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📄市政報告169号 - 四條畷の約90年前(絵葉書より) -

今月号は、既に表面を別記事として記事にします。

表面と市政報告の画像については、以前アップしたものとなります。


しでうなはて今昔③

今月号も所有する絵葉書を掲載します。今回は、四條畷神社 一の鳥居(以下「 鳥居」 という。)」です。絵葉書の作成された年代は、167号同様に宛名面からの推定です。その内容を記した167号は、以下よりご確認下さい。

絵葉書の鳥居は、明治25年(1893)に石製にて創設。
絵葉書の年代は、宛名面の「郵便はがき」が「きがは便郵」 と右書きとなっている点や、 「か」 が 「が」 と濁点表示されていることより、昭和8年(1933)2月 〜 昭和21年(1946)と推定。

宛名面

石柱の右側

絵葉書右側の四條畷神社と書かれた石柱の右側を拡大すると「氷」や「うどん」の文字が読み取れます。
当時、この場所は参拝者向けの食堂だったと思われます。

別格官弊社とは・・・
神社の社格の一つ。古来国家のために功労のあった人臣を祭神とする神社のために設けられたもので、官幣小社に準じて取扱われた。明治5(1872)年神戸の湊川神社が定められたのに始り、1946年社格が廃止されるまでに、28社に及んだ。

ブリタリカ国際大百科事典

近年の鳥居

鳥居撤去

鳥居は、本市で震度5弱を記録した大阪北部地震(平成30年6月18日)により一部が破損し、危険が伴うために撤去されました。

Google Map

撤去後の上グーグルマップ画像を見るとわかる通り、石灯籠台座と「別格官弊社四條畷神社」と書かれた石柱の位置が、絵葉書とは東西方向で入れ替わっています。市役所担当課に尋ねると「断定はできないが、参道を横断する旧170号の拡幅、信号機や歩道設置など交差点内安全確保のために石柱を山側(東側)に移動させたのではないか」とのことでした。

新たな鳥居

鳥居の撤去から3年、株式会社木又工務店社長の木又誠次氏により、吉野檜で鳥居は立派に再建(令和3年9月19日竣工式)されました。また、同氏により新たに灯籠も設置(令和4年12月30日)され、現在に至ります。

鳥居が石製から木製へと変わった以外にも、大阪北部地震前とでは違うものがあります。「別格官弊社四條畷神社」 と書かれた石柱は 「四條畷神社」 と書かれた小さなものに、灯籠の台座もひと回り小さくなり、より道路は安全となりました。


<了>

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