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『淳一』  〜1990年はじめての男〜 vol.2

淳一が住む街に着いたころには、すっかり陽が暮れていた。
駅の公衆電話から家に連絡をした。

「夕飯いらないから」
「もう作っちゃったわよ!」

母に怒鳴られて叩きつけるように電話を切ると、淳一が目を丸くしていた。

「大丈夫?」
「大丈夫。ただの反抗期ですから」

別に反抗がしたかったわけじゃないけど、あのころは親に言えないことが増え過ぎて、じょうずに会話することができなくなっていた。嘘は吐きたくないから黙っていたいけど、隠しごとをするなと言われるから仕方なく嘘を吐けば、それは反抗期だと怒られた。
反抗期じゃなくて同性愛なのだけど。
でも、たぶん、そっちの方が話はややこしくなりそうだから「ま、いっか」と反抗期のふりをしていた。

淳一の部屋は広いワンルームだった。
壁は白く、ベッドやソファ、CDコンポやカーテンはすべて黒で統一されていた。

「お酒…はダメだもんね」
「未成年なもんで」
「いろいろあるからさ。適当に選んでよ」

淳一に促されて黒い冷蔵庫の中を覗きこみ、アンバサを見つけた。アンバサは明僕はアンバサが大好きだった。


アンバサが大好きだった。

「だったらカルピスサワーがいいんじゃない? アンバサなんてカルピスソーダの模倣品でしょ?」

ある時、新宿二丁目のゲイバーに連れて行ってくれた人が勧めてくれた。
それはたしかにそうで、カルピスソーダも好きだったけど、カルピスサワーはアルコールの苦味がカルピスのおいしさの邪魔をしていて無理だった。
そもそもアルコールが体質的に合わないみたいで、少し飲んだだけでも、眠くなるか気持ち悪くなるかのどちらかだった。

黒い皮のソファに座って乾杯をした。
淳一は缶ビールを飲んで「うまい」と言ってからマルボロのメンソールに火をつけた。

「タバコも吸わないよね?」
「吸ったことあるけど苦手だった」
「いい子、いい子。こんなもん、吸わなくていいよ」

出会ったばかりの男の部屋についてくる高校生がいい子なわけがないけれど、淳一はそう言って、タバコを挟んだままの指先で僕の唇をなぞった。くすぐったくて思わず笑うと、淳一は「可愛い」とつぶやき僕の頭を引き寄せてキスをした。

僕はあわてて目を瞑った。
前に二丁目で会った人に「キスの時は目を瞑るもんだよ」と笑われたことがあったから。
キスから伝わってくるビールやタバコの味や匂いは嫌いじゃなかった。おいしくはないし、いい匂いでもないけど、たとえばカルシウムや良質なタンパク質のうように、大人になるための必須栄養素のような気がして積極的に摂取に努めたかった。

「シャワー、一緒に浴びようか」

淳一がタバコの火を消して、僕の手を取った。リビングルームを出て短い廊下を手を繋いでバスルームに向かった。
洗面台に大きな鏡があって、その前で裸になるのは恥ずかしい気がしたけれど、淳一が構わずにシャツのボタンを外していたから、僕もあわててTシャツを脱いだ。

ジーンズを下ろした淳一は、綺麗な水色のトランクスを履いていた。テレビで観たハワイやサイパンの海の色に似ている、と思った。とたんに自分の履いているトランクスが恥ずかしくなった。母が近所のイトーヨーカドーで買ってきた焦茶色のトランクスは、時々、間違って父の引き出しに入れられているほど地味だしブカブカだった。

ジーンズと一緒にトランクスを素早く脱いだ。

淳一のお尻には日焼けの跡が綺麗についていた。本当は僕と同じ色白な人なんだと知った。

「日焼け、赤くなっちゃいませんか?」
「急に太陽の下で焼くと赤くなるから、夏の初めに少しずつ日焼けサロンで焼くんだよ」

そんな裏技があったのかと、生まれ変わらなくても僕だって色黒になれるんじゃないか、と言う希望が少しだけ持てた。


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