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陰翳礼讃、読んで感じ、考えて思った事。

谷崎潤一郎先生の著書に陰翳礼讃(いんえいらいさん)と云う書籍があります。薄暗い明かりに象徴される日本の伝統美を論じています。日本もちょっと昔までは障子がありその貼られた紙を通して光に照らされたものを見ると云う陰翳を大切にする奥ゆかしい生活習慣がありました。
この、ぼんやりとした明かりは不必要なものを闇の中に隠し必要なところに明かりをもたらした。それを利用することで陰影の中でこそ映える芸術を作り上げたのでありこれこそが日本古来の美意識・美学だと谷崎先生は主張しています。
現代では、蛍光灯の明かりで部屋の隅々まで明るくし、落ちているゴミや見せたくない配線などをあらわにしている。
「なぜ、そこまで明るくする必要があるのだろうか。今の日本人は損をしている」と問いかける。


私は、この本を読んですごく心に落ちるものを感じました。
確かに、夜は夜って感じの方が心が休まるし落ち着きます。
窓から月を眺めたりして、グラスを傾けながら今日と云う日を終わらせる。
人間と云う生き物として、現代のマンション群やネオンギラギラは不自然です。不自然ならばストレスも大きくなるのは当然です。
やはり多くの方は自然を求めて休日には出かけたり、家の中にグリーンを置いてみたりとできる範囲で自然を求めていると思います。
そして人は(地球のすべての生き物は)太陽の動きとともに生きています。
それを無視することは健康に良くありません。
それで、夜は夜らしく暗めの照明が良いと思いました。
ただし、本を読むときは手元をきちんと明るくする必要はあります。
この陰翳礼讃という本は、照明を創っている私に大きな問いを与えてくれました。
日本の美学には暗がりと翳りがありそこにこそ日本人の感覚に馴染んだ暮らしがある。それを知らずに部屋の中を明るくしているのは損をしていると谷崎先生は云っています。
日本の伝統的な美を感じる事が出来ないと・・・・

昔のお風呂、外からの明かりのみ


昔のキッチン土間にあります。


写真は江戸時代末から明治初期にかけて建てられた古民家の内装です。
南側にガラス窓は無く、開け放しの空間です。
昼間は外からの明かりで生活します。
夜は雨戸を閉めて室内はかなり暗い状態だったと思われます。
(現在、電球の照明がついてますが、昔は蝋燭の明かりでしょう)

和紙を貼った電球の明かり


確かにこの状態は陰翳礼讃ですが、この状況で生活するには、相当な覚悟と体力が必要です。
テレビやパソコン、スマホなどを使うには暗すぎです。
目が悪くなり、気分も落ち込み暗くなりそうです。朝には、寒くても暑くても雨戸を開けないと暗くてたまりません。

結論として私はこう考えます。
夜でもそれなりの明るさを必要としていて現代的な照明器具が必要になります。
そして、日本という湿度の高いお国柄のためドライな感じの
明かりが好まれると思います。
それで、部屋の中に3つぐらいの照明器具を備えるのが良いと思います。
白昼色の明かりと電灯色の明かり、そして手元を照らす明かりです。夜遅くには、明かりをかなり暗くしてぼんやりとした雰囲気の中でお酒を嗜むような時間。
その時には多少の陰翳礼讃があると思います。
そのように明るさを使い分ける事で快適さと部屋のグレードアップにつながると思うのです。

お客さんをお迎えする玄関と左側の部屋が待合室

この様な江戸時代に建てられた古民家は見るには良いが、住むのは厳しいと思えます。
現代においては、しっかり窓の付いた現代的な建物で照明を調節する事で日本の美を作り出すのが良いかと思います。
現代の環境に適合した建物に安らぎの明かり、しかも、明るさを調節できて昼は明るく、夜は暗めにというのが私の考えです。

私のこれからの照明制作にも、ある程度の明るさを保持しながら
照明により影を落とすような、柔らかく、暖かく、物の存在を照らし出すような明かりを制作したいと思いました。

この陰翳礼讃と云う本の最後の一文で谷崎先生はこう締めくくっています。

「まあ、どう云う工合になるか、試しに電灯を消してみることだ。」

そこまで、云うなら消してみましょう。と
次回の記事で、消したらどうなったか。を検証しましょう。

拙いな文章ですが、いつも読んでいただき有難うございます。


母屋の庭から見た建物の様子

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