記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

【ドラマ評】「私のトナカイちゃん」/底抜けの自己肯定感を埋めるには

※ネタバレしてます。ご注意ください。画像以下から始まります。本ドラマは性暴力描写があり、ここではそのことについても言及します。

 サクッと見られる30分ドラマが大好きで、Netflixでは「このサイテーな世界の終わり」「ノット・オーケー」「エミリー、パリに行く」などが特にお気に入りだった。「私のトナカイちゃん」も30分ドラマで、最近長編に疲れていたところだったから(オッペンハイマーとかね…)ちょうどいいと思って見始めたところ、完全に視聴注意の作品だった。

 物語の主人公は、ロンドンに上京してきたものの夢だったコメディアンになれず、日々を消化するようにバーでバイトする30代の売れない芸人ドニー・ダン。ある日、“弁護士”だと自称する年上の恰幅のよい女がバーに来店する。彼女の名はマーサという。金がないから(弁護士なのに!?)何も注文できないと言う彼女に、ドニーは同情から紅茶を一杯奢ってしまう。これをきっかけに、マーサの付き纏い行為が始まる。
 一日メールが80件以上、毎日バーに来てはドニーのことを口説き、褒め、愛を伝え、そして怒り、思い通りにならないと怒鳴り、時には結婚や妊娠出産の妄想に辿り着いたり、店や家の前で待ち伏せをしたり、ドニーがいい感じになっている恋人に攻撃したり、ドニーの両親にも迷惑行為をしたり、マーサはいわゆるストーカーとなる。警察に相談しても真剣に取り合ってもらえず、バーの同僚は面白がって助けてくれないので、ドニーはもう本当に救いがない。しかし、次第にドニーは“自分自身も”マーサに執着していることに気づき始める。

ドニーとマーサ


 最初見た時は、とんでもない女に付きまとわれる男のコメディなのかな、と思ったのだが、中盤から「なぜ俺がストーカーされてしまうのか?」にドニーは向き合うことになる。
 ドニーは、10年ほど前、凄まじい性暴力を受けた経験があったのだ。そして大人になった今、自身の自己肯定感の低さの原因は性暴力であり、自分がストーカーされている原因もそれに関連していることに気づくのだった。


マーサ


 性暴力のシーンは、久々にこんなにつらいものを見た‥という感じだった(どうかこれから見るという人はせめて体調のいい日に視聴してください)売れっ子コメディアンになることを夢見てロンドンに出てきた若い男の子を、著名な脚本家おじさんがグルーミングし、性暴力によって蹂躙していく。「君には才能がある。今度一緒に◯◯(有名なドラマシリーズ)の脚本を書こう」「成功するには僕の言うことを聞くのが近道だ」と夢や希望を巧妙に利用し、人間をめちゃくちゃに壊していく。
 グルーミングが怖かったのは当然ながら、この脚本家おじさんはさまざまな薬物をドニーに摂取させ、ともに錯乱状態になることによって支配していたのが、より許せなかった。

 恐ろしいことが、これは実話ということ。ドニー・ダン役のリチャード・ガッドさんが経験したことを自身で舞台化(ひとり舞台)し、それが人気で今回Netflixでドラマ化したそうな。
 凄まじすぎて、誰も救われないんじゃないかとひやひやして、リミテッドシリーズということもあり気づいたら物語が終わっていて、「あれ、これって実話だったんだよね?」とはっとして絶望する。私はこのシリーズを見てから三日間ほど悪夢でうなされてしまった。

ドニー

***

 話をあらすじに戻す。性暴力を受けたことは、ドニーは誰にも話せなかった(当時は今ほど性暴力を受けたあとのSOS窓口がイギリスも整備されていなかったり、性教育が不十分だったのかもしれない)そのとき付き合っていた恋人とはセックスができなくなり、振られてしまった。より過激なポルノを見るようになり、性暴力を受けた自分を肯定するために性別関係なく誰とでも関係を持った。自分を虐待するような行動だけが加速する。マッチングアプリもたくさんした。
 そんな中トランス専門マッチングアプリで出会ったのが、トランス女性のテリーだった。ドニーは職業や名前などを偽ってトランス専門のマッチングアプリに登録していたのだった(この辺りの行動からもドニー自身が混乱し続けていることがわかる)

トランス女性のテリー


 ついていた嘘はバレたものの、テリーといい感じになり恋人同士になる。その間もマーサからのストーカー行為は続いていた。マーサはテリーを「あばずれ」と呼んだり実際暴力をふるったりしてテリーをも傷つけていく。
 しかし、ドニーはマーサを突き放すことができない。現実的な暴力をマーサがふるいテリーが怪我をしたときも、ドニーはそれを警察には伝えなかった。堪忍袋の緒が切れたテリーは、ドニーに別れを告げる。「あなた、本当は私よりもマーサのほうが大事なんでしょう?」と言わんばかりに、この問題の解決を図らなかったドニーの元から去る。

 余談だけれど、これに近い経験がある。大昔、付き合っていた恋人がいた時、私と恋人が付き合っているのを知りながら恋人に猛アプローチをかけてくるAさんという人いて、私はAさんとも友達関係だったので「私もAさんも両方傷ついてしまうから、きちんとAさんにはお断りをしてね」と恋人に釘を刺した。しかし、恋人は秘密裏に半年ほどAさんとダラダラと連絡をとり続け、私との交際も継続していたことが発覚したときは、本当に怒り心頭した。「あなたのその態度では、私もAさんも傷ついてしまう」と話した記憶がある。この経験のせいか、テリーがドニーの煮えたぎらない態度にイラつく気持ちが少しわかるのだ。テリーからしてみれば、「恋人の私よりも、ストーカー女のほうが大事だっていうの?」と言いたいのだろう。

 実際ドニーにとってのマーサは、どん底状態の自分の前に突然現れた、自分を肯定してくれる唯一の存在だった。日々を孤独な気持ちで過ごしていたドニーの前に現れたマーサは、知ってか知らずかドニーの心に開いた穴に入り込み、奇妙な共依存の関係に陥っていたのだろう。

 その後やっと警察に逮捕されたマーサ。これで解放されるのかと思いきや、裁判もドニーは傍聴しに行く。マーサが刑期中の間は、マーサが大量に残した留守電をラジオのように聴きながら過ごした。マーサの留守電を感情別に分けてデータ化し、ドニーは持ち歩いた。ドニーはマーサを理解したくてたまらなかった。
 そして、ふらっと入ったバーでこの物語はラストを迎える。注文後、財布を忘れたことに気づいたドニーに、バーテンダーが「いいよ、奢るよ」と。まるでドニーがマーサに一杯の紅茶を奢ったときのように言い、ふたりの関係性を想起させるようなシーンで物語は終わった。

***

 大きなトラウマや傷は、埋まらない穴を人間に残す。溜まっていかない底なしの自己肯定感を埋めるには、きっと適切な助けとケアが必要だった。

 好きなタイプを聞かれると、「私は、私のことが好きな人が好き」といつも答えていた。優しい人、かわいい人、まめな人とかいろいろ言えることはあるだろうに、過去の私は、「私のことを好きな人」でないと、自分が孤独感が埋まらない気がしていた。私が罹患している境界性パーソナリティ障害にはそのような側面がある。私の精神疾患の傷は幼少期に受けたトラウマや認知のゆがみによるものだったが、「私のトナカイちゃん」をどうしても他人事とは思えなかった。

 感情や自信、人を好きに思う気持ちが瓶に溜まっていくのだとしたら、私の心の瓶は瓶底がすっぽり抜けていてドバドバの状態だった。何かを感じても、感情がザルの目からするすると抜け落ちていく感覚があり、褒められた経験や愛された経験も数週間後にはなかったことになっていた。
 すっぽりと抜けたドニーの瓶の底を、不器用な手で必死にせき止めてくれたのが、マーサだったのかもしれない。



この記事が参加している募集

映画が好き

今度一人暮らしするタイミングがあったら猫を飼いますね!!