織田信長が明智光秀に攻められ自刃した話

いまはむかし、天下布武をかかげる織田信長が、家臣の明智光秀に討たれる急変が起こった。信長がわずか数十人の配下とともに宿を求めた本能寺は、その夜、中天の空に赤々とたぎる竜炎を昇らせた。

この年の三月、往年の宿敵であった武田氏を滅ぼした信長は、いよいよ天下統一の大事業に乗り出した。近畿より東はほぼ信長の支配下に入ったものの、九州・中国地方にまではその威はおよんでいない。そこで、手はじめに腹心の羽柴秀吉に大軍を与え、西日本の攻略に着手した。

重臣らの出陣を見届けた信長は、わずか数十人の小姓衆のみ引き連れて上洛した。その後、京の本能寺に宿所を構えた。

同じころ、丹波の亀山に陣を張った明智光秀が、信長への謀反を企てて側近らと謀議を重ねていた。光秀も秀吉と同じく征討軍の一味だが、たびたび信長から辱めを受けたことで堪忍袋の緒を切らしたのである。

光秀の軍は、馬首を西へ向けるところを東へと向け、木立が生い茂る山に分け入った。深い闇の木陰に響く馬蹄が、鳥の鳴き声と入り混じる。幟の一群は峠を越え、川をわたり、寝静まる町に進入した。もうすぐ夜空に薄い光が差し込むはずであった。

寺院の居室で休んでいた信長は、外のほうからか、人の言い争う声を聞いた。守衛たちの喧嘩かと思いきや、どうも様子が違う。それは鬨の声をあげる明智の軍勢であった。

「謀反か。やむをえぬ」

信長はおもむろに立ち上がり、弓矢を手にした。側の女房たちには「ここはよいからはやく逃げよ」と伝え、部屋を出た。

明智勢は四方から御殿に乱入し、鉄砲を放ちながら突き進む。信長の小姓たちは勇敢にも刀剣で応戦した。が、圧倒的な兵力を前にことごとく倒れていく。町中の宿舎で主人の変事を聞きつけ、果敢に飛び込む若者もいたが、むなしく討ち死にした。

信長は甲冑も何も着けず、白装束のままで弓矢を構えて敵と対峙した。満々と引き絞られた弦は、張力に耐え切れずぷつん、と切れた。今度は長槍で防戦するも、敵の攻撃を受け、肘に大きな手傷を負ってしまう。敵兵は本殿に火をかけたらしく、バチバチと燃える音とともに火の手がそこまで迫ろうとしていた。

かつて延暦寺や本願寺、一向衆相手に使った炎が、いま自分に向かって襲いかかろうとしている。火勢は前から、横から、後ろから、死の影を引き連れて燃え広がる。一瞬だけ、信長の形相が赤鬼のように映った。まさに六天魔王そのもののような異形さだった。

もはやこれまでと観念した信長は、槍を捨てて奥の部屋に引っ込んだ。

信長は、静かに呼吸を整え、腹に短刀をあてた。力をこめ、間をおかずひと思いに刺し込む。「うっ」という呻きと同時に、屋根が落ちて本殿は跡形もなく崩れ去った。

数日前、光秀は仲間内で連歌の会を催したとき、こんな歌を披露した。

「ときは今 あめが下知る 五月かな」

変事の一日前、信長は公家たちを本能寺に招いて宴を催した。

その日、京の空は日中にもかかわらず太陽が隠れ、薄闇に包まれた。日食が起こったのだ。

不気味な光景を前に、公家たちは右往左往するしかなかった。珍しいものが好きな信長は、ひとり意に介さず、ほんのり白い光が縁どる黒輪を怖れずに直視した。







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