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📄市政報告174号 - 四條畷の約120年前(手彩色絵葉書より、小楠公墓所) -

今月号は記事が2つ+4コマ漫画。
四條畷市民の方に読んで欲しいのは裏面ですが、表面の記事を報告します。

今号より、文章は弱視の方にも読みやすい可読性に優れたユニバーサルデザインフォントを使用しています。

実物紙ベースの話
参照(記事最後に載せた市政報告の画像)

しでうなはて今昔⑤

所有する絵葉書から、今回は「楠木正行朝臣之墓」です。この絵葉書は171号に掲載したものと同じセットで、カラー写真に見えますが、白黒写真に手作業で色を塗った手彩色絵葉書です。

手彩色絵葉書については、171号で説明をしていますので、下のリンク先をご覧下さい。

本市HPでは「伝楠木正行墓」のタイトルで、次の様に説明されています。

楠(楠木)正行(くすのきまさつら)は楠木正成(くすのきまさしげ)の子で、南北朝時代の正平三年(1348年)の四條畷の戦いで北朝方の高師直(こうのもろなお)と戦って討ち死しました。

正行の遺骸はこの地に葬られ墓石が建てられたと伝えられています。その後80年経ってクスノキ2本が植えられ、成長を続けたクスノキは墓石を包み込み2本が1本となって現在に至っています。

現在墓所にある石碑は明治11年に建てられたもので、大久保利通の揮毫( きごう)」 による「 贈従三位楠正行朝臣之墓」の銘が刻まれています。

絵葉書の作成された年代は、宛名面から明治33(1900)年2月~明治39(1906)年と推定。

下の画像が、120年経過した現在の状況。
ほぼ絵葉書と同じ位置の画像ですが、新たに立派な塀で囲われたため残念ながら石灯籠や石碑が見えにくくなっていました。

絵葉書の鳥居は、塀の外から撮影した左画像では見えません。しかし、塀の隙間から見ると、下画像の様に、石柱2本にしめ縄を張った「しめ柱」に変わっているのがわかりました。

2本が1本になったクスノキの現在の状況。
根元に包み込まれた石が楠木正行の墓石かも知れませんが、今となっては知る由もありません。

市政報告の画像

データ

PDFのリンクです。上記画像がダウンロード出来ます。

http://nagahata.jp/pdf/Vol174.pdf


<了>

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