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自治体のメディアに対する向き合い方と、感染者に対する考え方:新型コロナウイルスの報道に触れて

久々の投稿に際し、第1稿で予告していた脱線ネタを。

新型コロナウイルスの報道が止まらない。永田町・霞ヶ関をはじめ全国の自治体で報じられる情報をメディアが秒速でニュースに取り上げている。加えて言うならば、民間企業がテレワークに必要な商材を無償提供するとか、教育関連企業がネットツールを介し臨時休校のサポートをするとか、兎にも角にも企業人も一般市民も生きていく上で必要であろう本来有償のものを無償で提供する動きも加速している。

前提として、筆者は株価や為替、渡航に関する制限などのコメントは一切しない。と言うよりも、できない。あくまで「自治体とメディア」という関係性において言及する。そのことを思って今回キーボードを叩いている。

この一連の事象について、とある自治体(以下、A市)で感染者が発生した場合を例にとって考えてみたいと思う。

A市に在住する感染者が発生した(ことをA市が確認した)

このとき、A市(市職員)はどう動くか。これを考えたことのある非公務員の方々はどれくらいいるのだろうか。それが分からないままに、世間は声高にメディアの報道を賞賛もしくは批判しているものと考える。なので、時系列的に流れを書く。

A市が、保健や福祉など、コロナウイルスの検査などに立ち会う/情報を握る部局が、陽性反応を示した事実を "上に" 報告する

その報告先は、その関連部局のトップはもちろんのこと、副市長、市長といった首長クラスで、しかも"秒で"届く。そこからコトの次第は始まる。どのように情報開示をしていくか。どのように情報開示を「して行くべきか」。この議論である。

首長を筆頭とするA市の関連部局は、開示を前提としつつも、感染者の個人情報と滞在歴をどこまで開示するべきか、議論する

世間一般の認識で考えるならば、「どこに住んでいるか」「どこに勤務しているか」「どこにいた(旅行や出張をしていた)か」「誰と濃厚接触をしていたか」などを真っ先に知りたいのだと思う。それはメディアも同じである。なぜなら、それがいわゆる「心理的な安心材料の一つ」になり得るからだ。

A市は、まとまった一つの見解を持って、担当部局の責任者や自治体の首長クラスが記者会見を行い、報道機関に情報提供をする
報道機関に対する情報提供に関する第一次の取り組みは以上。

ここでメディアはその情報を持って、取材に走る。「自治体がまとめた情報」がどんなものなのか、記者クラブを筆頭とするメディア各社がネタ探しを始める。その方法は会見上で行われる質疑応答を皮切りにした、独自取材だ。記者会見が長引く理由に、その質疑応答が明瞭でない、的確でないといった理由が挙げられるのはお分かりかと思う。

だが、ここで一つ「質疑応答が明瞭でない、明確でない」理由を考えて欲しい。なぜならば、質疑するメディアの大半が、罹患者の立場を思い考えていないからだ。言い換えれば、自治体は罹患者の立場を思い考え、回答に行き詰まることが往々にしてあるからだ。

自治体の記者会見で、もし歯切れの悪い回答を担当者がしたとする。でもメディアの視聴者・読者はそこまで慮ることはない。断片的に報道される「歯切れの悪い回答を担当者がした」というメディアによる報道に、視聴者・読者が頼っている(鵜呑みにせざるを得ない)からだ。ここでメディアが悪いというつもりはないが、日本のマスメディアを見る限りその傾向は強い。

「自分が罹患したことが新聞・テレビ・ネットメディアに晒されたことで、症状が改善して社会復帰できるとなった時、無事なのだろうか」

罹患者自身は、まずそこを考える(はず)。翌朝起きて点けたテレビで自分のことが報道されている、新聞に自分のことが大々的に書かれている…。そのことを想像できるのは、当事者以外ほとんどいない。おそらくほとんどの未感染者は考えない。というか考える意識を持たないことが多いのではと察する。

もしかしたら社会復帰できないくらいの代償がその人に及んでしまうのではという「自治体の一市民に対する思いやり」を感じることはできないのか。世間の大多数にとって、そんなの土台無理な話なのだろう。ただ、自治体は一つ一つそれに向き合っていると代弁したい。一連の報道に対する自治体の取り組みにはそういった(善意としての)裏の思惑を察することができるはずだ。

ちなみにもっというと、「報道されてしまうリスク」は、罹患者の子供はおろか、親族や近隣住民にまで波及する恐れもある。そうなったとき、その責任は誰が取るのか。居住エリアや職業、勤務先など、全てを明らかにした時のリスクを、最終的にどこが取るのか、そこまで考えられるものなのか。A市なのか国なのか厚生労働省なのか。この解決策を明言できている情報は、筆者自身今のところ見つけられていない(あったら教えていただきたい)。

自治体にとっては、罹患者一人一人の人生を考えるべきなのは至極当然の話である。しかし、メディアはその一人だけではなく、罹患者を発端として濃厚接触したであろう数百人、数千人の命におよぶ恐れを想定して報道する。それが視聴者の安心を買うからだ。

ここまで整理すると、①知見ある人(医師や研究者など)、②知見のあまりない人(一般人)、③メディア、そして④自治体の4者による認識とリスクヘッジの取り方おけるすれ違いが発生することがわかるはずである。

思うに、罹患者の方々は、よほどのヒーロー感覚がない限り、自身の感染を声高に報道して欲しくないのではと察する。メディアや世間に向けて開示すべき情報の線引きをどこで引くべきなのか、そこに自治体職員が日夜苦慮していることを、少しでもいいから考えてあげるべきではないだろうか。

感染源が不特定になりつつある今、自身の街で発生した罹患者の情報開示をする(ことになってしまった)自治体ができることは、その方が、平穏な日常を1日でも早く取り戻すためにできる手助けをすることなのだ。

まだまだ感染者が増えるのか、収束に向かうのかは誰にもわからない。だが、日々向き合っている自治体の、メディアに対する情報開示のスタンスを考えるきっかけになったら幸いである。

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