の誰もいない風景とは違い、歓声が窓から溢れ、日差しの照り返しでクリーム色の校舎全体が輝いて見えた。
校舎の中に入るのは初めてであり、それに知り合いの連中にも会えるかもしれない。
玄関口で整列する頃になってやっといろいろな興味が湧いてきた。
建物に入ると、涼しさと甘い香りと意味不明なざわめき声が混ざり合い、それらが見えない大きな布となって全身を覆ってくるようだった。
辺りを見回すと二階建ての鉄筋造りで、どこか病院に近い印象を受ける。
それは、長い一直線の廊下とその両側に整然と並んだ扉のせいかもしれない。
「アメ公の施設なんてみんなこうだよ。図体がでかいし、見栄っ張りだから、こんな造りになっちゃうんだよ」
さも当たり前といった顔つきで、ウメッチは女子たちにクールに説明していた。
いわゆるバタ臭いと言われる雰囲気だったが、晃二はこの匂いや、必要以上に豪快な造りが意外と好きだった。
キュッキュ。リノリウムの床に運動靴のゴム底を擦りつけると軽やかな音が響いた。
まるで隅に隠れている小動物が餌を欲しがって鳴いているかのようだ。

 教室の前に着くと隊列は三つに分かれ、組ごとに各部屋に入っていった。
入るなり歓声と指笛が鳴り響く。
場慣れしていない日本チームは皆たじろいでいたが、ウメッチだけは手を振って応えていた。
歓迎されるとは、こうも気持ちがいいものなのか。
段々空気に馴染んできた面々はお辞儀をして応えた。
握手文化とお辞儀文化、その習慣の違いは特には気にならず、みんなバラバラに日本古来の挨拶を何度も繰り返して愛想を振りまいていた。
「すごいなぁ。ねぇ晃ちゃん、ちょっと場違いな気がしない?」
手に持った包みに視線を落としてブースケは囁く。
その小さな包みは、今日のメインイベントである、プレゼント交換に用意してきたモノだった。
「ん? ちょっとな。でも大丈夫だよ。気に入ってもらえるさ」
ブースケの心配事を察した晃二は、根拠はないがそう言って励ました。
生徒たちの最大の関心事は、そのプレゼント交換に何をあげて、どんなモノを貰えるか、ということに終始していた。
しかし、ついさっきまで自分の品を自慢していたはずの晃二も雰囲気に圧倒され、自信が揺らぎかけていた。
どうやら他の連中も、初っぱなから日米の違いを目の当たりにし、動揺を隠せないようだった。

 教室ではすでに、スクールの生徒たちが隣の席を空けて待っていた。
むこうは全生徒合わせて、やっとこちらと同人数だったため、全体を三つの組に分けたのだろう。
小さな子から中学生みたいに躰のでかいヤツまでいる。
もちろん白人、黒人入り交じってである。
出席簿順に空いた席に座っていく。
晃二はおとなしそうな黒人の隣になった。
名前はレジーと言い、まあまあ整った顔立ちで、テレビで観るホームドラマのちょい役で出てくるような印象を受けた。
主役級ではないがところどころでセリフがある、地味だがポイントとなる役回りが似合いそうな感じである。
全員が座り終わってから周りを見回すと、少し離れたところにボビーの姿が確認できた。
他にも数人、ジミーの仲間連中の顔ぶれも見える。
ボビーとはある日偶然知り合ったのだが、ハーフで日本語がペラペラだったせいか、すぐにうち解けて仲良くなったのだった。
とても明るく剽軽ひょうきんなヤツで、通訳としても日米間で活躍していた。

 双方の先生の挨拶後、交流会は通訳を交えての学校紹介から始まった。
お互いの学級委員が原稿用紙を手に、いかにも優等生らしい口調で相手国の素晴らしさを語る。
赤毛でソバカスの娘は「親の仕事の関係なので、数年しかいられないが、その間に日本をよく知り、友達も増やしたい」と言っていた。
今まで何人も、知り合ったヤツが二、三年でいなくなっていた理由が、親の赴任のせいだったことを再認識した。
軍関係の仕事なので、異動が多いのは仕方ないのだろう。
そんなかつての連中の顔を思い浮かべていたら、隣から声をかけられた。
「アーユー ウィルズ フレンド?」
…… 。突然で焦った晃二は、返答に困ってしまった。
簡単な英語だったので意味は解ったのだが、ウィルという名前に心当たりがない。
「ジャスト モーメント プリーズ」
てのひらを前に出し、たまに使う台詞を言って関係のありそうな筋を片っ端から思い浮かべてみる。

 ウィル、ウィル…… 。誰だそいつは? 
かつての友人にも最近知り合った友達にも聞き覚えがない名前だ。
もしや…… 。
そのとき、ある男の顔が浮かび、「まさか、ウィリー山脇か」と声に出した。
「イエス、ザッツライト」
人差し指をこちらに向け、ゆっくりと頷いた。
そのポーズはテレビドラマで観る役者の決めゼリフのようにカッコ良かった。
なんだか[刑事コロンボ]に尋問されて、ついポロッとアリバイの間違いを口にしてしまった犯人の気分になる。
しかしその後、自分から聞いたくせに、彼は両手の平を上に向けて大袈裟な表情で小さく唸った。
気に障わることでも言ったのかと思い、なんだか今度は[パートリッジファミリー]で母親に叱られて項垂れている子供のような気分にさせられた。
「でも…… 。ヒー イズ、ノット、トゥディ」
彼は今日欠席している。そう説明したかったのだが、ちゃんと伝わったのかどうか不明である。
理解したのかしないのか、彼は眉を上げ、ただ肩をすくめただけで会話は終わってしまった。
普段から遅刻、欠席はあたりまえのウィリーが、学校行事に参加するなんて考えられなかった。
クラスメイトだがフレンドではない。そう弁解したかったが諦めた。

 彼が聞いてきたウィルとは、名字を山脇といい、黒人とのハーフだった。下の日本名は忘れてしまったが、みんなからウィリーと呼ばれ、恐れられていた奴だった。
五年のとき、スクールから晃二のクラスに編入してしてきたのだが、どうやら理由は両親の離婚にあるようであった。
噂ではウィリーの父親は兄貴だけ連れてアメリカに帰ったらしく、現在は母親と小さなアパートで暮らしている、という話をモレから聞いていた。
だが実はもう一つの説があるのだ。
それは彼があまりにも素行が悪いので、スクールを追い出されるような形で日本の学校に転入してきた、というものであった。
そんな噂を耳にしていた晃二は、隣の黒人が表情を曇らせたわけが理解できなくもなかった。
冗談が通じない。気に入らないことがあるとすぐに手が出る。弱い者いじめなどはしないが、年長者との喧嘩は絶えない。などの噂も耳に入っていた。
群れることを嫌うので、晃二たちも避けている訳ではないが、付かず離れずで接していた。

「それでは、待望のプレゼント交換に移ります」
その後も、プログラムは滞りなく進行し、作文や歌があったあと、最後に待ちに待ったプレゼント交換になった。
しかし、ここでも文化や習慣の違いを思い知ることとなる。
晃二たちは、自分の宝物の中からそれなりに選んだ物を自分たちで包装紙に包んで渡したが、誕生日やクリスマスなど、プレゼント慣れしている彼らは、デパートで買い、綺麗にラッピングされた物を用意していたのだ。
中身も、晃二の相撲取りの絵のメンコや、貰い物の扇子などは日本らしさがあり、まだましな方である。
ウメッチは、向こうが本家だというのにサンダーバード2号の、しかも出来上がったプラモデルを、荒ケンはコレクションのヌンチャクを、モレは聴き古した〝黒猫のタンゴ〟のレコードを用意していたのだ。
そんな自分の思い入れ中心な日本側に対して、アメリカ側は実用的な新品の文房具が中心であった。
「場違いな気がしない?」
さっきのブースケの心配顔が思い出される。
果たしてアメリカ人に、彼が渡したカネゴンの古い貯金箱の価値が解るだろうか。
晃二は頬杖をつきながら、彼らが包みを開けた時の反応を想像した。

隣の彼もやはり同様で、交換した包みを開封すると中身はUNIの鉛筆セットであった。
一ダースの十二本入りで、真新しいエンジ色が筆箱のようなプラスチックのケースの中で輝いて見えた。
それに対して彼はメンコを見て、「ワァオー、スモーキング」と大声で言って眉を上げた。
喜んでくれたらしいが勘違いしているのかと思い、タバコじゃないと説明しようとしたら、指を差して「スモウ・キング」と今度は間を空けて言った。
どうやら横綱のことを言っているのだと理解し、笑いながら大きく頷いた。
やれやれ。大した物でないが、どうやらお気に召していただけたようだった。
それにしてもアメリカ人は喜怒哀楽というか、感情の表し方が派手である。
メンコも扇子も珍しいのだろうが、そこまで大袈裟にリアクションされるとこっちが照れてしまうほどだ。
その[奥様は魔女]のダーリンような身振り手振りは演技のようなスマートさがあり、流石アメリカと感心してしまう。

 その後、交流会はこれからも日本とアメリカは協力して世界を動かしていくのだから、皆さんも仲良く協力し合ってください、というような台詞で終了し、子供たちの心にそれぞれ色々な想いを刻んだ。
それはともかく、なにより晃二たちに良かったのは、これがきっかけで野球をはじめとする各種対抗試合が組まれたことだった。
なにせハウス内にある芝生のグランドが使えるのだ。こんな嬉しいことはない。
そこはホームグランドであるちびっ子広場とは大違いで、広くてきれいなこともさることながら、バックネットや観客スタンドまで完備されているのである。
その上、一応はゲスト扱いだから、MPにとがめられることなく大手を振って遊べることも気分良かった。
これまでも独立記念日や親善イベントの際に数回グランドを使ったときのことを思い出した。

遮るモノのない青空と、青々と広がる芝生。
そんな開放感の中で臨んだ試合は、条件の悪いグランドで鍛え上げられた日本チームが勝つことが多かった。
呆気にとられるイレギュラーもなければ建物に阻まれるアウトもないのだ。
本来だったらアウトボールになるかもしれない当たりは、面白いように外野の間を抜けていった。
きっとこれが本当の野球というか、ベースボールなのだろう。
晃二たちの、狭さや制約を気にしなくてもいい、思い切った弾けるようなプレーが結果に結びついたのだと思う。
それに対し、負けず嫌いなアメリカチームは、助っ人を呼んできて臨んだ再試合で、何とか面目を保つ程度であった。
野球に飽きるとバスケットボールを、バスケに飽きるとフットボールを、と子供たちの遊びは尽きることなかった。
やはり体育の授業でやるポートボールより、本格的なバスケの方が格段に面白いし、さすがはスポーツ大国、ほかにもクリケットやボールホッケーなど、目新しい遊びが次々と繰り出され、みんな夢中になっていたことが思い起こされた。
更にはブーメランや花火など、近くの競馬場公園では禁止されている遊びもここではOKであった。
それを家に帰って母親に話したとき、「あの中は日本とは違うルールだからね」と言う返答で初めて治外法権という言葉を知ったのである。
ただし、段ボールソリといって、段ボールを敷いて丘の上から滑り降りる遊びだけは芝生が傷むという理由で日米共に禁止になっていた。
しかしそれは、子供たちにとっての治外法権だとこじつけ、目を盗んではよく滑っていた。
そんなこんなで、この年の九月から十月にかけてはキャンプ内を中心に友好的な遊びを繰り広げていたのであった。

〈#2へ続く〉
https://note.com/shoji_kasahara/n/n7d3c5dbb7224

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