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私が「生きている」理由

※はじめに言っておくと、この記事は自分を励ますためのものだ。「生きる」ことを推奨するものでも、反対のことを推奨するものでもない。

私が初めて人生に終止符を打とうとしたのは、中学2年生の夏休みの終わり頃のことだ。学校のことや家族関係でボロボロだった私は、毎晩「明日がきませんように」と祈っていた。実行するのは、怖くもなんともなかった。ただ、「あぁ、自分はここまで病んでしまったんだな」と思った。

高校生になると、1年に数回実行を試みた。大学生になってもそれは続き、閉鎖病棟への入退院が繰り返された。それでも、病棟の中でも私は試みてしまう。道具もないし、ほぼ不可能なのに、どうしても「生きる」ことに前向きになれなかった。

そんな私が今生きている理由は何か。簡単に言うと、「周りに捨てられたくないから」だ。自分が生きたいからでは全くない。ただ、自分がいつもの病棟に、休息入院ではなく何かやらかして入ったら、スタッフはどう思うだろう。「しろくろさんは成長していない」と言って、捨てられるのではないか。それが怖いだけなのだ。
じゃぁ確実に成功させればいいのでは?と思う人もいるだろう。実行したことがある人はわかると思うが、実はそんな簡単にうまくいかない。でなければ、入院するたびに会う人がこんなにいるわけもないだろう。

私には、生きる意欲がない。ずっと前からそうだったし、今もそうだ。

それでも、生きているといいことも時にはある。今の支援者に出会えたのは、私が苦しみながらも生きてきたからだし、今日の音を奏られるのは、私が今日まで生きてきたからだ。

あ。今生きる理由が増えた。
「支援者とまた会うため」「音楽をするため」「noteを書くため」

私の日常はこんな感じだ。生きることに前向きではないが、生きる理由を必死に探して生きている。それでいいのだと思う。生きるのに立派な理由などいらない。夢や目標なんてものも、あったらもちろん最高だが、なくても全く問題ない。朝が来て、ぼーっとしてたら夜を迎える。それで十分だ。

今日の私がやったことは、スマホゲームとこの記事を書くことだけだ。えらい。よくやった。明日は診察に行けるといいなぁ。

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