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【やめちゃえば?】ノンバイナリーの妊活③

そんなに妊娠したくないんだったらしなきゃいいのに。私もそう思う。じゃあ、産まないで二人で行きていけばいいのでは?私も思う。でも、できない。踏ん切りがつかない。

自分が妊娠・出産を前向きに享受できない理由を整理してみます。ノンバイナリーに限らず、思うことを。

①10代で経験した子宮外妊娠のトラウマ

前にも書いたが、未婚時の10代後半に子宮外妊娠の経験がある。レイプや性被害とかではなく、もちろん避妊をしていた上での、いわゆる悲しい事故だった。

19歳だった。重たすぎた。結婚をしていないから弔えないし、人を殺してしまった意識が消えなかった。どうしていいかわからないし、当時付き合っていた彼とは好きとか嫌いとか恋愛感情とは関係なく一緒にいられなくなった。

みたいなことを経験しているせいか、それから10年くらいはこころの体調はあまりいいものとは言えない状態で、間接的な原因だったにしろうつ病も経験したし、20代中盤で境界性パーソナリティ障害と診断されたりして、まあそれはいいとしても、いつも「自分は幸せになってはいけない意識」があり続けるのがきつかった。それでも、ときどき落ち込んだりはするけれど、最近はオットと落ち着いた暮らしができている。

10年かかってやっとこころの体調を取り戻せた感じはしたのだけど、いざ配偶者ができて、子どもを作る適齢期になったとき。ベッドの上で生殖行為をしようとなったとき。トラウマがあるような気もする。気持ち悪さや怖さ。また子宮外妊娠をしてしまうのではないか。そういう恐怖が支配しているのか。射精が怖いのもこのトラウマが一番ある気もする。

②親が望む孫を産み出さないという抗い

最初から妊娠・出産が怖かったわけではない。昔は当たり前に自分が子どもを産んで育てることが幸せだと思っていた(?)気がするし、そのほうが親が喜ぶと思っていた。

そう、行動原理の源に親がいた。親のために結婚をする。結婚すれば親が喜ぶ。孫が生まれたら親が喜ぶ。自分が親になることを想像するよりも、孫ができて喜ぶ親のことのほうが想像できた。親に愛されたかった気持ちが強いゆえ、孫という強い存在で、親を喜ばせようみたいな考え方になっていたように思う。

でも、大人になり、そう思うのをやめたいと思った。「結婚・出産=幸せ」という構図には無理があるし、子どもがいなくたって幸せそうな人たちがまわりにたくさんいるし。現に私はNetflix観たり、オットと映画観にいったり、本読んだりするだけで今とっても幸せ。

提示された既存の枠にはめ込まれるのが嫌みたいだ。普通の幸せというレールを踏まないこと、つまり親たちの望む“孫”という存在を私があえて作らないことが抗い。最後まで親たちの思い通りにはさせないという思い。


③毒の血が流れているという不信感

ノンバイナリーだろうが、境界性パーソナリティ障害を持っていようが、私が一番恐れているのは、私が父や母にされてきたことを我が子にするのではないかということ。怒鳴り、物を投げ、やりたいこと好きな物を否定する父のようなモンスターの血が、私には流れてる。と思うと怖くてたまらない。

大丈夫、ひさこはそうならないよと友達やオットに言われても腑に落ちない。

④女扱いされることの恐怖

結婚したら奥さんと言われる回数が増え、「家事大変?」と世間話的に聞かれるようになった。若奥さん、お嫁さん、と私を形容する女性単語のオンパレード。距離が遠い人からの方が言われやすい。

これがきっと増えるのだ。妊娠するとなると。“母親”になると。かといってカムアウトする自信もないし、私の性自認を理解してもらえるよう説明する自信もスキルもない。

✳︎

こんなに悩む選択を取ってる時点で、私には少なくとも妊娠して子供が欲しい気持ちがあるんだと思う。でも自分がわからない。ものすごく子供が欲しい日と、子供を持つなんてありえないと憤る日が交互に来る。だから今は書くしかない。

今度一人暮らしするタイミングがあったら猫を飼いますね!!